見出し画像

忘れられた1811年“米国最大級”地震が現代に鳴らす「どこでも要警戒」アラート(デーリー東北「私見創見」)

青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から2カ月に1度のペースで書いています。第20回は2024年4月21日付から(※社会状況は掲載当時のものです。内容は一部、変更・修正している場合があります)。

※扉の写真は「Missouri Encyclopedia」の記事からパブリックドメイン画像を引用

 2024年は元日から能登半島地震(M7.6)に見舞われ、多難な年明けを迎えた。現地の復興は交通アクセスが悪いこともあって順調に進んでいないという。筆者も募金しかできていないが、被害に遭った皆様には衷心よりお見舞いを申し上げたい。

 新年度に入った4月2日、八戸市や三沢市などで震度5弱を観測するM6.0の地震があった。翌3日には台湾近海でM7.7の地震が発生、沖縄県八重山諸島などに津波警報も発令された。幸いにも大津波はなかったが、肝を冷やす規模の警報だった。

 さらに米国で5日(現地時間)、ニューヨーク市の近郊を震源とするM4.8の地震が起きた。日本なら大騒ぎにならない規模だが、地震が珍しい地域だけにニュースになった。

「珍しい」と書いたが、実は米国も過去に大きな地震の被害に遭っている。過去の米国での巨大地震を調べて驚いたのが、1811年12月〜12年3月に起きた「ニューマドリッド地震」だ。米国史上最大の地震だったという。米中西部ミズーリ州のオハイオ川とミシシッピ川の合流点に近い街、ニューマドリッド市にちなんで名付けられた。

 地震の規模は11年12月がM8.1、12年1月はM7.8、そして同2月に最大のM8.8と巨大な揺れが3度も発生した。米東海岸のニューヨーク、ボストン、首都ワシントンD.C.でも深刻な揺れが観測され、ボストンでは振動で教会の鐘が地域に鳴り響いたという。

 震源はミシシッピ渓谷の中央部。ニューマドリッド市の記録には「12年2月の最大地震の後はミシシッピ川が数時間にわたり逆流し、原住民を溺れさせ、ミシシッピ川に二つの滝が一時的にできた」とある。

 さらに「5カ月間で2千回以上の地震が発生し、地割れに飲み込まれた行方不明者が多数いた。地割れが南北に走っていると発見した人々は、東西方向に木を切り倒し、大地が揺れ始めるとその木につかまって落ちないよう踏ん張った」と記録されている。

 液状化現象と思われるサンドボイル(噴砂)現象が起き、地中からゴルフボール大の石油タール玉が多数出たほか、地中にある石英の結晶が圧迫されて「多くの発光現象があった」との記述もある。

 この日は川を遡上して現地初の蒸気船がニューマドリッドに来た日だったという。船は地震が起こした川の逆流に巻き込まれ、地震後は流されてきた大量の流木に阻まれた。地元原住民から「蒸気船=文明が地震をもたらした」と非難・攻撃され、船員たちはなんとか逃れたと記されている。

 地震が少ないイメージのある米国でさえ、東日本大震災級の地震が起きていたのだ。これは地球上のどこでも、予想だにしない規模の地震災害などに巻き込まれる可能性を示す。

 日常的に地震があり、首都圏大地震や南海トラフ地震が「あると確実視されている日本」では警戒を怠るいとまもないのだ。

 八戸を含む三陸海岸沿いでは過去に、5〜6月に地震・津波災害に遭うことが多い。八戸市でいえば、東日本大震災の以前で最大級だった「三陸はるか沖地震(M7.5)」は1994年12月だったが、その前は「十勝沖地震(M7.9)」が68年5月16日にあった。

 この地震では八戸市小中野に住んでいた筆者家族も津波浸水に遭い、筆者地震も今は亡き祖母に救われて九死に一生を得た、と言われて育った。

 三陸側ではないが、100人以上の津波被害者が出た「日本海中部地震」も1983年5月26日だった。このほか、チリ津波地震(60年5月24日)や、明治三陸地震津波(1869年6月15日)があるなど、5〜6月はインパクトの大きい地震・津波が起きている。

 もちろん5〜6月だけが危ないわけではないが、過去の地震・津波災害の記憶からも、警戒と備えを怠らずに気を引き締めたいところだ。地球は今も進化し続けている。どんな国・土地でも地震は起こりうる。

(初出:デーリー東北コラム『私見創見』2024年2月21日付)

【関連情報・リンク】


いいなと思ったら応援しよう!