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リアリズムと私

私は茂木健一郎先生の「現実と仮想」という
講義を受けてリアリズムにとても関心を持つようになった。
リアリズムは日本語で写実主義、現実主義と訳されるが、その中でも私は現実と仮想を対比しながらみるありのままの現実に興味を持った。
ありのままとはなにか?
それは例えば、現在の世界は資本主義というイデオロギーに支配されていて、
それはお金を稼ぐことによって、幸せになれる
競争に勝つことによって幸せになれる、という
一種の幸福論なのかもしれない。
しかし、この思想下では本当の意味での幸せになることはできないと気付いている人も多いのではないでしょうか?
マルクスは、資本主義は経済格差を生み出し人々を不幸にすると批判し、社会主義こそ
ユートピアだと主張していた。
しかし、その影響で過去、現在にも少し、社会主義というイデオロギーに支配されている国があり、社会主義も人々を完全に幸福にすることは出来なかった。
21世期になってフランスの経済学者である
トマ・ピケティは自身の著書である「Le capital
(21世紀の資本)」で資本収益率と経済成長率の格差がどんどん広がっていくことを定量的にデータから示した。それを定性的に評価すると、お金持ちはますますお金持ちになり、貧乏な人はますます貧乏になることを示している。
そしてそれは現在、グローバリズムのなかで
その格差の開きは加速している。これらを先程の「現実と仮想」という構造で見てみると、仮想とは資本主義が目指す幸福論を示し、現実とはそれによって幸せになれない人々を示しているのだと思う。
私はその現実をもっと深く知りたいと思った。
すると茂木先生にリアリズムの中での人々の
クオリアを感じるために、「Sorry we missed you (家族を想う時)」を紹介していただいた、
この作品はケン・ローチという監督が引退後に、いまの社会に訴えたいものがあると
作られた作品で、先程の話した、資本主義というイデオロギー下における現代のグローバリズムのなかで幸せになれなかった人々の生活を、写実的に描いている。
昨日その作品見てきたのだが、正直心を深くえぐり取られるような感覚を持った。
こんな現実があるのだろうとは思ってはいたが
実際にありのままの姿を作品を通して見て
現代のリアリズムを痛感し
今の私の暮らしぶりに感謝するとともに
そういった人たちのために将来的に何かしたいと思った。

そこで私は、メディアを通してリアリズムを私の主観で表現していこうと思った。
これは意識の研究とは別に、趣味のような形で
長きに渡って出来たらなと思っている。

幸福とは何か、幸せとは何か
私は今も答えはでていないが
探し、追い求め続けるものだと思っている。

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