昨日生まれたブタの子が
【今日の一枚】
笠木透:昨日生まれたブタの子が 戦争中の子どものうた (音楽センター+あけび書房) 1995
戦争中の子どもたちがうたっていた替え歌集。例えばこんなん。
(海ゆかば)「海にカバ ミミズク馬鹿ね 山行かば 草むすカバね おぉ君の 屁にこそ死なめ かえり見はせじ」・・・戦時中第二国歌と言われた大伴家持の歌も子どもたちにかかるとこのとおり。
(湖畔の宿)「昨日生まれたブタの子が ハチに刺されて名誉の戦死 ブタの遺骨はいつ帰る 昨日の夜の朝帰る ブタの母ちゃん悲しかろ」
・・・これは発売すぐに軍によって発禁にされた「湖畔の宿」。作曲者の服部良一は、子どもがこの替え歌を自分の父親の作品とは知らずに歌うのを聴いて喜んだという。
別の地方に伝わるバージョンでは
「昨日生まれたタコの子が タマに撃たれて名誉の戦死 タコの遺骨はいつ帰る 骨がないから帰れない タコの母ちゃん悲しかろ」
という傑作もある。
戦時中の歌ではないが、明治大正昭和と歌い継がれた濃尾大地震の歌もはいっている。
(お正月)「豆腐のはじめは豆である/尾張名古屋の大地震/松竹ひっくりかえしてションベンかけて/芋をくうこそ屁が出るぞ」・・・悲惨だった震災もこうして子どもたちに歌い継がれると、窮屈な戦時中の正月を思い切り祝う歌になる。
子どものナンセンスな言葉遊びというのはすごいもんだ。子どもにとっては、自分に一番身近な異物であるウンコやオシッコが創造の源泉となる。こうして子どもたちは、教師にあだ名をつけ、おおまじめな大人や軍人をおちょくりまわす。痛快である。
こういう言葉遊びがうまいのは、無意味な音韻連合を純粋に楽しむことのできるある種の発達障害系の子どもたちであろう。そういう才能が、大人の勝手な価値基準のおしつけと社会の抑圧で、押しつぶされ枯らされてきている。それも発達障害の子どもたちの生きにくさと、その結果としての事例化と関係あるような気がする。
ちなみに私が小学校の頃歌っていたのは、
「みっちゃんみちみちウンコたれて~ 紙がないから手で拭いて もったいないから食べちゃった~」
というやつである。まったくシャレの才能が、ない。
https://www.youtube.com/watch?v=9tapVqQSEq0&feature=share