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19歳の“初期衝動”が“ビジネス”に変わるまでVol.08

〜前回までのあらすじ〜

2002年、当時19歳だった僕は、彼女のノンちゃんと一緒にブランド“banal chic bizarre”を立ち上げる。様々な取引先にお世話になりながら売上を伸ばしていき、2005年に原宿に直営店“ADD”をオープンさせる。しかし、オープンから1週間経ち売上はまだゼロであった。




2005年10月


オープンから一週間経過し、売上ゼロという悲惨な状況でありながらも僕は何故か少しも焦っていなかった。


それは巻き返せる自信があったからでは無く、ただ根拠もなく何とかなると思っていた訳でも無かった。


元々、僕は店を始める事を目標としていた。


その為に始めたブランドが思いの外ヒットし、早々に店を構えるという夢が叶ってしまった。


僕は店に立ちながら、達成感を味わい満足していた。


オープン後に店をどうしていきたいかなんて全く考えてなかった為、僕の旅はお店の開業と共にエンディングを迎えていた。


お店には相変わらず沢山のお客さんが足を運んでくれたが、ロクに接客をしない僕の対応のせいで、日に日に集客も落ち込んでいった。


10日ほど経ち売上はまだゼロである。


その日、一人の僕の友人が店に遊びに来てくれた。


“たっちゃん”と呼ばれていた彼は当時、中目黒の人気セレクトショップ“ワイングマンワッサ”の店長を務めていた。

余談だが、ワッサと同じチームがデザインしていたバッグブランドの“LORINZA”は大ヒットを連発し、僕もメッセンジャーバッグを愛用していた。


たっちゃんはこの業界で初めて出来た同い年の友達だった。


僕よりも接客経験が長かった彼は店に入るなり全体を見渡しこう言った。


「中ちゃん、店の調子どう?」


僕は売れてないと正直に言うのがどうしても嫌だったのでこう返した。


「まあぼちぼちかな」


たっちゃんはそこから僕の店の話では無く、自分の店の話をいくつかしていき、最後に古着のラックに掛かっていたブルゾンをレジに持って来てこう言った。


「これ買うよ、いくら?」


彼の服のテイストからしてそこまでその服が欲しいように思わなかった。


初めてのレジ作業でテンパッていた為、彼が帰ってからすぐ気付いた。


売れてないのわかって買ってくれたんだなと。


もしかしたら自分の店の話も、無駄にプライドの高い僕へ経営のヒントを教えてくれたのかもしれない。


これがADDの最初の売上になった。


友の優しさと自分の不甲斐なさを痛感し、このままふわふわやってたら色んな人に失礼だなと気付かされた出来事だった。


これ以降、少しずつ売上を作れるようになり、いつの間にか3ヶ月が経っていた。

少しは売れるようにはなったものの、まだまだ赤字である。


ちなみにオープン最初の月は今まででワーストの数字を出している。

過去最高の来客数で過去最低の売上を出したのが2005年10月の結果である。


この頃、次の展示会(2006 S/S)を迎える事になる。


場所は、店をそのまま展示会場として使用した。

展示会はバイヤーのみを対象にしていた為、展示会中は臨時休業としていた。


このシーズンも量産とカスタムが半々の構成。


ミリタリーJKTのカスタマイズ。

チュールのスカートはノンちゃんが自分で作った。


スウェットは後染めしてから手刷りでプリント。

ワイドシルエットのデニムパンツは工場で作ったもの。



ミリタリーJKTのカスタムの大きい方のサイズ。

赤いボンテージパンツは工場で。

座ると痛いのが難点。


キャミソールはシャツ、ワンピースと3バリエーション展開。

スラックスはボンテージ仕様にしたカスタム。



カットオフしたTシャツにブリーチ加工したアフガンストール。

デニムは製品を一点一点ブリーチした。



この頃、タンクトップやTシャツはボディから作るようになる。

プリントは手刷り。

BDUパンツはハトメを多用したカスタム。



特注のトグルを使用したコルセットジャケット。

メンズ需要ばかりのブランドなのにレディースアイテムが結構多い。

ネックレスは生産時に余ったファスナーを使った。

アップサイクルはこの時から比較的得意分野。



直営店は調子が悪くても全国の取引先のお陰でブランドとしての売上は悪くなかった。


それもあって相変わらず金銭的な危機感が無かったのがADDを続けられる大きな要因だったように思う。


この頃、ウチの顧客さんの中で一際派手で目立ってる女の子がいた。


いつも彼氏と一緒に遊びに来るその子はとてもシャイで、見た目のド派手さと振る舞いにかなりのギャップがあった。


ギラギラのエナメルのジャケットにカエルのぬいぐるみ型リュックを背負って、大きな伊達メガネを掛けている彼女は、僕に何か話がある時には、まず彼氏にコソコソと耳打ちして、彼氏が僕に話を伝えるというぐらい、全くもってコミュニケーションが取れない人間だった。


カップルの名前は、さっちゃんとたけしくん。


ただ、そのシャイガールさっちゃんのファッション偏差値の高さはかなりのもので、スナップ雑誌FRUITSには1冊に2.3スタイル載っているような子だった。

この雑誌は同じ子を重複して滅多に載せないので、これはかなり異例の事だった。


ある日、二人が店に遊びに来て、いつものように帰っていったと思ったら、たけしくんの方だけ店に戻ってきた。


「あの、すみません、さっちゃんが働きたいって言ってるんですけど、、、」


たけしくんが僕に気まずそうに言う。


話してる印象で彼は頭が良くて空気が読めるのがわかっていた。


たけしくんが気まずそうな顔をしているあたり、「これ僕が言うべきじゃないのはわかってますが察してください」的な空気がプンプン漂ってくる。


「とりあえず、本人呼んできてくれる?」


僕がそう言うとそそくさとさっちゃんが店内にやってきた。


「さっちゃん、ウチで働きたいの?」


僕のこの問いに、さっちゃんがハッキリと答える。


「はい、働きたいです。一番働きたいところ落ちたので、ここで働きたいです」


「……」


さっちゃんはシャイで正直者なのだ。


店の売り上げが芳しくなかったので人を雇うなんて全く考えていなかったのだが、人を雇うというステップを経験してみたかったし、何よりさっちゃんとたけしくんの事がお気に入りだった。


僕はスタッフとしてさっちゃんを迎え入れる事にした。


店が僕とさっちゃんの2人体制となり、早々にもう一名加入する事になる。


地元の後輩のユウヒがスタッフになった。


ユウヒからはオープンしてすぐから働きたいと言ってもらっていたのだが、僕が中学生の時からの知り合いだという事もあり、なあなあの関係にならないように、先に大手セレクトショップのスタッフを経験してもらい、それからウチに入ってもらった。


桃太郎のように一気に仲間が増えていったが、数ヶ月この2人と共にADDを運営していく事になる。


そして、早くも次のシーズンの展示会(2006 A/W)の時期を迎えていた。


このシーズンはカスタムの割合を3割ほどにし、工場生産の割合を上げていった。



ロング丈のライダースジャケット。

今まで自宅でなんとか撮影していたが、このシーズンはADD内で撮影。

相変わらずモデルを使うことが頭にないので自分達で撮影。



エポレット付きのテーラードジャケットとオリジナルカモフラージュのセットアップ。

ショーツはリバーシブル仕様。



クラッシュ加工とブリーチ加工に手刷りでプリントを加えたTシャツ。

バッグはパターンミスって持ち手の向きが変だったが、そのまま進行した。



手刷りでオリジナルの紙幣をプリントしたパーカー。



台襟が高く、襟もでかいショートトレンチ。

パンツは袴に着想したワイドパンツ。



セッズがよく作る、パラシュートジャケットを作成。

パンツは極端にカーゴポケットの大きなスキニーパンツ。


先シーズン同様、直営店以上に取り扱い先が好調だったので、このシーズンも比較的調子が良かったシーズンだった。


この頃、肝心の直営店はというと、僕は相変わらず少ししか売れず、さっちゃんは人見知りが徐々に無くなってきたものの少ししか売れず、ユウヒはチャラいので適当さが目立ち少ししか売れず。


3人揃って少ししか売れないチームだった。


家賃分は稼げてるけど、給料は少なめといった感じで一年が経っていた。


逆に一年持ち堪えたという見方も出来るが、まだまだ黒字化への道のりは長いように感じていた。



続く

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