見出し画像

ほぼ鬱病からの転換点

2020年も残すところ僅かですね。時が経つのは本当に早いです。僕がこれを投稿している12月18日は何の縁なのか非常に思い出深い日ですので、タイトルにある『転換点』の話をしようと思います。

この話をするのは理由があります。奇しくもちょうど10年という事もあり、記憶からなくなる前に記録しておこうと思ったのと、周りからみた僕のイメージは、『もともと優秀で仕事バリバリしながら特に苦労せず成功の道を真っしぐらでキャリアを築いてきた人だよね』と見えるらしく、その素敵な誤解を解かせてもらおうかな、と思ったからです。もっと等身大の僕を見てもらえると嬉しいな、と。

これは、セールスに関するHow to的な話ではなく、生き方に関する内容だったりしますので、是非読んでいただけると嬉しいです。

画像1

今からちょうど10年前、2010年の12月18日、僕は長期傷病休暇の1日目でした。長期傷病休暇というのは一定期間、給与を頂きながら静養して治療をするものです。僕は2ヶ月間、長期傷病休暇を頂くことになったのです。

さらにそこから遡ること約半年、2010年の6月頃、僕は非常に大きな案件を抱えていました。某一部上場企業に対し、結構な額の提案をしていました。関わる社内の関係者も増えていき、担当営業として物凄くプレッシャーを感じながらこの案件を進めていました。

先方も初めての取り組みという事もあり、そして巨大な組織の色々な部門を巻き込む必要が出てきた事もあり、各方面との折衝や調整、交渉といった活動をしながらも、商談のフェーズがなかなか前に進まない状況が続いていました。もし今の僕がその状況を見ていたら、適切なアドバイスができていたのに、と悔やまれます。

当時の僕には、この手の複雑かつ大型の商談をまとめ上げて進める能力や経験が足りておらず、上司からはアドバイスではなく指摘を受けるばかり。頼れる人はいませんでした。

それでも無情に時間は流れます。刻々と年度末の日が近づいてきます。遅々として進まない商談の状況。先方の多方面から受ける問い合わせや折衝の連絡。社内関係者を巻き込みながらリードして資料をまとめて打ち合わせの進行。そして「大丈夫なの?この案件で会社全体のフォーキャストが変わってくるから頼むよ」と言われるだけの無益な案件レビューミーティング。

いつなのか正確に記憶していませんが、ある日から僕は眠れなくなりました。

寝ようとすると、体のあちこちが痒くなるのです。下はふくらはぎ周辺から上は二の腕のあたりまで。掻いて、寝ようとして、掻いて、寝ようとして、を繰り返しているうちに外を見ると明るくなってきている。そんな毎日を過ごすようになりました。

しかし日常はやってきます。いつも通りワイシャツを着てジャケットを羽織り、革靴を履いてバッグを持って出社します。そしてまた先方の多方面から受ける問い合わせや折衝の連絡。社内関係者を巻き込みながらリードして資料をまとめて打ち合わせの進行。そして「大丈夫なの?この案件で会社全体のフォーキャストが変わってくるから頼むよ」と言われるだけの無益な案件レビューミーティング。

画像2

9月の半ばくらいでしょうか。当時の僕なりに、営業としてやるべきこと、できることはやったつもりでした。返せるボールは全て返し、先方の本部長レベルの合意形成を取り付け、残すは役員会に向けた本部長会における決議と役員会での決議、そして購買プロセスへと進めてもらうべく、窓口になっていただいていたミドルマネージャーの方と状況の確認連絡を取らせていただく合意を得ていました。

けれども、なかなか良い進展が聞こえません。本部長会での議題に上がらなかったり、決議されたのか否決されたのか音沙汰がなかったり、いざ連絡がついても「私の手元を離れている上、本部長が捕まらなくて」しか答えてもらえなかったり。そのうち僕はメールの通知がくるたびにパソコンを開くのが怖くてしばらく気づかないフリをしたりしました。

僕の中では「決まらなかったらどうしよう」「会社の数字そのものがブレる影響があるって重たすぎる」「さすがにクビかな」「決まるといいな」というフレーズが永遠にリフレインされ、何を食べても味を感じず、あらゆる欲求というものを感じなくなってきました。

画像3

特に、帰宅後が地獄でした。

帰宅し、食事をとり、お風呂に入ります。少し前までは寝ようとすると身体中が痒くなっていましたが、この時になると入浴後少しすると猛烈に痒くなってお湯に浸かっていられなくなり、冷水を浴びせてようやく少し落ち着く状態でした。これでは全くリラックスできません。そして相変わらず寝ることはできません。

もちろん一睡もできない期間が何ヶ月も続くというのは人間として無理です。寝れない中でも半ば意識を失うかのように短い時間寝落ちしていたおかげでなんとか最低限の活動を維持していました。寝落ちして、痒くて掻きむしって目が覚めるというのを繰り返していたことで、毎朝僕のシーツはあちこち血だらけでした。もうここまでくるとホラーです。

休みの日も僕にとっては全く嬉しくありません。気を張っていないと全身が猛烈に痒くなるのでリラックスはご法度。夜がくるのがこんなにも憂鬱だなんて後にも先にもこの時だけです。何かすることがないと参ってしまうと思ったのか、僕は外の空気を吸って気分転換をするために車に乗り、ナビはオフにして目的地を定めず適当に車を走らせていきました。

西へ、西へ、西へ。

街頭の全くない箱根の道。車を側道に止めて空一面に広がる星を眺めて2時間過ごし、そして車に戻り、目的地を定めずにまた走り出します。

西へ。西へ。西へ。

ここはどこだろう。戻らないと。深夜1時を回ってきた。ふと標識に目を向けると、そこには「富士の樹海↑」と書いてありました。それを見て一気に我に返り、一目散に家に向かってUターンして車を走らせました。よくぞ帰った。当時の僕を褒めてあげたいです。

また別の日。週末に家にいるとインターホンが鳴ります。出てみるとAmazonからの荷物でした。何も買った記憶がないんだけどな、と思いながら箱を開けると、届いた物を見てしばらく時間が止まったかのようでした。自分でこんなもの買ったのか?いや、買ってない。でも何でこれが?発注者は確かに自分になってるってことは自分で買ったのか。

いつ?なぜ?

そこにあったのは「完全自殺マニュアル」という本でした。

画像4

紅葉も終わり、世間には冬支度が始まってきました。10月も後半に差し掛かってきたので、冷たい風は僕の体を心地よく冷やしてくれます。仕事の環境に身をおくと不思議と全身の痒みから解放されるので、僕は気づかないうちに無駄に会社で過ごす時間が長くなっていました。

そんなある日、会社のアナウンスで「産業医との面談希望の人は連絡ください」という人事総務担当からのメールが目につきました。産業医という聞き慣れない言葉ですが、医ってつくからにはお医者さんだろうな。この時ほぼ思考力ゼロの僕は、本能的に「希望します」と返信をしていました。

産業医との面談の日。もう僕の身体中は掻き傷とかさぶただらけです。顔はやつれて目の下にはクマがあり、さぞかし不健康な状態だったと思います。産業医の方は40歳くらいの女性でした。何を聞かれたのか、何を伝えたのか全く覚えていませんが、はっきりと今でも耳に残っているのは次の一言です。

今すぐ病院にいって診断書をもらってきなさい。あなたには長期傷病休暇が必要です。

それまで僕は入院というものもしたこともなく、すこぶる健康に生きてきました。なので「診断書」というものはどうすればもらえるのかわかりません。さらに病院といってもどの診療科目の病院に行けばいいのかもわかりません。まさか精神科…?とおそるおそる先生に聞いてみると、「どこでも良いので長期で療養する必要がある、と書いてくれるところが良いので、皮膚科がわかりやすいですね」と言ってくれました。そして「診断書は5千円くらいかかるから用意してくださいね」ともアドバイスしてもらいました。

そのまま早退し、その足で地元の皮膚科に行き、先生に症状を伝えながら産業医に言われて診断書欲しいからきたと言うと、状態をみる必要があるということで妙齢の女医の前でパンツいっちょになり、全身傷だらけのカラダを披露しました。その時の僕の身体は掻き傷だけではなく、あらゆる箇所の左右対称に赤紫色のボコボコとした湿疹のようなアザのようなものができていたので、女医は目を丸くして「え…なにこれ」と小声で言ったのを僕は聞き逃しませんでした。

この赤紫色のボコボコの湿疹が夜寝る時に異常に痒くなり、掻きむしってしまうのです。そして掻きむしっているうちに変色をし、爛れているような症状になっていました。そして不思議なのは綺麗に左右対称に。しかも体の柔らかいところにできているのです。ふくらはぎ、内腿、膝裏、横っ腹、肘の内側、二の腕の裏とかに。この症状を見て、西洋医学的にはこれが処置なのでしょうか、「原因は正確にはわかりませんが、ステロイドを処方します」という診断で、長期の療養を要すると記載した診断書を出してもらいました。

このような状態で、案件のケアなどできるわけもなく、そして産業医から人事総務担当経由で上司に連絡がいったのでしょう。僕には案件の状況確認の連絡はある時からパタっと来なくなっていました。結果、この案件は年度中に決まることはなく、僕は最後の大仕事を失注という結果で終わらせてしまったことになります。

画像5

会社に診断書を提出し、12月18日の療養初日、その日のことは全く覚えていません。しかし自らを追い込んだ仕事の環境から離れたことで、少しずつ眠れるようになってきました。

ただ、ステロイドを塗布するということがとても嫌でした。専門知識があるわけではないですが、ステロイドは塗布・服用し続けると体が慣れていき、少しずつ強い薬にしていかないといけなくなるという話を聞いていましたし、根本的に解決するものではなくて一時的な症状緩和のため、とも言われていました。このへん違ったらすみません。当時の僕の理解です。

少し頭が回るようになってきた時に僕が治療に選んだのは鍼とお灸でした。知り合いが鍼灸師ということもあり、そこに通い始めたのです。その人に症状を伝え、またカラダを披露し、病院で何を処方されたかを伝えると、彼は僕の身体のあちこちを触ったり揉んだり押したりしながらいろいろなことを教えてくれました。

ヒトの体には、とても大事な臓器があるんだよ。それがコレ。副腎っていうやつね。2つあるんだけど、これの1つがぶっ壊れてるね。わかる?痛いでしょここ押すと。ゴルフボールみたいな硬さになってるけど、これぶっ壊れてるってこと。正常だともっと柔らかいし押しても痛くないんだよね。

副腎っていうのはヒトが受けるストレスを消化する役割があるんだよ。副腎皮質ホルモンというのを分泌してね。でも副腎の能力を超えるストレスが継続的にかかったりすると、こう言うふうに壊れちゃう。ここが壊れると、副腎皮質ホルモンが出なくなって体のあちこちに異常が出る。代表的なのが皮膚の表面にこういう湿疹が出たり異常な痒みが出たりする。この副腎は遺伝や先天的に正常に機能しないという人もいるんだよ。ポピュラーなのはアトピー性皮膚炎だね。アトピーの人たちの多くは副腎が正常に機能してないから押すとカチカチなんだ。

機能していない副腎の代わりに何をするかというと、投薬だね。まさに副腎皮質ホルモンを外部から入れてあげるんだよ。この副腎皮質ホルモンというのが、つまりステロイド。
そしてこの痒みはね、副交感神経が作用すると発症するんだ。つまりリラックスしたときね。寝る時とかお風呂入る時に痒くなるのはそういうこと。そして交感神経、つまり気が張っているときは症状が出ないんだよ。

全てが納得。理解。なるほど。東洋医学すごい。

僕はこの先生のところに通い、ゴリゴリにぶっ壊れた副腎Aを修復するために治療をしました。ステロイドは投薬しなくて済むならできる限りしないほうがいい、という意見は僕も完全同意でした。副腎は腰の背中側あたりにあるのですが、なぜかお灸は足の指の先に置いたりするのでもはや何しているのかわからないのですが、少しずつ、本当に少しずつ良くなっていきました。

ちなみに僕が起業してアドバイザーとして仕事をするにあたり、コンセプトにしているのは「東洋医学的なアプローチ」ですが、なぜそうしたのかというのはこの経験があるからです。

ただ1つ、その先生の指示でいまだに納得いっていないのは「ちがう下着にしたほうがいい」というものでした。具体的に言うと「ふんどしにしろ」というものです。ふんどしってアレか?あの赤い布を局部にぐるぐる巻いて暖簾みたいに股間のところにペロッと垂らすアレか?「なぁーにぃー!?」って言わなきゃいけないあれか?(わからない人いたらすみません。YouTubeでクールポコって検索してみてください)

ただ僕にはこの鍼先生しか頼る人がいません。横っ腹の湿疹の部分に少しでも刺激がないようにしたほうがいいということなので、根がとても素直な僕は大人しく従うことにし、「コットンのやつな」という補足のアドバイスを思い出して3枚ほどオーガニックコットンのふんどしをポチっと購入し、それから僕はふんどしを毎日身につける日々を過ごすことになったのです。

ふんどしを身につけた人はわかりますが、あれは着物だと問題ないのですが、ズボンだと非常に不快なのです。股間のところにペロッと暖簾のように垂れ下がる布が行き場を失い、ズボンの中でくしゃくしゃになって丸まってズボンの前の部分が膨らんでいくのです。男性としての見栄を張りたい人はふんどしをお勧めしますが、僕は必ずしも快適ではありませんでした。

画像6

12月18日以降、そうやって少しずつ快方に向かい、ステロイドを減らし、湿疹も少しずつ薄くなって睡眠も取れるようになり、食欲も出てきたのが年明けでしょうか。思いのほか早く容体が良くなったのは鍼とお灸によって壊れた副腎Aが副腎Bと同じくらいまで柔らかくなり、カラダがカラダとして正常に機能し始めたからだと思っています。身体が正常に戻るにつれ、精神的にも前向きになっていきました。そして正月休みが明ける頃には「よっしゃ、転職したろ!」というテンションになり、知り合いのヘッドハンターの方に連絡し、次のステップに進むことにしたのです。

振り返ると、僕はこの経験で以下を得ました。

物事は、なるようにしかならない。

いつまでもあれこれ悩んでも仕方ない。やることやったならあとは天に運命を任せようぜ。死ぬわけじゃないし。なるようにしかならないんだよ、という考え方というか思想を身に付けました。そして自分が正しいと思ったことをやっていこう。その代わり自分が正しいと思ったことはやり切ろう。周りなんて関係ない。自分の軸を強く持とう。

こういう思考に半ば無理矢理もっていけたのは、自分の思考やマインドを変えないと同じことになると思ったからです。どんなに控えめに見ても同じ経験は二度としたくありません。180度とまではいかないかもしれませんが、結構な振り幅で自分を変えたきっかけになりました。

そして2011年3月に転職し、新天地で始動。新たに生まれ変わった自分を大事にしながら仕事を楽しみながら生きてきました。そして時々「向井さんってB型?」と言われるたびに、ゴーイングマイウェイと言われているB型に憧れていた僕は一人嬉しい気分に浸っていたことを今ここで告白します(本当は生粋のA型)。

転職後、僕は2011年から2014年に在籍したガートナーでシン•ムカイとして今の土台を作り、その土台をの上に2014年からのアップアニーの経験で一層形作られてきました。そして今の僕がいます。

自分という軸の上にしっかりと腰を据えて、動じずに自身の成長と欲求に静かに向き合う。そして周りがなんと言おうとどう思おうと、自分が幸せで楽しいと思えることをする。

10年経った今、当時心に決めた生き方で豊かな人生を送れているな、と思っています。周りの方々を驚かせたり迷惑をかけてきたことは多々あると思いますが、僕の今の人生の価値観は、非常に辛い過去の経験から生まれたもので強い意志の元作られたので、簡単に変わらないと思っています。

そう思うと、2010年の鬱病一歩手前で無意識に死に向かおうとしていた経験をしたことは、僕の人生にとって非常に大きなターニングポイントだったと言えるので、改めて思い返すと必要な経験だったのかな、と思うわけです。

画像7

辛くて大変だと思っている皆さんへ

仕事をしている中で、胃がきゅーっとなって食欲がなくなり、口の中がカピカピに乾くようなストレスを抱える場面は出てくると思います。営業であれば思うように案件が決まらず、上司に詰められ、しんどくてキツくてもう無理だと思う状況がくるかもしれません。

どうか、そういう時には遠慮なくSOSを出してください。大丈夫だから頑張れとは口が裂けても言いません。経験したからこそ、その辛さがわかります。どうかどんなに辛くても、自身の手で命を断つようなことだけはしないでください。

仕事がうまくいかなくて凹んだり、辛くなったり、何もやる気が起きないようなあなたの一日は、生きたくて生きたくて仕方なくて、でもその願いは叶わず亡くなっていくどこかの誰かの一日でもある、ということを知っておいてください。

人生、とても楽しいですよ。
自分を信じてあげてください。

自信をもつ最初の一歩です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?