2022
朝。この頃は22時に寝て6時に起きる生活が習慣になって、健やかな日々を送っている。12月も寝ているうちに過ぎ去り、1月の朝がやってきた。窓に映る富士山は薄い青に溶けていたが、朝日が射すとその輪郭はくっきりと映し出され、その凛々しい佇まいはまるで時代劇の幕開けのように美しく映った。
けれど、年が明けたという感覚はまだ消化できていないままでいる。今年という単位をあまり上手に区切ることができなくて、その境目が曖昧な地続きのなかで暮らしている。山梨に来てまだ日が浅いからなのか、春がやってくるまでは、時間で何かを区切ることへの難しさを感じているのかもしれない。
大都市に住んでいると人に溢れて街は賑やかに着飾るから、その場の雰囲気で正月やクリスマスといった行事を実感することも多いだろう。けれど、僕の住んでいる周辺では特に何も変わらず、人の歩く姿も見当たらない平穏な日常が続いているだけだった。
実家に帰るという行事はできないけれど、以前付き合っていた彼女の実家に通っていた時は、とても懐かしい心地がしたのを覚えている。おじいちゃんやおばあちゃんがいて、孫がいて、みんなでこたつを囲んで水炊きを食べた。孫が持ち出してくるおもちゃに永遠と付き合わされて、誰が見るでもないテレビがずっと部屋に流れている。おじいちゃんが免許を返納しただとか、いとこに彼女ができたとか、そんな他愛のない話をする。子どもの頃はそういう風景があったのだけど、いまではもう随分と遠い記憶となっていた。いつか自分に子どもができたとき、そういう風景を見せてあげられないのを残念に思う。
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このnoteを書くのは久しぶりだ。たまにいいねをくれる懐かしい文章を読み返して、ふと文章を書きたくなったので、近況を残しておくことにしよう。
最近はとても元気に過ごしている。年末年始は会社の休みが多くあったのだけど、やるべきことを何かとしていると、休みと呼べる日は大晦日と元旦のみになっていた。それでも毎日健康に過ごせているのは、早寝早起きが習慣になっていることに、ご飯をあまり食べなくなったことが理由だろう。たまにファスティングを行ったり、スムージーを摂ったりすると体はどんどん軽くなっていった。
一日三食というのがもともと多いらしい。現代では食事を取り過ぎているのが問題であると、どこかの本で読んだことをきっかけに、常にお腹を空かせておくことにした。少食である方が経済的にエコで、心身ともに活発になり、長生きをするという実例があるようだ。けれどご飯を食べるのは好きだから、食べたいときにはしっかりと食べ、基本的には腹八分目ほどに抑えて食事する。何事も極端に制限すると長続きしないので、適度に自分のルールを設けながら、楽しく続けられることを目指している。実際に心身ともに健康的であることを実感できているので、成果が生まれると何事も嬉しいものである。
つい先日までやる気のない日々をずっと送っていた。ぐうたらと日々を過ごしているうちに、人間に備わっている生存本能なのか、唐突に頭を金槌で殴られたような衝撃が走ったのだ。このままではまずいというメッセージを、心のどこかから送ってくれたのだろう。その瞬間から体はぐっと起き上がって、唐突に様々なことを考えはじめた。
暮らしのこと、将来のこと、お金のこと。生きていることについて、これからどう過ごしていくのか。やりたいことを持って真剣に考えて行動すれば、きっと未来は変わるのではないか。何も行動していない自分を叱咤するように、あれだけやる気のなかった自分がすぐに行動をはじめたのだから、びっくりである。
その日からまず私生活を改善することを考え、ご飯を減らし、早寝早起きを習慣化させ、たまにランニングをしたりして自分の時間を朝にきちんと確保するようにした。携帯も格安simに切り替えて、必要最低限の装備にした。携帯に時間を取られるのが嫌だったので、データ通信量を制限することで物理的に使えなくすることにしたのだ。それから投資をはじめるために株について勉強して、証券口座を開設し、貯金を投資に回すことにした。一度動きはじめると、水を得た魚のようにすいすいと行動が進んでいく。
お昼は弁当を作ることで食費を抑え、再来月には安いアパートに引越しを考えている。お金については、住宅費というサブスクが大きな課題になっていると考えた。きちんと行動できれば自然と暮らしはどんどんと健やかになっていく。必要なものと、そうでないものに区別をつけ、自分のための時間を確保する。地域にいると物欲を刺激するものもないので、最近では自分を律して節制することに楽しさを見出している。継続させるためには、苦にならず楽しめる程度の習慣を作ることが大切だろう。
このまま続けることができれば、再来年には目標のお金が貯まるので、また大きな行動をしようと計画している。もし失敗したとしても、人生ゲームの振り出しに戻るのマスと同じように、また一からやり直せばいい。最近、昔に友人がお金なんてどうにでもなると言っていたことを思い出すことがある。その当時はそうでもないと思っていたけれど、いまはその気持ちがわかるように思う。成功でも失敗でも、まだ若いうちに多くの経験を積んでおく方が人生はきっと豊かになるはずだろう。近況の報告を含めて、自分の意志を公言しておくためにも、ここに残しておくことにした。近い将来が楽しみである。
いまは、生きていることにとてもわくわくしている。将来について考える余裕がある。生きている意味について自分に問うこともない。日々の習慣を少し改善しただけで、心はとても健康的になっていく。けれど、また憂鬱になる日々が必ずやってくることも知っている。やる気の出ない日々は、必ずやってくる。それでも人間はそうやって生きていくものなのだと思う。明けない夜はないのと同じように、心もまた、明けない夜はないのだろう。何となくそう呟くと、少しだけ元気になれるような気がした。
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そういえば毎年、年の初めに目標を立てていた。思い出さないと思い出せないような程度のちいさな目標である。今年は何にするかを全く考えていなかったのだけど、この文章を書いているうちに何となくその言葉が浮かび上がってきた。
今年は、慎ましくあることを目標にしよう。30歳のはじまりは、慎ましくあること。生きるとかではなく、あること。セリの「貧しくても高潔」という花言葉が好きなのだけど、質素でも豊かに生きる知恵をしぼって、楽しく健やかに暮らすことにする。
いつも読んでくれているみんなも、今年一年変わらず、楽しく健やかに暮らせることを願っています。
京都の頃、coyoteというお店を始めて、バリスタとして大会に出たり切磋琢磨した友人が遊びに来てくれた日。一勝一敗のまま引き分けているので、またいつか大会で勝負したい。長野の諏訪湖へ行った。
ハタオリマチフェスティバル。1000年以上の文化を持つ機織りまちである富士吉田の、伝統的な産業を残していく意図もあり開催されているイベント。ずっと好きだったwater water camelのライブに感動した。知り合いがたくさん出店していた。今年は出店しよう。
作家の小原さんと、イラストレーターの佐治さんが来てくれた日。この後、mountain bookcaseの石垣さんとみんなで小籠包を食べた。
一箱古本市に出店した日、隣が知り合いだったのでチェスに興じていた。たくさんの人が本を手に取ってくれて嬉しかった。右が僕。
京都の友人、kurasuというコーヒー屋のあやかちゃんが遊びに来てくれた日。社長になったと聞いてびっくり。GOOD SENSEのこうたくんの家で、汲んだ湧水でコーヒーを淹れた。目の前には鶏小屋があってとてもいい家。
京都の友人、写真家の文香ちゃんが遊びに来てくれた日。秋だけでイベントなど2回は家に遊びに来てくれている。この日、lucaさんのライブに感動した。民謡に興味を持った日。
京都の友人、さきちゃんとなぎくんに会いに新潟へ遊びに行った日。僕が24歳の頃?個人でやっていたコーヒーのイベントに参加してくれて、それからもう6年が経って、二人は結婚して新潟へ。時代の変化はすごい。
奈良に住んでいた日。写真をまったく撮っていなくて、近くに咲いた桜の写真だけ手元にあった。奈良は過ごしやすくて好きな街。山梨がほどよい田舎なら、奈良はほどよい都会である。
城崎で明けた今年。遡ってみると、まだ1月には城崎にいて、免許合宿にいっていたのが驚きである。もうすぐ初心者マークが取れる。この一年いろんなことがあったけど、思い返すといろんな友人が会いに来てくれていた。とても嬉しい。
遠くにいても、noteのフォロー・フォロワーであっても、ゆるい繋がりは大切にこれからも過ごしていきたい。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ここまで読んでくださってありがとうございます。 楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。