コヤマ シュン

歴史を夢想する医療者 COVID-19最前線に置かれた医療を見つめなおす

コヤマ シュン

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マガジン

  • 「自由」を考え直す

    自由民主主義の危機が叫ばれる時代に「自由」を考え直すシリーズ

  • COVID-19シリーズ

    自分が書いたCOVID-19関連の記事をまとめています。

最近の記事

1. 自由民主主義への疑義照会(「自由」を考え直す)

 ウィンストン・チャーチル氏が 民主主義は実際、最悪の政治形態と言えるだろう。これまで試みられてきた、それ以外の全ての政治体制を除けばの話だが(Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time) と語ったのは、1947年のことだったそうだ。

    • 10. めぐる第3波

       第2波の落ち着きと共にやってきた仕事の波に忙殺され、筆を取ること自体に忌避感を覚えていたら、いつの間にかCOVID-19は第3波を数えるに至った。第1波の頃と異なる点は、対応する我々の側にある程度拡充された検査体制、有効とされる治療薬、そしてウイルスに対する朧気ながらもまとまった知識があることだろう。  実際、国立国際医療センターの忽那先生が既に第2波の段階で、世界的に死亡率が低下していることを指摘している。ただ第3波においてもなお、感染者の増大が対応する医療機関の医療資

      • 9. 「描かれない」ことから読み解けるもの

         東京国立博物館にて特別展「桃山―天下人の100 年」が2020年10月から開催予定だ。狩野派が一世を風靡し、その後江戸時代を通じて活躍する基盤を築いた頃だが、長谷川等伯や俵屋宗達、海北友松といった画家たち、そして本阿弥光悦や千利休といった文化人たちに、織田信長や豊臣秀吉といった武将たちが関わり、多くの偉大な美術作品が世に残された。開催時点でこのウイルス騒動が落ち着いていれば、なんとか赴けると思うが、果たして……。  この時代の画家たちが至った境地の一つに、敢えて絵に描かず

        • 8. 知識伝承と部族社会

           核家族化の波が社会を覆って久しいが、僕の幼少期にはまだ祖母の家が近くにあり、共働きの両親はこれ幸いと、祖母宅に幼い自分を学校帰りに放り込んだものだった。その頃は理解できていなかったが、恐らく「家の歴史」というものを染み込ませてもらう存分な機会を設けられたのは、この時世においては大変贅沢だったのではないか、と今になって感に入る。  勿論、インターネットを介して、今や家にいながらでも地球の反対側でさえつながることができる時代だ。況や祖父母宅をや、とも言える。情報はグローバル化

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        • 「自由」を考え直す
          1本
        • COVID-19シリーズ
          10本

        記事

          7. 同時代性が喪われたあとに残るもの

           同時代性の持つ共感の羽衣が剥ぎ取られたとき、そこに残るのは冷徹な事実だけである。時を経て歴史に審判が下されるとき、我々に出来るのは残された事実と厳粛に向かい合うことだけだろう。例えばイギリス首相であったネヴィル・チェンバレン氏は、ミュンヘン会談当時、宥和政策により戦争を回避したことで称賛された。だが現代においては、宥和政策自体が第二次世界大戦の要因と考えられるようになった。その後、イギリス首相を引き継いだウィンストン・チャーチル氏の功績もあり、第二次世界大戦はなんとか世界に

          7. 同時代性が喪われたあとに残るもの

          6. 境界線と距離とグローバリズム

           米中対立の時代、その激しい波に世界が巻き込まれている。特に香港は一国二制度の廃止、そして引き続き中国の直接的な介入に伴う混乱など、その爆心地として翻弄される運命にある。もちろんその最前線では、いまだ旧来の香港の価値観を守ろうと躍起する人々がいて、8月初頭の今日も、そこかしこで政府と人々のせめぎ合いが起きているに違いない。尤も、いまや中国国外の民主活動家にまで国家安全法が適応されるようになり、しかもその中には米国籍の人も含まれるという。BBCによると、「雨傘運動」の発起人の1

          6. 境界線と距離とグローバリズム

          5. 比喩から推論へ

           人間は自然から文化・知性へと移行する際に、どのようなトリックを要したのだろうか。クロード・レヴィ=ストロース氏は『今日のトーテミスム』(みすず書房)の中で、ジャン=ジャック・ルソー氏の記した「言語の歩み」に関する記述:  人をして話さしめた最初の動機は情念であったため、人間の最初の表現は比喩であった。比喩的言語がまず誕生し、本義は最後に見つけられた。(中略)初めは、人は詩のみで語った。推論することを思いついたのはずっとあとのことだ。 を引用し、「知覚の対象とそれが呼び起

          5. 比喩から推論へ

          4. Go to キャンペーンの波間において

           第一波において外出を控えるように勧告が出ていた頃は、飲食店がむしろ自主的に休業されていた。そのせいか都道府県間の往来が解除され、徐々に街中のお店に明かりが戻ってきても、一時期は外食すること自体、なにかしら後ろめたさを覚えるほどだった。  とはいえ、今や東京では連日200-300人を超える陽性者が検出されるようになり、正直すでに第一波を上回る勢いでCOVID-19が猛威を振るっている。その他地域でも陽性者が増えてきたが飲食店の休業どころか、かたや政府が結局「Go to キャ

          4. Go to キャンペーンの波間において

          3. マスクとマクロ構造的状況の変化

           トランプ大統領が公の場でマスクをする:たったそれだけのことが事件として扱われるなんて、因果な世の中に生きているものだ。ほんの数か月前まで大半のマスクは、風邪なり花粉症なりといった健康を害する疾患を抱えていることを意味していた。たとえ医療関係者や一部の清潔観念が強い人のみが、予防的に着用することはあったとしても。  今やマスクは健康を守るための障壁であり、それをしていないことがむしろ周囲の健康を害する心配を与えかねない存在となった。込み合った公共交通機関なんかだと、マスクを

          3. マスクとマクロ構造的状況の変化

          2. 危機における政治家

           この文章を書いている7月中旬といえば、本来ならば祇園祭。八坂神社とその界隈が活況を呈する頃合いのはずだった。最大の見せ場である山矛巡行が無くなるなど、行事が縮小されざるを得なかったのは致し方ないだろう。それでも一部神事がしめやかに行われる運びとなり、伝統が受け継がれていく道筋が途絶えずに済んでなによりだ。  祇園祭の由来に関しては、「梅原日本学」で名高い梅原猛氏が『京都発見 🈔路地遊行』(新潮社)において、社伝の『祇園社本縁録』を元に下記のように記載している。  貞観十

          2. 危機における政治家

          1. COVID-19:第二波が高まる最中に

           COVID-19の第一波が来たとき、社会は「Point of no return」を越え、今やそれ以前の社会には戻れないのではないか、と思ったものだった。しかしつかの間の緩和期のせいだろうか、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったものだ。結局この7月には第二波が成立し、今や東京での感染者は連日200人越えをたたき出しているにも拘わらず、人々は舞い戻ったCOVID-19以前の社会行動を完全には断ち切れないようだ。  もちろん、一部の企業では恒久的なテレワーク対応を見据えた対

          1. COVID-19:第二波が高まる最中に