(読書ノート)『歌われなかった海賊へ』
逢坂冬馬さんの小説『歌われなかった海賊へ』を読んだ。
読み終えてすぐ、この気持ちを新鮮なまま残しておきたいと思って見切り発車の状態で感想を書き出してる。
本屋大賞を受賞した逢坂冬馬さんの前作、『同士少女よ、敵を撃て』を読んで衝撃を受けたのを今でも覚えてる。何が衝撃的だったかというと、主人公や登場人物の感情の動きや葛藤が文字だけでこんなにもひしひしと伝わってくるのかと感じた圧倒的な人物描写であったり、書かれている出来事がまさに目の前で起こっているかのような臨場感で表現されている描き方であったり、使われている言葉ひとつひとつが本の世界感へと引き込んでいって、作品への没入感が今までにないほど凄まじかったところが衝撃的だった。
ふと、書店の売り場で見覚えのある雰囲気の絵が表紙となっている本が目に入って、著者を見たら逢坂冬馬さんだと分かった。新作が出ているとは知らなかったので、「逢坂さんの新作が出てる!」とテンションが一気に上がり、すぐさま手に取ってレジへと向かった。
すぐに読もうかと思ったけど、宮島未奈さんの『成瀬は天下を取りにいく』と『成瀬は信じた道をいく』を先に読んでいたので、まずはそちらを読み終えてから読み始めたいと思ったので、買ってからちょっと時間が経ってしまった。
※成瀬シリーズの感想はまた改めて書きたい。こちらの作品も本当に面白かった。やっぱり本屋大賞の作品って面白いですね。
まず、物語の導入部分の展開が個人的にとても好きだった。
この小説は「現代」と「戦時中」の2つの時代から構成されていて、物語は読み手である自分たちが今生きていて馴染のある「現代」から始まる。この「現代」パートはクリスティアン・ホルンガッハーというキャラクターの視点から始まり、様々な伏線を張り巡らせて「戦時中」へと場面が転換される。こういう展開が個人的にすごく好きで、物語の起こりとしてはとても引き込まれたし、完璧な流れだったと感じた。
フランツ・アランベルガーという街の偏屈者として知られる老人の話題をきっかけに、あらゆる伏線が張り巡らされているなと感じて、徐々にその世界観へと没入していった。
「戦時中」へと場面が移ってからは、ヴェルナー・シュトックハウゼンというキャラクターの視点で物語は進んでいく。
詳しい部分まで書くと果てしなくなるので省くが、このヴェルナーというキャラクターは、父親が死刑にかけられ、孤独と絶望で失うものはなにもないという状況のなか、レオンハルトやエルフリーデといった仲間たちと出会い、「エーデルヴァイス海賊団」として自分の居場所を見つけて、様々な出会いと冒険、成長をしていく。
歴史青春小説と謳われていることもあり、フィクションではあるが、「エーデルヴァイス海賊団」や「ヒトラー・ユーゲント」といった実在したグループや組織が出てくる。
「ヒトラー・ユーゲント」という青少年の組織は、映画『ジョジョ・ラビット』を観たことがあったので、その青少年たちはどんな格好をしているのかすぐに想像することができて、自分の頭の中でキャラクターを作り上げることができた。
映画つながりでいうと、「エーデルヴァイス」という単語を聞いて連想したのが、大好きな映画で『サウンド・オブ・ミュージック』という名作映画がある。その作品の中で「エーデルワイス」という曲が歌われている。この映画では第二次世界大戦直前のオーストリアが舞台で、トラップ・ファミリー合唱団の実話をもとにしている。
『サウンド・オブ・ミュージック』と『歌われなかった海賊へ』は、時代背景も国も異なるが、戦争という時代の中において「歌」がとても重要な鍵になる。
『歌われなかった海賊へ』という題名のとおり、まさしく「歌」が重要なテーマのひとつとなる。本を読み終えて、この題名の意味を理解した瞬間に「さあ、あなたは歌う?」とひとつの問いが読み手に投げかけられる。
この小説を読み終えて、改めて本を読むことの面白さを実感すると同時に、自分のこれからの生き方を見つめ直すきっかけになれた気がする。
小説の世界に没入すると、自分がその世界の中で生き、体験した感覚になる。私たち読み手は、その体験から得られた素直な感情や価値観といった大切な本質をそれぞれ感じ取り、意識が本の世界から現実世界に戻った時にどのようにその本質を自らの生き方に活かせられるか、本を読むことの面白さはそんなところにあるんじゃないかと思った。
あとがき
初めてnoteで記事を書いてみたけど、書くことがとても楽しい。
自分の今の率直な感想を残すことで、何年か経ったあとに「あー、この時はこんなこと考えてたんだな」と振り返ることができて楽しいんじゃないかと思う。書き出すまで腰が重いけど、これから続けていきたい。