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ワクチン推進からみたワクチンへの疑惑

【ハイジ・J・ラーソン:ワクチンの噂 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか.みすず書房(2021)】

                       2021年11月14
 人類学者による現代のワクチン不信について、その生成と伝播、そして消滅について、それをひとつの生態系の出来事としてとらえようと試みた論考。Covid‐19のパンデミックの直前に書かれている。
 人類学者の磯野真穂さんが解説を書いていて、内容についてはその紹介を引用するのが手っ取り早い。人類学者の観察が普通は中立を保とうとしているのと違って、ラーソンは国際機関のワクチン推進部門にいたこともあり、ワクチン推進の立場であることを明らかにしている。しかし、彼女は「ワクチンに疑念を示す人々は、その背景に反対に値するような文脈を抱えており、それをまずもって専門家が理解しなければ」ならないとして、批判の矛先を「推進する国家、企業。医療・公衆衛生の専門家にも向け」ている。たとえば「ワクチンの問題は、現代医療が成功をおさめ、技術を過信したことで、技術の土台となるもの─政府に対する国民の信頼、大企業への信頼、社会的協調など─の脆弱さを見落としたことに原因があ」り、反ワクチンの運動が大きくなった最大の原因は「医療と公衆衛生の関係者が、ワクチンを接種すること、接種した人の数、数値目標の達成に集中するあまり、ワクチンをめぐる社会、文化、政治、経済のネットワークに参加」しなかったことだと言う。ワクチンに意味をもたせることは、人間とそれが生み出す社会への信頼を取り戻す作業だと磯野はまとめている。

 このようなぶれない主張のためにでサクッと読み通すことができる。だが、いくら中立ではない立場であると明確にしていても、やはり人間である。あからさまなデマに対しては仕方ないとしても、ワクチンへの懐疑を示すグループや学者への物言いは抑制しようとしているだけにかえって辛辣であったり、皮肉っぽかったりする(ワクチンを懐疑する人たちには「硬化」とつい否定的な言葉を使っているなど)。
 それはとにかく、聞くべき言葉に満ちている本である。そして、はっきりと「ワクチンには現実のリスクがある」ことを前提にし「最高の医学的エビデンスが揃っているときですら不確実性がある」ことも認めたうえで、人生の数々の背景、文脈からワクチンへの不信を拭えない人たち、自分たちの意見が顧みられず見捨てられ尊厳を傷つけられたと正当にも感じている人たち、子どもの将来についてどのような科学より母親の直感を心の底から大切にしている人たちに向き合っていかねばならないという。なぜならば、私たちはすでにワクチンに依存した世界をつくってそこに生きているからだと、彼女は言う。

 ラーソンのこのような意見は、Webで読むこともできる。    https://forbesjapan.com/articles/detail/37787/1/1/1

 理想主義的であり、実践的であり、視野の広い研究であり提言である。だが、読み終えてその議論の向日性ゆえにであろう、私にはいくつかの疑問が浮かぶ。
 人類学者であり、社会的には実践的で指導的な立場にあった人というプロフィールから想像されるように、著者は文化と社会では視野も深いが、それと反比例するように、国家と大企業についての認識は表層的である。CIAがビンラディンの行方を調査するのにアフガンのポリオ撲滅運動を利用しており、そのことがイスラム教徒の反ワクチン感情と反対運動を引き起こしたという、これは私もはじめて知ったショッキングな話は書かれているが、著者はそれをエピソードとして語ることで済ませており、公衆衛生を進める国家自体がそのようなことをむしろ推進してきたという構造に踏み込むことはない。
 同じことは、製薬企業について、いわゆるビッグ・ファーマという大資本が21世紀になって新自由主義の後押しによって絶対的な力をもって政治と医療に介入してきたことについても、著者は無頓着である。あたかも20世紀中葉までの製薬企業の性善説に立っているかのごとくである。
 おそらく、国家と企業への無頓着で平板な叙述は、著者がWHOという機関で公衆衛生の仕事に(人類学者の観察としてよりも深く)携わってきたことからくるのであろう。その機関の中では、多くの国家と少数の支配的大企業への忖度が無意識のうちに働いていたはずである。
 著者が国際機関の中で経験を積んでいたその期間、この20年の間に、資本と国家の関係は根本的に変化している。つまり、新自由主義の綱領にのっとり、現代国家がGAFAやビッグ・ファーマという大資本のしもべとなってしまっていることは、著者の考察のはるか遠くの出来事であろう。

 いまひとつは、著者の考察の基本となっているこれまでのワクチンと、今問題となっているmRNAワクチンの間の科学技術的な断絶である。著者の時代のワクチンに対する科学的知見の積み上げを、現在のコロナ・ワクチンはもっていない。このことの意味は大きく、これまでのワクチンの経験と知見で事足れりとするオーソリティとそれに対して意義を申し立てている一部の専門家の対立が、今回の大きな問題となっていることで、これも科学的発展の連続性の時代を基礎においた著者の考察から当然はみ出している。

 最後にリスクコミュニケーションの問題である。20世紀末に発展したリスクコミュニケーションは、その後の9・11でも、原発事故のあった3・11でもその十分な活用を頓挫している。これについては、科学史家である金森修の痛恨の批判があり紹介したこともあるので詳しく書かないが、要点は権力関係への視座の有無である。

 余談になってしまうが、こびナビと呼ばれるワクチン推進派の代表のようなグループの中心人物が、最近はもっぱらHPVワクチンの推進に発言がシフトしている。それを読むと、明らかにリスクコミュニケーションをきちんと学んでいる応対をしている。しかし、その同じ人物がコロナワクチンについては断定的で反対派を断罪する激しい物言いをしていたのを思うと、両ワクチンの間に横たわる科学的発展の断絶を自ら証明しているように思われておもしろい。
 ほんとうに社会とワクチンに向き合おうとする時に、一度は目を通したほうがよい本だと思う。ワクチン推進の人にも、懐疑派の人にも、そしてできればワクチン強制の人にも反ワクチンの人にとっても一読の価値ある本。



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