追悼:笠木透 ~人々の歌の終わり
2014年12月31日 記
【追悼:笠木透 ~人々の歌の終わり】
今朝、新聞を開いて今年の物故者の欄を眺めていて知った。つい先日の師走22日、笠木透が亡くなっていたという。
笠木透と言っても、一応年末の新聞に載るくらいではあるが、知っている人は少ないだろう。あの中津川フォークジャンボリーの発案・主催者と紹介すればよいのだろうか。日本の野外コンサートを切り拓いた人といっていいのかもしれない。
岐阜大全共闘の闘志だったというが、中津川労音とのつながりなのか、その後彼の作った反戦平和を歌う多くの曲は民青系の人たちのコンサートで歌われることが多かったので、そちらでご存じの方もいるだろう。
つい少し前、10月22日に彼の出るコンサートに行った。永六輔、高石ともやらと組んだ「大往生座・旗揚げコンサート」である。パーキンソン病で車椅子となった永六輔のあの甲高い張りのある声のおしゃべりは変わらず、自分たち大往生座はいつ倒れて出演不能になるかわからないからと、開演の30分前から舞台の幕の前に車椅子であらわれて開演まで延々しゃべり続けていた。自分はパーキンソン病のキーパーソンだと言って笑いをとっていた。
後半に舞台にあがった笠木も車椅子で、大腸がんの手術をして昨日抗がん剤を打ってきたのだと言う。数年前に告知を受けてから、ずっと「終活ソング」をつくっているがなかなか死ねないので「終活ソング」がいくらでもできてたまって困ると笑い、「雪の野辺送り」「棺桶の歌」を披露した。最後に、水俣と福島を歌った「海を汚すなよ 水に流すなよ 私は恥ずかしい」の三連を延々と繰り返すプロテスト・ソングを会場とシャウト。お世辞にも旨いとはいえない、というか、はっきり言ってかなりのヘタクソである大音声の歌声は、抗がん剤治療にもかかわらず健在であった。
べつにヒット曲があるわけでもないし、テレビやラジオで流れることもないが、笠木にはこの国で確実に歌い継がれていくだろう名曲がいくつもある。
私の子どもたちへ(父さんの子守唄)
https://www.youtube.com/watch?v=OzWqSN-s028
私に人生といえるものがあるなら
https://www.youtube.com/watch?v=AeABJGJaCuY
韓国の抵抗のうたを集めて、自分の訳詞をのせてCDブックをつくっていたこともある(「鳥よ鳥よ青い鳥よ」)。おなじみの「鳳仙花」も彼の訳詞で聴くことができる。
戦時中の子どもの替え歌を集めたCD(「昨日死んだ豚の子が」)もあり、一種の傑作・怪作・快作である。
CDはないが、日本の春歌を集めてステージで歌っていたこともあり、私はそれで「五木の子守歌」の春歌版も覚え、ついでに「わたしゃ非人(かんじん)非人あんたがたよか衆」という被差別部落に伝わる元歌だという歌詞も教わった。
大往生座コンサートからちょうど2ヶ月後、まさか訃報に接するとは思わなかった。クリスマスの2日前。「ジングル・ベル」で「屁の歌」という替え歌をがなっていたので、バチが当たったのだろうか。
同じ今朝の新聞の紙面には、ピート・シーガーの死も載っている。「花はどこへ行った」「We shall overcome」など、彼もまた人々が一緒に歌い、友人子孫に歌い継いでいく「人々の歌(Folk Song)」をつくった人であった。
「人々の歌の時代」が終わったのかもしれない。