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新しい人たちと
不登校を4年経たのち、通信制高校への進学を選んだ娘。昨日と今日が高校の学年末テストで。この1〜2週間ほどは誰に言われるでもなく、せっせとひとり、勉強してました。
しっかり勉強しないと単位が取れないのだと知って、自分で必要を感じることが出来たみたい。まあね、現時点で仕事に就いているわけでも起業しているわけでも、なんでもないから。さすがに、まずは高校を卒業しないとね、と。肌でわかってきたのかも。
娘、勉強するのがよっぽどに嫌いで。小学生の頃は宿題をするだけでも、舌を噛んで死んでしまいそうになってました。
勉強など、天地が揺らいでもやりたくない!という頑固さ・自由さがあると同時に。善悪や、人の目に、強く囚われるタチで。
「宿題をせずに登校するなんて、もってのほか!言語道断!!」と、
宿題をしない自分を、許さない。
そうした自ら生じる歪みに、自分でついていけずに。板挟みになって。発狂していたのかな。
それを必死になだめるのが、当時の私の役だった。
学校のテストでは、いつも80点以上で取れていて。習ったことができない、という様子はなかったのですが。人って、「できる」と「好き」は、別モノなんだな。そして、「好きでもないことをやらされる」って、それは
拷問だよね。
好きでもないこと・やりたくないことを無理矢理やらされて「うれしい人」など、存在するわけがない。
やりたくないことをさせられて、人が「いきいきと生きれる」 わけがない。
そして、「人に拷問を施していい人」など、 存在するはずがない。
不登校が始まったのち、ほどなくして中学生となったので。学力低下を恐れて、必死こいて娘の勉学に介入したのですが。暖簾に腕押しのようなやりがいの無さと、私自身の果てしない疲労困憊に気付いた時、ようやく、そこ ↑ に、行き着きました。
・・・あ、そうか。「やりたくない」って、娘が全身全霊をもって示しているのに、それなのに強いるからこその。この疲労なのね、と。
やれやれ、笑、と。
とてもシンプルだったんだ。
「やりたくない」と、相手が言っているのに。それを無理矢理やらせようとするほうが、おかしいね、と。
例えば、闇バイトなんてしたくないって言ってる若人に、無理矢理闇バイトさせたら。それ、「罪」だ。
他の誰でもない、私だって。自分のまったく興味のないこと、やりたくないこと、自分の道に反することを、「やれ!!!!」と脅されて、無理矢理させられるのって。それは、地獄だ。
生きる地獄だ。
子が大事なんだ大事なんだと言いながら。
【その子】に、拷問を施していては。 ダメなんだよな。
子が大事なんだと言いながら、
じつは子を自分の思うとおりにしたいだけ/自分が安心したいだけ、なんて。
自分の ふるい、ふるい、 経験(価値観)を
私が見たこともないような「これからの世界」をつくっていく人たちに、なすりつけるなんて
もってのほかなんだ。
悪気があろうがなかろうが、相手の嫌がること/相手が傷つくことをしていたら。それは、してはいけないこと。
子どもたちに、「しあわせになってください」、と思うなら
その言葉どおり。子が、笑ってること、しあわせになる方法を
必死こいて、一緒に考えたり。サポートする。
それが、順当だな、と。 思うようになった。
子が、ひとり、ひとり、あまりにも違うから。
個性が、ひとつ、ひとつにあるから。
そして、同じひとりの人間でも、「刻一刻」と変化・成長してゆくから。
だから、しあわせになる方法が、ひとりひとり違うし。同じ子でも、刻一刻と、サポートの仕方が変わってくる。
そんな難しいものを、私は習っていないから。
これまで誰も、そんなものを、ただの一度も、教えてくれはしなかったから。知らないから。
だから、少しでも気を抜けば吐きそうになっちゃうくらい、狂おしく
面倒くさい作業だけど。
でも視点を変えれば
ワクワクドキドキのチャレンジにも、感じられるようになる。
「勝手に生きて〜〜(・・・いやまあ、気付くだけのサポートはするけど;…)」と、思えるように、なったりもする。
娘の人生は、私のものではない。
娘の人生は、娘、だけのもの。
自分で決めた学校に、毎朝自分で勝手に通って。自分で勝手に勉強するようになった娘を見ながら、
やはり改めて。それを思う。
・・・そんな悠長なこと言って、もし子どもが人生大ゴケして泣くことになったら
『 どうする!!! 』 と、
アラームが鳴ろうとするけど
そのアラームは、私の中で鳴っているだけで。
私が切ろうと思えば、切れるもの。
切るか切らないかは、
「子どもと自分、どちらを大事にしたいのか」、という選択なのだと思う。
年末年始、同世代の友人たちと、たくさん会う機会があって。すると、中には、私と同じような悩みを抱える人たちが少なからずいるのです。
どの人も、私から見れば、女神さまのように。 勇者のように。すてきな人たちで。みんな、「娘さんの様子、どう!?」って。聞いてくれるんだ。
そうやって聞いてもらえるだけで。私は、うれしくて。
・・・・ありがとう;!、って。
みんな、子どもさんがウチの子よりも年下で。これから高校や中学への進学を控えてる。
子どもに付き合うの、大変だよな;!?! 私は、あなたのことが、大好きなんだ、( だから、子どものことで、傷つかないでな・・・元気でおってな!)って
心の中で叫びながら
最近の娘の様子を、聞かれるがままに。話したりする。
子という他人に付き合うことの、膨大な煩わしさに悩む やさしき人たちの 少しの糧にでもなればと。この数年で思ったことなどを、少しだけ、綴っておきます。
少しって言いながら、長いのですが。
それはたまたまの、うちの娘と私の話であって。
みんなにみんな、当てはまるものではないのだろうけれど それでも
書いておきます。