元気にしています
面白い文章を書こうと意識していた頃もあったのだけど、最近はそうした文章を書くこともなく、淡々と日々の記録として文章を書くことが多い。エッセイばかりを書いていた頃、その作風に慣れてしまったせいか物語のような文章の書き方を忘れてしまうことがあった。
上手に比喩表現を使ったりすることは似ているのだけど、読み返してみるとエッセイや詩のような言葉を無意識に選ぶようになっていたので、あまり書かないようになったのだ。
このnoteは意外にもたくさんの方に読んで頂けているようで、僕のnoteを読んでいると知らせてくれる友人や知人が多いことにびっくりしている。表面的な人間性とは裏腹に、ここに存在する自分という人格は、どの分人の集合体とも少し違う。
喩えるならそれは、心の奥底で胡座をかいてポテチを頬張っているような人格なので、それを見られているというのはどこか気恥ずかしさを覚えてしまう。とは言え何の役にも立たない文章なのに、面白いと読んでくれていることが嬉しい限りである。
とてもありがたいことに、遠くに住んでいる友人から「元気にしているか」と連絡をもらうことが多いので、ここに残しておこうと思って今日は文章を書きはじめた。
最近はとても元気に過ごしています。みんなは元気にしていますか?
もし元気だったら、また暇なときにでも連絡してくれたら嬉しいです。
元気じゃなかったら、人にはそんな時も必ずあるので、ゆっくり暖かく過ごして、元気になったときにでもいつでもまた連絡ください。
時に連絡をくれても返事をしないこともあるのだけど(一番タチの悪いタイプである)、それは連絡を保留にしているに過ぎないので、あまり気にしないで欲しい。
*
保留にする、というのはネガティブに捉えられることが多いのだけど、個人的にはどちらでもないニュートラルな言葉の印象である。英語ではペンディングと言い、ビジネスの用語としても使われるシーンが多いことだろう。
物事をすぐに解決、決断せずに、一旦宙ぶらりんのままにしておくこと。現状のままで留めておくこと。つまり、後に戻っているわけでもなく、先に進んでいるわけでもない。返事を現状のままに置いておくことで、会話をそこに留めているのだ。
僕はその返事をずっと保留にしておいて、一年後に返事をしたとしよう。それはつまり、二人の関係性は後に戻ることも、先に進むこともないままの関係なのだ。流れていく時間のなかで、関係性だけはそのままでいる。
今を生きる僕たちは様々な決断をしながら暮らしている。会社を転職したり、引越しをしたり、友だちとご飯にいったり、彼氏彼女ができたり。それでも保留にしているその関係性は、ずっと変わらない保留のままでいるのだ。膨らんだ風船はそれ以上膨らむことはなく、萎むこともない。
何が言いたいのかというと、そういう関係性を保てることこそ僕は大切なのではないかと考えている。そうした友人がどこかにいるということだけで、心は自然と和らいで、嬉しさを覚えるものなのだと思う。
何事においても、すぐに決断をした方がいい場面と、そうでない場面があるのではないだろうか。例えば言葉。言葉を考えるとき、ゆっくりと寝かせる方がいいと僕は思っている。寝かせている生地が少しずつ膨らんでいくように木陰に芽吹いた若葉が日の光に照らされて、緩やかに葉を開くように、言葉を熟成させる方がいい。
枝葉に滴り落ちた雨粒はゆっくりと幹を伝って地を濡らし、やがて地中深くでちいさな水脈を作っていく。数ヶ月、数年、数十年と月日が流れていくうちに、その水は湧水となって溢れて流れていくのだ。言葉を紡ぐということを、そんな風に捉えてみると面白いかもしれない。
つまり、保留にしている関係性がいま、地中深くでちいさな水脈を作っているところだったとすると、それはいつか必ず数ヶ月、数年後にでも湧水となって溢れる瞬間がやってくる。滴り落ちる時間が満ちるとき、必ずやってくるのだ。その時、これらの過程のなかで熟された言葉たちは様々な感情となって溢れていくことだろう。
例えるのがとても苦労したけれど、要するに、久しぶりに会った方がめっちゃ楽しくない?ということだ。積もった思い出話をたくさんして、久しぶりだから早く会いたいという気持ちが湧いてくる。保留にしていた関係性は水が溢れた瞬間、ぐっと深まるように喜びを分かち合ったり、時に悲しみを共有したりする。
毎日会う友だちもいいけれど、僕はそういう関わりの方が好きだったりする。本当に友だちと呼べる人は多くないからこそ、たまに会うくらいがちょうどいい。元気にしてるかな?と想像できる余地がたくさんある方が豊かな関係性のような気がしていい。
そして、保留にしている間、そうした価値観を分かち合えているような気がして嬉しいのだ。「待つ」ということを楽しみにできる。だから、返事を保留にしておくのも悪くはないなと思う。
今日はちょうど久しぶりに連絡を取った友人がいたので、そんな風なことを考えていた。「久しぶりに連絡を取った」は少し格好をつけ過ぎたので、平たく言うと僕がずっと去年から連絡を返していなかっただけである。
またどこかで近況報告します。おやすみなさい。
ここまで読んでくださってありがとうございます。 楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。