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【日経リスキリングから⑦】失明撲滅へ、眼科医からバイオベンチャー経営者に(窪田良・窪田製薬ホールディングス会長・社長CEO「キャリアの原点」)

日本経済新聞社の日経電子版にある「日経リスキリング」(掲載時の名称は「NIKKEI STYLE」)。この旧NIKKEI STYLEの人気コラム「キャリアの原点」に書いた記事をご紹介していきます。

※扉の顔写真は筆者撮影

 東京都内で電車に乗っていると、ドア付近の窓に書籍系の小さな広告がある。これを見て「どんな本か」「売れるかな」と類推するのが好きだ。2024年のある日、こんな本の広告が出ていた。

 『近視は病気です』――著者が窪田良氏と書いてあるのを見て、取材した日のことを思い出した。単に「医療の売れ筋本」を狙う人ではない。慶應義塾大学医学部で学んで眼科医となり、臨床で手術執刀もこなしながら研究医として「網膜の病気につながる遺伝子を見つける」ことに没頭した。

 そして、1995年に「緑内障を引き起こす原因遺伝子」を見つけ出すという大きな成果をあげた。そして、従来は難しいとされた網膜疾患の治療法を見つけ出そうと、再生医療の研究を深めるために渡米。そこで徒手空拳でバイオベンチャーを米シアトルの自宅で立ち上げた。

「世界から失明を撲滅する」――。壮大な理想を掲げて、米ワシントン州シアトルにあった自宅地下室でバイオベンチャーを創業した日本人がいる。窪田製薬ホールディングス(HD)の代表執行役会長・社長兼最高経営責任者 (CEO)である窪田良氏だ。窪田氏はもともと眼科医。なぜ、バイオベンチャーの創業を決意したのか。

(↑リンク記事のリードから引用)

 渡米して2年で立ち上げたバイオベンチャー「アキュセラ社」が注目され始め、その後に創薬スタートアップの窪田製薬ホールディングスという企業となって結実、東証マザーズ(現・東証グロース市場)への上場も果たした。

実績のある研究者・眼科医だった窪田良・窪田製薬ホールディングス最高経営責任者(CEO)が2000年、米ワシントン大学へ研究の場を移したのは、当時勃興しつつあった再生医療を研究するためだった。網膜疾患に特化したバイオベンチャーを立ち上げたのは、渡米からわずか2年後。研究成果を委ねて、医薬品メーカーに新薬を開発してもらうというセオリーに従わず、自ら起業する道を選んだのは、これまで臨床医としては治せなかった病を治療できる新薬を作りたいという強い思いに導かれたからだ。

(↑リンク記事のリードから引用)

 そんな窪田氏の「キャリアの原点」を追うと、子供の頃からの「世界に名を残したい」という大望・野心が、医師としての経験を経て「病の治療という人の役立つことをしたい」と利他心へと育っていった過程がつぶさに追える。新著『近視は病気です』も、日本人に多い近視を「どうにかしなければ失明をなくすことはできない」と考えたからであろう、と推察している。

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