機械仕掛けのコウノトリ 8
当時の私にはこの言葉を理解することはできなかったが、それがとても大掛かりな響きに思えて、やけに耳に焼き付いていた。
しかし、社会人になったあたりからその言葉の意味が少しずつ理解できるようになってきた。
自由という勘違いが給料の前借りに近いように、人を欲望と快楽に走らせる。
そして、それは後からしっかりと請求されることになる。
波が寄せては返していくことと同じだ。つまり、快楽、承認欲求、繋がり。それらを求めるあまりに、それらが自由であるあまりに、親としての使命が妊娠という形で発生する。
それは求めていないとしても拒否できないことであり、その先にある現実という茨道を進まなければならないということなのだ。
そういう意味での制限は、まだ幼い私たちにとってのセーフティーネットであり、ただ逃げれば済むだけの男性に対しても抑止力や足かせになるということなのだろう。
ルールになれば、罰することができる。
これは正しさの問題ではなく、人が納得できる構図だ。