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長い夜を歩くということ 9
私の存在は病院の中にしかなく、敷地を一歩でも出たら、ただ少し金があるだけの無個性な人間だった。
しかし、金と肩書きがあるということは世間一般では分かりやすく何ものにも変えられない輝きであり、私は苦労することなく、二十八歳で結婚し、翌年には子供が生まれた。
早く家族を持ちたかったという思いもなければ、自分の子供が欲しかったということもない。本当にただのなりゆきだ。
結婚の際、女遊びがひどい同僚からは「モテるのにもったいねえな」とからかわれたりもした。「ああ、そうかもしれないな」と私は考えもせずにすらすらと答えると、彼は目を見開いて一瞬言葉を失っていた。
そして、何かを飲み込んでから「頑張れよ」と立ち去って行った。彼が何を思ったのかは知らないが、私はつまりそういう人間なのだ。
結婚したからと言って仕事が減るわけはなく、「夫」「父」の肩書きまでもついたことは、私には少々荷が重かった。
仕事柄、生活が不規則な私に対して妻は文句を言うことはなかった。しかし、すれ違いの摩擦音は日々膨らみ続け、家の中からは私という存在が押し出され、家に帰ると空き巣に入った泥棒のような不安すら感じることがあった。
しかし、それは同時に私にとって救いでもあった。人の期待と無謀を一手に受ける仕事を終えてから、家での役割までも求められれば、私はこの年まで生きていることはなかっただろう。
妻は聡明な人間であったから、私が浮気をするような人でないことやギャンブルにいきなりのめり込むほど愚かでないことはわかっていたのだろう。
そして、父親としての役割をできる人でないと彼女は予想していたのかもしれない。しかし、彼女にとって一番辛かったのは自分が母として、妻として、女として、一緒に暮らしているはずの私という人間に見てもらえないことだったのかもしれない。
もしかするとそういった感情の部分だけが彼女の誤算であったのかもしれない。そういう面で言えば、私は圧倒的に欠落していた。