日常で私たちは「過去や未来の憂い」にまみれている、だから瞑想を習慣にしています

私が「瞑想」について語るなんて、「百年早いわ!」と自分で突っ込みを入れたくなりますが、本日は「なぜ瞑想するの?」のベースになる意識の状態について、少し書いてみようと思います。

世の中のスーパーハイパフォーマンスな人たちは、なぜ、「瞑想」(メディテーション)をするのでしょうか?

それは、私たち人間は、通常は、「過去の後悔や不満」「未来の不安・心配事」など、「今、ここ」で何が起きていて、何を感じているかよりも、「今、ここ」ではなく、過去や未来に意識が行ってしまっている、そのことで、

「本来の幸せを感じられなくなっている」「本来のパフォーマンスを発揮できなくなってしまう」からです。

例えば、朝の通勤途中で歩きながら、「来週の会議で失敗したらどうしよう…、そういえば、先月の大事な会議で失言したこと、あとで部長に嫌味を言われたけど、その後、それについてちゃんと話せなかったから、今、どう思われてるんだろうな・・・」なんていう風に、ふと考えている最中、目の前の景色も周りの音も、見ていない、聞いていない、あとで思い出そうとしても、どんな景色だったか思い出せない・・・そんなことが起きています。そして、そのように、意識が目の前から飛んでいることに気づいていないのが、普通の人の日常ではないでしょうか?

上では、少しネガティブな例で書きましたが、例えば、「今日のお昼ご飯は何食べようかな?昨日の昼ごはんが〇〇だったから・・・」とか「今日の〇〇さんの服装、素敵だな・・・先週のショッピングで気になっていた〇〇やっぱり買いに行こうかどうしようかな」とか、様々なきっかけで、過去や未来のエピソードや思考・感情を、私たちは頭の中で行ったり来たりしているのです。

そして、自分では気づかないうちに、「心配・不安に陥って」いたり、「情報・人の意見に振り回されて」いたり、「先入観で物事や人のことを判断」したり「視野が狭まってチャンスに気づけない」とか「ストレスや緊張に気づけない」とか「失敗体験にハマってしまう」ことが、それこそ、なんとなく気づかないうちに、いろいろと起きてしまっているのです。

アーティストやアスリート、経営者たちは、自分の意識の状態に敏感です。意識の状態が、判断やパフォーマンスに非常に影響するということを、経験上よく知っているからだと思います。

私の母は、書道家で、「本人の意識が作品の質にどれだけ影響するか」をいつも話していました。

かなり余談ですが、「考えながら書いた作品は、どんなにきれいな形をしていても、一切の価値がない」と母から小学生の頃に言われ、「そんなのムリムリ!私には芸術を目指す才能も資格もなさそう・・・」と内心でつぶやきなら、衝撃を受けたことをありありと覚えています。(その後、書道のお稽古を通して、いわゆる「フロー状態」を再現できるようにはなりましたが、)・・・あの頃のモヤモヤしていた私に「瞑想トレーニング」の方法を教えてあげたいです。

さて、話がそれましたが、自分の意識の状態は、単に「意識」するだけでは、自分で変えることは難しいため、様々な瞑想法で、意識をコントロールしようと先人たちが試行錯誤してきました。その試行錯誤の積み重ね、叡智が「瞑想法」です。(「瞑想法」と呼ばないものもたくさんありますが、ひとまずは「瞑想法」と括ります)

明日からも、瞑想が習慣になると、どんな意識状態やパフォーマンスが可能になるのかについてなど、諸々、書いてみようと思います。





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