世界史から見た≪ラ・ボエーム≫

今までは基本音楽のことを中心として解説を書いてきましたが、心機一転して原作が作られた当時の社会状況や、オペラ台本から伺えるボヘミアンたちの話などをしてみたいと思います。推測だらけですので、お気軽にお読みください…(笑)。

 時を遡り、1789年からブルジョワジーを中心としたフランス革命が勃発、体制の変化を繰り返してナポレオン・ボナパルトが皇帝の座に就きます。領土拡張のためイギリス・ドイツ・ロシアを敵に回したナポレオンは敗れ、島流しとなりました。1814年に開かれたウィーン会議では、領土や体制をフランス革命前に戻そうという「正統主義」が採用されました。
 しかし、自由・平等・博愛を掲げた革命の精神は、元に戻すことは出来ませんでした。スペインの植民地だった中南米の国が独立したり、王政への反対運動が起きたりします。所謂「ナショナリズム」運動の勃興です。ルイ16世やシャルル10世が統治するフランス(「復古王政」といいます)では1830年に七月革命が起こり、資本家のルイ=フィリップを王位にすえることになりました。
 この王政はブルジョワジー(市民=富裕層)を中心とするもので、フランスの産業革命や資本主義化が進行しました。このルイ=フィリップの下でギゾー(Guizot)が首相として活躍しました。
 この頃覇権を握っていたのはイギリスです。産業革命に成功し自由貿易(関税のない民間業者も含めた貿易)を推進しながら、植民地の獲得に成功しました。1840年ごろにはアヘン戦争でイギリスは大国の清を大敗に追い込みます。

 さて、ここまでが原作当時の背景です。まずロドルフは原作ではトルコ人ですが、当時のトルコはオスマン帝国の支配下にありました。西欧の凄まじい近代化に危機感を覚えて、1840年ごろから「タンジマート」と呼ばれる近代化が進められます。勿論ムスリムの国ではあるのですが、地理的にも西欧の価値観などをかなり受容しやすい国でした。
 2幕にコッリーネが中国の珍本をポケットに入れている場面が出てきますが、これは英仏の中国進出による文化の交流が大きいでしょう。原作が出版された1850年頃は1852年にペルリが来日するように、アジアを自由貿易体制の中に組み込もうとする潮流の真っ只中だと言えます。ボヘミアンたちのような知識人のサークルでは、インターナショナルな文化が栄えてたのではないでしょうか。
 1幕の"Constituzional!"の場面では、立憲新聞(保守系)を素晴らしい紙質だと内容を皮肉るシーンがあります。原作でもオペラでも明示されていませんが、ボエームたちは七月王政に対して不満を抱いているのかもしれません。コッリーネが4幕で七月王政の大臣に選ばれたというのも、革新的な政治思想を持つと思われるロドルフォからすると、複雑な心境かもしれません。
 
 資本主義を推進する七月王政のもとでは、貧富の差は当然広がります。市民たちもパリでの生活の中にその格差を実感する機会が増えるでしょう。ミミやムゼッタは生い立ちは不明ですが、貧しい環境だったのではないかと思います。ボヘミアンたちは、そこに深く同情出来た所があるのです。
 ベノワなど家主や借金取りは、19世紀の小説では醜く描かれることが多いのです。資本主義社会の中では金を貸す仕事がより職業として成り立ち、被差別民族だったユダヤ人は活躍しました。しかしそうした人への嫉妬や憎しみは、19世紀も多くあったのです。例えばドストエフスキーの『罪と罰』でラスコーリニコフが殺人するのは高利貸しです。(この小説では娼婦のソーニャが信仰心を持つ清い女性として描かれています)『ボヘミアン生活の情景』の設定自体が、19世紀文学の特徴によく当てはまるものです。全章が1つの物語でないことも作者は明言しており、だからこそ複数形のScenesなのです。
 最後に、プッチーニはそうした背景を感じる余裕がないような設計をしています。ボヘミアンの情景を「描いた」原作のエッセンスを残しながら、ストーリーとロマンス仕立てを強調し観客に涙を流させるようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?