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黒歴史の再解釈で変わること

こんにちは!心理カウンセラーの俊(しゅん)です。

前回、自分史についての記事を書きました。

自分史を作っていると、その過程で「黒歴史」が登場することも多いのではないでしょうか。


…え、僕だけですかね…?
違いますよね!違うというテイで進めます!🏃‍♀️笑


さて、所謂「黒歴史」は、軽いものから重いものまで、様々あると思います。
普段はなかなか直視したくないですよね。

今回はその黒歴史について掘り下げた記事を書いてみたいと思います✊


自分史と黒歴史

自分史は、その名の通り「自分の歴史」です。
その中には良いことも悪いことも内包されていて、場合によっては「黒歴史」として無かったことにしたい記憶もあるかと思います。

ただ、もともと歴史というのは起きた事柄の連続でしかありません。
本来、とてもフラットなもので、「良い」も「悪い」もないのです。
(なかなか、受け入れにくい感覚ですよね)

1つ1つの事象に対して、僕たちは嬉しかったり悲しかったり、楽しかったり苦しかったり、様々な感情を抱き、それが記憶に残っていきます。
つまり、起きた事柄をどのように感じたかによって自分の中で「良い」「悪い」という解釈を選別しているのです。

「そんな選別した覚えないけど!?」と思いますよね。
僕らはそうした解釈を無意識のうちに、ほぼ自動的に完了してしまいます。
その無意識の自動解釈の働きを、「考え方の癖」と呼んだりしますよね。

心理学では、そうした考え方の癖を様々な分類で明示することができます。
「観念」「執着」「抑圧」「期待」などなど…他にも沢山あります。
困ったことに、僕らの心の中のモヤモヤや問題の多くの原因にもなっており、カウンセリングの場でも焦点となります。

しかし、朗報もあります!(パンパカパーン🎺)

あくまでも「癖」ですので、自分がラクになる方向性に整えるも出来ますし、一度完了してしまった解釈を変更することも出来ます。

これって結構希望の光になりませんか?
僕は、そう感じました。
そのお手伝いができるのが、カウンセラーなのです。

黒歴史を再解釈してみよう

黒歴史は、再解釈することができます。
ポイントは、視点を変えること。
その事例として、僕の過去について触れたいと思います。



前回の記事で掲載した僕の自分史にも書かれていたのですが、僕は父を病気で亡くしています。病気が分かってから、約5年後のことでした。
闘病期間は本当に色々ありましたが、終盤は特に家族全員が疲弊し、心身ボロボロになっていました。

何度か入退院を繰り返していた父は、医師や看護師の皆さんとも良好な関係を築いていましたが、調子が悪くなるにつれ、段々と病院に行くことを嫌がるようになり、最終的には完全に入院拒否状態になりました。

しかし、ほとんど寝たきり状態なので、誰かが付いていなければ危険な状態です。酸素飽和度も常に見張っていなければなりませんし、トイレなども介助が必要です。
父が無理を言って退院してきた際に、看護師の方々から家でのケアについて最低限の助言を貰ってはいましたが、僕たち家族は医療においては素人。
いつ急変するかも分からない父の隣で、常に緊張していたのを覚えています。
母と妹と僕で、仕事を休んだり早く上がれるように調整して、交代でずっと父のそばにいました。

結果的に最後となった、この自宅(正確には、当時空き家で唯一療養ベッドが置けた祖父母宅でしたが)で父と過ごした日々は、とても濃厚なものになりました。あの時間があって良かったと思う一方で、その苦しさから、正直あまり思い出したく無い時期でもあります。

その後、父の容態が悪化していきます。
訪問医師の先生にもお世話になっていましたが、発熱や合併症などにより、もっと設備がある環境に移らなければ手を打てないと判断されました。
その先生は大変優しく、面倒見の良い方で、父も信頼していました。
先生は、父に「もう一度だけ入院してみない?」と説得してくれました。
今起きている問題に対処するためだけの入院。そう説明を受けた父が
「病院に行く」
と言ったとき、本当に安心したのを覚えています。

最期が近いかもしれないけれど、それが今日であって欲しくない。
僕ら家族はそう思っていましたし、父本人も、決して生きることを諦めてはいませんでした。

ですが、ここから先に暗い記憶のきっかけがあります。

父の同意によって、急遽入院の手配が始まります。
確か、救急車にも来てもらったのだと思います。(記憶が曖昧…)

担架に乗って、病院に運びこまれる父。
救急センターのような部屋にまずは移動しました。
母が入院手続きに向かう最中、僕は父に付き添っていたのですが、その時に父が呻きながらこう言いました。

「俊、家に帰りたい。家に帰してくれ」

やせ細った父の表情は不安と苦痛で歪んでいました。
僕は父の気が変わったことに焦って、必死で声をかけます。

「父さん、帰れないよ。少しだけ入院しよう。先生の言ってた通り、少しだけだよ」

僕の返答を聞いた父は、こう言いました。


$${\LARGE\text{「俊、お前は冷たいなぁ。} }$$
 $${\LARGE\text{お前は冷たい」} }$$


僕は動けなくなりました。

そこから先の記憶は、あまりありません。
ショックが大きくて、今でも僕にとっては黒歴史として封印したい過去です。

父は、力強く温かく、頼りになって、優しい人です。
子どもたちに対して、いえ誰に対しても、攻撃したり非難するようなことのない人でした。

そんな父に、そういう言葉を言わせてしまった自分への失望、絶望、そしてその言葉自体が、ナイフのように僕の胸を突き刺しました。

結果的に、父はこの入院以降、家に帰ることが出来ませんでした。

毎日のように急変を繰り返し、意識も薄れ、人工呼吸器が無ければ酸素の取り込みもできないようになってしまいます。
そして、年が明けたばかりの1月初旬の朝に、息を引き取りました。

少しの間だけの入院だと言ったのに、嘘をついてしまった
会話ができる状態だった父からの最後の願いを叶えられなかった

この、父を助けられなかったという記憶は、僕の心の内側を常に焼き続けるような傷跡を残しました。

しかも、父に「冷たい」と言われた時に、正直言えばドキッとした自分も居たのです。
父の最後の看護を自宅で行なっていたのは約1ヶ月。
たった1ヶ月でしたが、僕は心身の疲労が限界を迎えつつありました。
心のどこかで、父が入院してくれればこの事態が変わる、ということを期待していたのは、紛れも無い事実だったのです。

父の願いよりも、自分の期待を優先した返事をしてしまった。

そのことを、本当に悔いてきました。

父にあの言葉を言わせたのは自分だ
そう、自分は冷たい人間なんだ
何の役にも立たない
助けにならない

罪悪感、無力感、無価値感、自身への怒り、様々な思いが去来します。

父が他界したことを受け入れられていないのは、つまり自分の言動を受け入れられないから、かもしれません。


さて、少し重いテイストで進んできてしまいました。

僕はいま心理カウンセラー根本裕幸さんの弟子として修行中ですが、カウンセリングの実習で、お弟子の同期に「黒歴史」というテーマでこの話をしたのです。

当日、この話をするぞと決めてから切り出したはずなのに、感情の上下が激しくて、何度もつかえてしまいました。

最後まで話して、ホッとすると同時に、やり場のない感情に苦しくなっていたのですが、話を聞き終えた後、時間を置いてから同期がこう言ってくれたんです。

「お父様は、家が、安心安全な場所だったんですね」

ハッとしました。

僕は父を病院に入れてしまったという側面でしか、あの日のことを覚えていませんでした。

それでも、視点を変えれば、父が苦しい瞬間こそ家に居たいと思ったのは、父にとって「家」や「家族のいる場所」が、最も安らげる空間だったからです。そして、そうした環境をつくってきたのは、僕自身を含めた家族全員の力でした。

僕は無力ではなかったかもしれない。
父が僕に家に帰すよう言ったのは、それくらい頼りにしてくれていたからかもしれない。
父と最後に自宅で過ごした日々は、父にとって掛け替えのない時間だったのかもしれない。

黒歴史の解釈が、更新された瞬間でした。

勿論、全ての後ろ暗い記憶が、雲散霧消する訳ではありません。
おそらく、ネガティブな感情の記憶がゼロになることはないでしょう。

それでも、事象は常に多面的である、ということを再度気付かせてもらいました。
どんなに悲しく苦しく救いがないことにも、他の見方があるということ。

それは、文字通り一筋の光になり得る事実でした。

よろしければ、皆さんもそうした視点の変化にトライしてみてください。
何か、今までと違った感覚で、過去の記憶と向き合えるかもしれません。

黒歴史学の開拓を目指す

自分史はまだまだ多くの力を秘めていますが、その中の一部である黒歴史もまた、奥が深いものです。

歴史学というものがあるように、黒歴史学という名前を標榜して学んでいきたいと思っています笑

そうそう、歴史に関する事柄が好きな女性のことを「歴女(れきじょ)」と呼んだりしますが、黒歴史に突っ込んでいくのが大好きな「黒歴女」という属性もあるな!と閃きました😆
あ、もちろん「黒歴男」も居ますが!(でも「クロレキダン」って、何かの軍団みたいだな…)

自分史心理カウンセラーを名乗りつつ、黒歴史学と黒歴女(男)を研究する取り組みも継続していく所存です…!!!
研究報告は随時行います!

おまけ「黒歴史」の由来

さて、重い話から歴女の話まで色々書きましたので、ついでに関連の豆知識も書いてこの記事を締めくくりたいと思います笑

冒頭から何度も黒歴史と連呼してきましたが、皆さん、「黒歴史」の語源ってご存知ですか?

実はこの言葉、あのアニメ「ガンダム」が元ネタなのです。

いでよ!ウィキペディア!!

以下、Wikipediaより引用。


黒歴史(くろれきし)とは、アニメ作品『∀ガンダム』に登場する用語。
作中では、太古に封印された宇宙戦争の歴史のことを指す。〜中略〜
原作者の富野由悠季は、『∀ガンダム』において「宇宙世紀」も別作品群の世界の歴史も包含し、「黒歴史」として総称するという新たな視点を示した。
〜中略〜
そこから転じて「なかったことにしたいこと」または「なかったことにされていること」という意味のスラングとして使われるようになる。


引用終わり!

そう、元々は知る人が居なくなった太古の歴史というニュアンスの言葉だったのです。実は、必ずしも悪い意味は持っていませんでした。
僕はガンダムシリーズが大好きで、アニメも漫画もプラモデルもゲームも全て通ってきたので、『∀ガンダム』(ターンエーガンダムと読みます)もリアルタイムで視聴していました。当時は中学生だったかな?

そこで出てきた「黒歴史」という設定がまずネットの世界でスラングになり、意味が変遷して、今やガンダムを知らない人にまで認知される一般的な言葉になったというのは、面白いなあ〜と思っています。

以上、ガノタ(ガンダムのオタクのこと)の末席に並ぶ者として、言及せねばならない!という使命感から書き添えさせていただきました笑

今回は特に長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、また別の記事で。

自分史心理カウンセラー 俊(しゅん)

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