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長い夜を歩くということ 8
思い返してみると「仕事がない」という日の過ごし方を私は知らなかった。学生の頃は研修と勉強に付いていくことがやっとで、先輩との付き合いを詰め込まれたら、私のプライベートなど入る余地はなかった。
私よりも優秀でかつ酒も女も満喫していた同級生もいたが、私は彼らのように要領よく、効率的な行動はできなかったし、そこまでの努力をしたいとも思えなかった。
医師として勤めるようになってからも勉強は続いた。新しい論文を読み、技術を覚えて、お付き合いはさらに増えた。
元々人付き合いが得意ではなかったが、嫌でも慣れてくる。しかし、潤滑油でスムーズに動くようになった歯車も、確実に摩耗はしていくことと同じで、ストレスはどうしても溜まっていく。
限界に近かった当時の私の脳では、その発散先をまともに考えることなどできなかった。選択肢は二つ。食事に走るか、女に走るか。それだけだ。
動物園を脱走したゴリラでも考えられそうな選択肢に思えたが、どう捻り出そうとしても当時の私にはそれが限界だった。
そして、私は先生たちとの付き合いもあって、その選択は女になることがほとんどだった。
しかし、キャバクラに行っても変に気を使って疲れ果てるだけであり、むしろ女性たちが周りに集まり、無理矢理話をしなくてはならない状況は、私にとっては面倒でならなかった。
セックスで欲を満たすという方向性は、それなりに運動としての健康効果はあったのかもしれない。
しかし、ストレスが事後の虚しさに変わるだけであり、それは健康と呼ぶにはいささか疑問だった。