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長い夜を歩くということ 107
自分の席に帰る途中、同僚に引きとめられた。
どうやら私が院長に呼び出されているらしい。
急に呼び出されることには慣れていたが、相手が院長の場合は例外だ。
私は必死に心当たりを探した。が、何一つ見当たらない。
何も心当たりがないということは、私の外側に何かがあるということで、それはありとあらゆる可能性を秘めているということである。
私にとってそれはただの不安にしかならない。
私は院長室まで重い足を引きづって歩いた。入り口のドアを二回ノックすると
「入りたまえ」
と落ち着いた声が聞こえた。
私は小さく「失礼します」と挨拶をして中に入った。
「おお、塩尻くん。急に呼び出してしまって悪かったね。仕事中ではなかったかい?」
明るい声に少しだけ私の中の安心が形勢を立て直す。しかし、内容を聞くまで緊張は解けない。
「いえ、私の担当する患者さんは先週で退院されたので、今はサポートに回っているだけですから。特に問題ありません」
院長の顔を見るも常に笑顔を崩さない。あまりにも模範的な笑顔なので、むしろ不安が蘇る。背中を汗が一筋流れる。その感覚がやけに鮮明に感じ取れて不吉の前兆にすら感じそうになる。
「そうか、それは良かった。立ち話もなんだ。座ってくれたまえ」
促されてソファに座ると、私はとうとう身動きさえ取れなくなった。体が動けない状況は反対に不安を刺激して膨張させていく。
「単刀直入に言おう」
と院長は対面のソファに座りながら言った。
変に緊張させることも嫌だったからなのか、それとも私への配慮なのかはわからない。
少なくとも私は身構えてしまう緊張を和らげてもらえた気がした。