3分で分かる僕のストーリー/生まれてから師匠に出会うまで
ストーリー
僕は東京都港区で生まれ、神奈川県の小さな田舎町で育ちました。幼少期は釣りやキャンプに行ったりと穏やかな暮らしをしていました。
小学校3年生でバスケットボールと出会い、近所のチームに所属するようになりました。その時のコーチはかなり厳しく、バスケのことをはじめ話し方や態度など様々なことを僕に教えてくれました。そのコーチは会社でCEOもやっていたので、そこでリーダーやビジネスに憧れを持ちはじめました。
優雅な暮らしの終了で家庭崩壊
記憶が曖昧ですが、小学生から中学生になった辺りで、人生における一つ目のターニングポイントがありました。
それは、両親の離婚でした。
当時、父親は会社のNo.2でしたが、社内の覇権争いに負けてクビにされてしまいました。そこから僕の生活は大きく変わっていきました。それまで家族として仲が良かったのですが、「お金」という問題で人は全くの別人になってしまうことを幼いながら理解できました。連日、下の階から聞こえる口喧嘩が頭に染み付き、夢にも出てくるようになりました。結局両親は離婚し、母親との二人の生活がスタートしました。
そして、外車やクルーズを楽しんでいた日々がお金に苦しむ日々と変わり、そのまま中学・高校・大学入学と平凡な毎日を過ごしていました。
大学で最高の友人と出会う
大学に入学し、僕は大学内のイベント企画委員会(名称仮)に入部しました。何となく将来に役立ちそうという理由でその委員会に入ったのですが、そこで同年代で凄く尊敬できる友人に出会いました。ここが人生二度目のターニングポイントでした。
それまで、同年代で尊敬できる人などいませんでしたが、初めて出会った時に彼の持つ意見や視点、活動への積極性など、純粋に「すげえな」と思ったのを覚えています。初めて会った日に彼と話すために「一緒に帰ろう」と声をかけ、そこから最高の友人となりました。
彼はその後、その委員会活動に魅力をあまり感じることができず、その委員会をやめてしまいました。僕も辞めようか悩みましたが、将来会社を経営したり、ビジネスをやりたいという気持ちがあったので、この規模(約80人)の組織でトップに立てないようでは、経営やビジネスはできないと考え、まず「委員会のトップに立つ」というのを目標に活動を継続することにしました。
自分の人生に悩み、迷い始める
そして、委員長となり組織をまとめ始めて半年後、ある講演家の動画を見て、「人生とは何か」を考えるようになりました。
その動画で次のような話しを聞きました。
「戦争中に生きていた先人たちは、家族と会いたいとか死にたくないという切なる願いも叶わない人たちが多かった。家族と会うことも死ぬことも自分の意志で決めることができない時代だったが、今はどうだろうか。やろうと思えば自分の意志で何でもできるのに何もやろうとしない。心の中では○○したい△△したいと言っているけど、何かと言い訳付けてやらない。
これでは、命をかけて今の日本の平和や自由を作り上げてきた先人たちに失礼ではないか。今を生きる人たちが先人たちに出来る唯一の恩返しは、今の時代を楽しく、自由に生きることではないか。」
僕はそれまで大学に入って就職をして、結婚して定年を迎える。そうして人は死ぬものだと思っていたが、その価値観が一気に変わりました。その価値観ができてから、「大学に行く意味」と「自分が人生で何をしたいのか」を考えるように変わりました。
『高い学費を払って単位をもらいに行くというおかしな世界』が大学内には広がっていて、『安定、安定といい、自分が本当にやりたいことをやらないおかしな世界』が社会には広がっているのが分かりました。
初めての権利収入!
そこから「自分が本当にやりたいこと」を探すために、価値観分析に基づき色々なことに挑戦しました。物販ビジネスやったり、本を出版したり、YouTubeをやってみたりと。その中で出版した本が売れて、87円の権利収入を得ることもできました。たった87円だったが、生まれて初めて『自分で生み出したお金』だったので凄く嬉しかったです。その後、月に数冊売れるようになり、その権利が今も続いています。そうやって、行動してどんどん新しい世界を知る内に、ビジネスの楽しさを感じるとともに自分が今いる環境に物足りなさを感じるようになりました。
自分が当時いた環境では、大学に行くこと・就職することが当たり前で、夢や高い目標を持っている仲間も少なかったので、もっと「自分のやりたいことを見つけ行動している同年代の仲間と出会いたい」と思うようになりました。
学生コミュニティの設立
そんな環境を探している内に、自分でその環境を作ればいいのではないか、と考えるようになり、僕の最高の友人である彼と久しぶりに会うことになりました。元々学生コミュニティは彼が1年ほど前に発案していたが、同時は僕も委員会活動が忙しかったので実現に至りませんでした。時を経て、当時計画していた媒体とは形を変え、学生コミュニティCASEを立ち上げました。それが2020年1月の上旬でした。その後、この学生コミュニティの最終的なゴールを定めることに苦戦していた僕ら2人は、ビジネスコンサルを目的として知人の紹介で今の師匠と会うことになりました。
師匠との出会い
そこで僕たちが出会った方は、様々な事業を手掛ける社長さんでした。社長さんとのビジネスコンサルは比較的すぐに終わり、そこからの時間はずっと人生相談をしてくれました。そして、僕らとその社長さんは『夢』や『ビジネスとして実現したいこと』を語り合いました。
その後も何度かお会いする内に、オーナシップやノウハウを学ぶために今、社長さんが手掛けている1つのビジネスに参加させていただけることとなり、その社長さんが今の僕らの師匠となりました。
知識をアウトプットする場としてのnote
当初は、師匠から教わっていることマインドやノウハウをアウトプットして、自分の考え方として定着させるためにnoteを書き始めました。
しかし、師匠の考え方やマインドはビジネスの場だけでなく、日常生活で非常に有効的に使えるものであると思いました。師匠の考え方やマインドをシェアすることで、少しでも多くの人の参考になってくれれば嬉しいです。