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長い夜を歩くということ 129

「では、どこに入れれば、大女優様はお気に召すでしょうか?」

彼女はまんざらでもなく、そして、謙遜する気すらない。

それは今この場では医師と患者という関係でもあるからだと私は頭で考え、少しだけ胸の奥に隙間風が吹いた気がした。

「ちょうどいいじゃないですかその中にしましょう」

彼女は私の胸ポケットに収まる携帯を指差し、寄越せと手で催促をする。

私が手渡すと彼女は簡素なプラスチックカバーを外してカバーの内側に名刺を入れる。

そして、顎に手を当てて少しだけ何かを考えていた。

彼女は探偵役もしたことはあるのだろうか、と思うほど様になっていた。

そして、言った。

「先生。もう一枚ください。下に写ってしまうと嫌ですから防止用に必要です」

女王の言う通り、私はもう一枚を差し出した。

彼女は折り紙を受け取る子供のように楽しそうに笑うと、落書きした面にもう一枚を重ねてカバーと携帯の間に挟んだ。

満足そうに口角を上げて笑って携帯を眺めてから、私に戻した。

「これで私たちは同じ満月を見たもの同士になりました」

彼女の笑顔の意味を私は考えようとせず、ただ同意した。

しかし、携帯を受け取った右手は彼女の血が流れ込んでくるように暖かくなった気がした。

意識も迎えに行くように右手に登っていった。

もう一度彼女を見ると、悪戯を楽しむように横目で私を見て、また別の笑顔を作っていた。

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