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恋うということ

 こんにちは、霜槻です。

 突然ですが、皆さんには理想の恋人像、または夫婦像のようなものはありますか?

 ひとが恋人に求めるものは千差万別である、というのは周知の事実でしょう。顔の良さ、裕福さ、性格の穏やかさ、あげていけばキリがないですが、私が求めるのは、ただ、隣にいて安心できること、です。

 その人を見るとときめく、きゅんきゅんする、そういう、所謂“恋”というものに、触れたことがないわけではありません。まぁ、所詮小学校の時の話ですが、ほんとうに好きだった人と、数ヶ月のお付き合いをしていた時期もあります。
 ただ、好きだったけれど、上手くはいきませんでした。数年の片思いを経てどうにかたどり着いた関係は、半年も持たなかったです。多少なりとも好かれている自信はありましたから、たぶん、性格が合わなかったんだろうな、と思っていますが、彼が本当はどう思ってたのか、知る由はありません。

 少女漫画にあるような、楽しいこともありましたが、愛情表現があまり得意でない私は、時々、好きと言ってほしいと遠回しに伝えてくる彼に、居心地の悪さを感じることもしばしばあって。
 卒業で自然消滅した関係を思う度、お互い好きだったら付き合えるというわけでもないのだなぁと、しみじみ思います。

 どんなに好きでも、性格が合わない相手と付き合うというのは、疲れるものです。ただの恋人だったら、まだ、それでもいいかもしれないけれど、ずっと一緒に、などと考えるのならば、やはり居心地の良さや安心感を重視したいなぁ、なんて、思ったりしてます。

 オタク文化が公に認められ、むしろそれが普通のようになりつつあるこの時代、これを読む皆さんにも、“推し”なる存在がそれぞれいることでしょう。私もですが。

 これは私の勝手な信念のようなものですが、推しと彼氏は全くの別物です。推しがどれだけ自堕落な生活を送ったいようが、自分の生活に直接影響を及ぼすわけではないけれど、彼氏がサボりまくっていたら、自分の負担がどかんと増えます。
 しかしまぁ、逆に言えば、推しには理想を追い求めることができます。ただ顔が好き、それだけのことでも、癒しを得ることはできるし、好きな声、好きな容姿、そういうものだけで選ぶことができます。

 今の時代、好きな顔は推しが見せてくれる。でも、隣に自分を愛してくれる人がいるという安心感は、パートナーに求める他ない、と私は思っています。

 “恋う”って、なんでしょう。

 地元が「恋しい」とか、そもそも、“恋”と言う字は、恋愛に限った字ではありません。

 隣にいても、胸がきゅっと締め付けられるような恋の感覚はないが、代わりに、家以上の安心感を得られる、そんな相手を求めることだって、“恋う”ということ、なのではないでしょうか。

 好きだ! という、恋愛感情に正直な人を否定するわけではありません。ただただ、私の恋愛感の話です。

 世界一かっこいいと思うのは、推し。
 世界一好きな顔を持つのも、推し。

 でも、世界一隣にいたくて、世界一安心できるのは、この人だ、と自信を持って言える人と、一生を共にしたい。

 それが、夢見る一人の学生の、ささやかな願いです。

 今回の写真は、ある商店街の早朝、少し寂れた一角を切り取ったものです。
 ただこれだけじゃ、めちゃくちゃに綺麗だとも、きらきらしているとも思わない、よくある風景。でもなぜか、少し、懐かしさを思いおこされませんか?

 きっと、私のこれからの人生は、幼い頃の自分が想像してたような、きらきらと輝くものではないかもしれません。が、懐かしさとか、安心さとか、そういうものを感じることができるものであると思います。

 死ぬ直前に、ああ、私として生きて良かったな、この人と一緒に生きることに決めて良かったな、なんて、思えたらいいですよね。

 最後に。
 生涯の相方となる人へ。

 月が綺麗でなくても、死ぬときそばにいてくれますか?

 では。

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