「生命とは何か」を読み終えて
量子力学の基礎を築いた、Erwin schrodinger
彼の生きていた時代は古典物理学と現代物理学の変遷期であり、
この時代は生命現象においてデカルトの二元論的思想が
科学者をも迷いに誘い、心身二元論が信じられていた、、、
しかし、プランク、ボーア、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、アインシュタインらによって
築き上げられた量子力学によって、非決定論的(量子力学的確率)ではあるが唯物論がこの世の中を彩り始めた。
これはこの世のすべての現象が“素粒子”の運動を理解してしまえば表すことができるという
立場だ。
これは現代においてもそう考えられている。
schrodingerは生命を粒子の運動で理解する
分子生物学誕生への貢献をし、この著書の中で『非周期的結晶」、「負のエントロピー論」という自論を打ち立てている。
生命体における「非周期的結晶」はタンパク質のことを示し、生命現象における「負のエントロピー」は既に否定されている。
しかし私がここで思うのは非周期的結晶が熱力学を超越しているのかという疑問だ。
統計的に処理できないはずがないのでここはもっと深めていく必要性を感じた。
岩波文庫から出ているこの著書は後半にエピローグとしてschrodingerの哲学的考察や、「訳者の後書き」と「21世紀前半における本書の意義」が書かれており、そのなかに個人的にとても興味深い文面があり、私の主観で紹介していこうと思う。
著書の文脈の中で「意識」という言葉が後半に多用されている。
私は意識研究がしたいのでとても気になってしまった。
現代においても意識のフレームワークは存在しないので抽象論になってしまうのは仕方のないことだが、schrodingerの中での意識定義は一種の唯心論的一元論が展開されており
schrodingerが純然たる物理主義者でないことに少し驚いた。
また、エピローグの中程に「普通の人の場合でも、本当の恋人同士が互いに相手の眼をじっと見つめている時、2人の思想と2人の歓喜とは文字通り一つとなり、、、、」
とある、schrodingerは男性至上主義者で、しばしばオルガズムの忘我感に浸っていたと言う。このオルガズムは幻覚剤がもたらす効果と質的に似ているとか科学的に示されており、
脳内画像作成器を利用した研究によると、瞑想中のチベット教僧と祈祷中のカトリック尼僧
の脳の時空間パターンが近似していて、なんと瞑想や祈祷の最中に本人の大脳の前頂葉の上側後部の神経細胞の活動が停止しているとことが発見されたと言う、その停止によって
自分自身の身体の空間的オリエンテーション、自己と非自己の境が分からなくなり
遂には自分の身体が全宇宙と一致しまったと
錯覚する。
瞑想や祈祷中は「Default mode Network(DMN)」にアクセスしている状態だと神経科学の研究でわかっており、このDMNが創造力や問題解決力、つまりは人間が、
現在のAIの深層学習による統計的計算処理では生み出せない価値を生み出すための要因になっているとされています。
また、少しそれるが、脳科学の研究により人間がAIに勝つことができる(対立構造に持ってくこと自体よくないと思っている)としたらそれは
直感力に由来する物だという、直感力とは腸内フローラからの信号により脳の前頭前野にdopamine(DA)が発生することによって生まれるのだと言います。
しかしなぜ腸内フローラからそのような信号が出るかはわかっていない。
よって話が逸れたが、
オルガズム反応時における意識状態及び脳内状態は上記の悟りの場合のそれらと
かなり共通性を持っていると予想され、それがつまりは「2人の思想と2人の歓喜とは文字通り一つ、、」というのはあながち間違ってはいないということだ。
これには大変驚いた。
意識を研究していく上でpanpsychismやqualia,
Hard problem of consciousnessなどの随伴現象説(Epiphenomenalism)
も深く学んでいく必要性を感じた。
※この文章はあくまで私の主観なので、
情報、evidenceに対する客観性は
保証できません。
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