【pハッキングとしてのパンデミック・エビデンス】
なんかコロナ禍の世界、「データサイエンティスト」を名乗る人たちがひたすらあれは有意差がないからありえない、これは有意差があるから真実だみたいなことを言い散らかしている。
だけど、最新の統計学では有意差を区切るP値に対する批判、疑義が議論されはじめている。
このシェアしたブログ記事は、アメリカ統計学会の声明として出た、「p値や有意性に拘り過ぎるな、p < 0.05かどうかが全てを決める時代はもう終わらせよう」という主張。最終的に、「p値そのものだけではモデルや仮説に関するエビデンスの良い指標たり得ない」という。
現代の医学的エビデンスのほとんどは、このp値によって評価される。だがp値そのものはもとのデータの扱いによっていくらでもそのデータの真実性を装うために利用できる。「pハッキング」とは、生データをこねくりまわして、何らかの相関関係のp値が0.05以下になるように操作することであり、ビッグ・ファーマが行う薬物効果の宣伝のために使われる。これは、基準そのものを恣意的にとることが容易な精神科領域では、驚くほど簡単にできてしまうものだ。
そして、それと同じように、コロナ後遺症やワクチン後遺症のようなものでみられる多くの不定愁訴の塊であるような症候群にとっては、それを否定することも肯定することも簡単な操作でできてしまうのである。
個々の人間をみていく私たち現場の医療者は、ほんとうのところはp値に達しない、つまり有意差のない微細なところにそれぞれの真実をみつけることが求められるのである。そうでなければ、ひとりひとりの人間は、統計学的正常さからの逸脱として切り捨てられてしまうことになる。
大きな見取り図としての統計的エビデンスを否定するのではない。しかし、臨床の神は常に細部に宿るのである。