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書評:急に具合が悪くなる」 ~人生はリスクコントロールではない

2020年5月31日 記

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社、2019)

 ただでさえコロナでアタマが一杯なときにすごいものを読んでしまった。

 「急に具合が悪くなる」ことを宣言された乳がん患者で、九鬼周造の研究をしている哲学者の宮野真生子と、人類学者磯野真穂による、宮野の死の時までの往復書簡。

 磯野真穂のインタビュー記事が、このコロナ騒ぎの最初の頃に印象に残っていたので、手にとってみた本。

https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/1857537521046601

 このインタビューで磯野は、いのちについて、リスクを減らすためにだけ人は生きているのではないことを語っていた。

 この往復書簡は、最初は癌を宣告された患者が医療の言葉と医療が選択するリスクの中で生かされるというエビデンスの意味をめぐる哲学者である当事者と人類学者の対話ではじまっている。そこも面白いのだが、その入口はどっちかというと月並みだ。

 だが、後半、実際に宮野が「急に具合が悪くなる」ところから、二人の対話がぬきさしならぬ熱を帯び、それを読むこちらも心臓がバクバクとしたり、目頭があつくなったり、死への不安を突きつけられるように感受したりする。

 癌と余命の告知を受けた最初、宮野は自分の人生を合理的理性によって完成するものにするべく決心するが、病の進行を知るとともにそのようにリスクを減らすことをめざす現代の社会観人生観に疑問を抱く。
 「でも、流れていく時間のなかでさまざまな変化がある以上、各種の原因が次の瞬間にどんなふうに組み合わされるのか、そこに至る複数の流れがどう収斂することになるのかを完全に決定づけるものはありません」と言い、それを九鬼の偶然性の哲学にひきよせて、「わからない未来に向かって「いま」を生み出すもの、それが偶然なのだ、だから「偶然」は「現実の生産点」だ」と、死への病をもった自分の「偶然」を引き受ける。

 一方の磯野は、死に行く人と真正面からつきあうとはどういうことか、なぜ死を間近にした人とのつきあいがお互いの役割に逃げ込んだものになってしまうのか、正面から出会えないのかと問うていく。

 そのような二人の対話が次第に魂の出会いへと高まっていく、読者は、その場面に刻々と立ち会っていく興奮にとらわれる。それはあらかじめ読者としてはわかっている宮野の死という結末を、二人が超えていく旅でもある。

 最後に、二人が出会ったことの偶然からはじまり、その偶然を運命として引き受ける哲学者の言葉が残される。

 「運命を生きるとは、こんな世界へとダイブすることであり、そのとき私たちはこの世界がさまざまな偶然という出会いから、自分を見いだし、新しい「始まり」が生まれてくることを知ることができます。なんて世界は素晴らしいのだろうと、私はその「始まり」を前にして愛おしさを感じます。偶然と運命を通じて、他者と生きる始まりに満ちた世界を愛する。これが、いま私がたどりついた結論です」

 こう2019年7月1日に最後の往復書簡に書いた哲学者は、その三週間後に他界した。

 そして、2020年の春、人々が死というリスクをコントロールしきれないことにひたすら怯えて暮らすようになった時、宮野を見送った人類学者の磯野真穂が、リスク社会が人のつながりを断とうとすることに、冒頭にあげたインタビューで警告を発している。それは、おそらく向こう側に行った宮野との対話が谺したものだ。

フェイスブックより転載
https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/pfbid031wSsvWkxybHJiD9KinQDnrEgu8QCphe2hQ5jVTMXCPADopBDerSETAxTXNRmGEtcl

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