自分の好きなことを考えよう
先日NewsPicksで見た,『「何者かにになりたい」と焦るあなたへ』という記事がすごく面白かった.
実際の記事を以下に載せた.
これは,社会の第一線で活躍している人たちが,もう一度,キャリアのスタートラインに立ったらどうするか?というテーマで連載されている記事である.
著者いわく「何者か」になること自体,本来は良くないことなのだよ,と.
「何者か」になれてしまう方が危うい,と.
著者は,世界の見方を普遍と固有の2通りあると言っていた.
自分なりの言葉で簡潔に言うと,
普遍⇒誰にでも分かる価値
固有⇒自分だけが分かる価値
である.
人間は誰しも他者に認められたいという承認欲求を持つ.
だから,普遍,つまり誰にでも分かる価値を求めて邁進するだろう.
だが,著者はこの考え方に対して否定的な態度をとる.
著者はうつ病を経験する中で,普遍の世界で得た価値がいずれ消え去ることを知ったそうだ.
普遍の価値を以て自身のアイデンティティを確立してしまっていたがゆえに,その何もかもを失った時,自分自身の固有の価値を見失ってしまったのだと言う.
他者の価値の中で生きることを選択してしまっている時点で,あなたはあなたの人生を生きていないことになる.
だから,家族・友人との関係性,あなただけの感情,好きなもの・趣味・推し,なんでも良いが,自分だけの価値を大事にすべきなのだと,著者は主張していた.
それらが,人生を最期まで彩ってくれるモノたちであるからだ.
目から鱗だったなぁ,初めて読んだときは.
でも,確かにそうだと思う一方で,自分が今これを書きながら,本当にそうなのかなぁ,とも思い始めている.
結局,人間は普遍の世界で生きている,生きていかなければならないという事実がある以上,誰にでも分かる価値もある程度は重要なんじゃない?ということを考えている.
もちろん,固有の価値も大事だけど.
固有の価値だけでは世の中生きていけないじゃん,ということを主張したい.
そういえば,アドラー心理学で有名な「嫌われる勇気」でも「承認欲求を否定せよ」という中身の話があったことを今思い出した.
本質は同じような気がするが,実際どうなのかは,もう一度読んでみないとわからない.
自分の勉強,理解が足りていないだけなのか,それとも,やはり「何者か」になるために普遍の世界で生きることを否定し,固有の価値を大事にすべきであるということは,単なる理想論の一つに過ぎないのか.
面白くて難しい.
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