長い夜を歩くということ 12
食事は部屋に持ってくるか、食堂で食べるかを選べたが、私は食堂で取ることにした。
わざわざ旅館に泊まりに来ているというのに、部屋の中に閉じこもっていたら、家と何も変わらなくなってしまう気がして少し怖かったからだ。
食堂の中に入ると、優しい暖色の光が四角い和紙の提灯を透かして天井から降り注ぐ。
昭和にタイムスリップしたような落ち着きのある空間に変わった。私は中央の八人掛けテーブルに座った。
部屋の中を見渡してみると、錦鯉のように綺麗な赤木で天井が組まれ、床は木目調を意識したタイルシートが敷き詰められていた。
私がそれら一つ一つを味わい尽くすように見ていると、薄桃色の着物を着付けた仲居がやってきたので、私は彼女に食事の引換券を手渡した。
彼女はそれを受け取ると、今日の献立と選択する料理について話した。
しかし、川のせせらぎのような柔らかい言葉遣いと対応に意識は虚となり、歩き疲れた私はほとんど内容を聞くことができなかった。
仕方なく
「おすすめでお願いします」
と笑顔で伝えた。
言った後に、かえって相手を困らせることになると気づきはっとしたが、彼女は何事もないように
「かしこまりました」
と応え、お辞儀をして厨房へ戻って行った。
彼女が向きを変えて歩き出す横顔は改めて見るとまだ幼く、上に見積もっても二十代前半ほどだった。
彼女の落ち着いた応対はこの旅館の指導の賜物であるのはもちろんであろうが、何よりもこの空間が作り出した品だと私は勝手に確信し、その恩恵に預かって少し休まろうと深く座り直した。