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僕たちは何をどうすればいいのか

旅とはなんだろうか。

便宜的に、それを、「普段行かない場所へと訪れること」と定義してみる。

そうすると、例えば、仕事帰りに普段通り過ぎていた薄暗いバーへと立ち寄ることも、旅に含まれてしまう。

そこに違和感があるのは、やはり距離性だろう。

僕らは少し遠くへ、普段行かないような遠くへ行くことを、旅というフレーズで評価する。

・・・

夏休み。会社から休みをいただいて、妻と二人、東北へと旅に行ってきた。

岩手、青森、秋田、山形。

正確に言えば、岩手では、僕の祖父母に結婚の報告をするという名目で、少し厳かな食事会を開いた。

もう車椅子で生活している爺ちゃんは、僕の名前を覚えていなかった。

東北なまりな上に滑舌も悪く、いつも何を喋っているのか9割くらい分からなかったが、もはや全て分からない。

しかし僕は彼に結婚したことを報告したし、彼は僕の報告に対して、一応頷いてみせた。

・・・

日本列島の北、いわゆる東北地方だ。

冬は寒いが、夏は存外、すこぶる暑い(青森だけは凍えそうなほど寒かったが)。

岩手でSL銀河という機関車に乗り、青森のねぶた祭りで花火を見て、日本海に沿ってドライブをした。

・・・

その間、僕が考えていたのは、あるテーマに関してだ。

生きること。

生きることについて、考えを巡らせていた。

それは畢竟、こんな質問に帰結する。

僕たちは、何を、どうすればいいのか。

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民宿、旅館、ホテル。
様々な形態の宿に泊まった。

秋田の民宿では、オーナーのおばちゃんと妻がずっと楽しそうに話をしていた。

「ここは秋田の辺鄙なところですけど、意外と外国人の人も泊まっていくんですよ」

「こんなところで、外国の人だと何していくんですか?」

「それが、ヨーロッパの方とかはすごくのんびりしていかれるんですよねぇ。1日ゆっくり本読んだりして、二週間ぐらい泊まったりしてますよ」

僕はただ、二人が話す光景を客観的に眺めている。

・・・

大事なことが、この世界にはたくさんあるという。

仕事は結果を出さないといけないし、プライベートも抜かりなくこなさなくてはならない。

最高の人生にするために、一秒たりとも時間は無駄にできない。

こんな慌ただしい世界で、発狂せずに暮らすのは、なかなか難儀なことだなと思っている。

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旅の終わりは、いつもとても寂しい。
それは、この後に、代わり映えのない「日常」が待っているからだ。

例えば、もし旅が日常だったなら、どうなるだろうか。
ホテルや民宿など、自分が知らない場所に1ヶ月、暮らしてみる。
そうして、その地に慣れてきたら、場所を変える。

スピードはゆっくりしているけれど、毎日が旅である。
旅が日常であったなら、どうなるだろうか。

・・・

旅の最終日。
山形県で、山寺へと行った。

1000段を超える長い階段を登りきり、山形の街を見下ろした。

痛快だ。

松尾芭蕉はここで、あの有名な一句を詠んだという。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

・・・

「芭蕉は、俊平みたいな人だったんじゃない?」

妻がそう楽しそうに言った。

「なんで?」

「だって旅しながら、俳句をずっと詠んでたのでしょ?相当変な奴だったと思うよ、そんなことする人は」

そうか、と僕はヒントを得る。

彼が、何を、どうしていたのか、それを理解できれば、自分の人生のヒントになるかもしれない、と。

似た者同士なのだから。

・・・

芭蕉にとって、旅は日常だった。

常に旅をし、そこからインスピレーションを得て俳句を詠んだ。

つまり、旅をして、俳句を読んでいた。それだけだ。

ここで、「あれ?」と僕は思うのである。

旅は、普段行かないような遠くへ行くことだ、と書いた。

それなら、常に旅をしているとして、どこからが「遠く」になるのだろうか。

それはもしかしたら、旅とは言えなくなるのではないか。

・・・

僕は、芭蕉本人に聞いてみたくなった。

あなたは、何をしていたのですか、と。

それは旅だったのですか、と。

それが、旅とは違う答えだったとして、僕は、さらに問い詰めたいのだ。

あなたは、何を、どうしていたんだ?

・・・

とまあ、ここまで考えてくると、色々と、どうでもよくなってくる。

僕らにできるのは、世界を変えることではなく、今を生き抜くことだけだ。

帰りの新幹線の中、僕はひとり、日常へと迎合する準備を整えていく。

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菊池俊平
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