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トホホ空港

 海外へ行く時、国際線の空港ではパスポートコントロール(出入国審査)を通るまでが大変だ。その先は安堵ともに買いもの意欲が高揚する免税店があり、ついフラフラと灯に集まる蛾のように吸い寄せられてしまう。

 そもそも筆者は、いつもなぜか空港に到着する時間が遅くてギリギリになってしまうので(ビョーキでしょうな)、土産物などを買う時間はこの時しかなく、血相を変えて買い物する羽目になることが多い。もはやショッピングとは言えない、「仕入れ」のような慌ただしさ。その勢いで余計なものまで買って無駄遣いをしてしまうのも、筆者のような田舎者の悲しい性だ。

 逆に、まったく食事も買い物もまともに出来ない空港もあるから、世界は広いしおもしろい。その国の首都にあり、ハブとなっている国際空港でも「えっ!」と驚く素朴な空港がある。

 そんな空港のひとつとして思い出すのが、1994年秋に訪れたルーマニアの首都ブカレストにあった旧オトペニ空港だ。2004年からは「アンリ・コアンダ国際空港」と名称が変わったらしい(ただ、アルファベット3文字の空港コードは今も「OTP」だ)。ネットで調べると、アンリ・コアンダとはルーマニア出身で、1910年に世界初のジェットエンジン搭載の飛行機を作った発明家の名前だという。

 そんな来歴はググった後で知ったのだが、1994年当時は「それにしては…」とガッカリするくらい、本当に何にもない空港だったのだ。

 当時、タイ・バンコクでバックパッカーが集う「カオサン通り」の旅行手配業者に頼み、トルコ・イスタンブールまでの航空券を探した。その中で最安値だった「タロム・ルーマニア航空」のチケットを購入した。この航空会社の拠点空港が「オトペニ空港」だった。

 バンコク国際空港(当時はドンムアン空港)を夜に発ち、早朝にブカレストへ到着したが、トランジットでイスタンブール空港に飛ぶまでの待ち時間は12時間もあった。独裁者としてルーマニア国民を貧困の淵に追いやったニコラエ・チャウシェスク元大統領が、1989年の革命たおされてから5年が経過していた頃だ。だが、空港建屋の窓ガラスは割れたままで、ロビーにはイスもなく、コーヒー店や雑貨・新聞店すら存在していない、なんとも貧相な空港だった。

 トランジットで手荷物も預けてあったので、手元には自前の本すらも持っていなかった。仕方ないから首都ブカレストの街中に出た。活気はないが、ヨーロッパの街並みは美しく、自然も豊かに見えた。ただバスに乗っても、街を歩いていても、外国人旅行者は珍しいのか周りから奇異な目でジロジロと見られた。

 そんな中を歩いていると、

「チェンジマネー?」

 と、声をかけられる。ルーマニア人ではなく、トルコ系の風貌の男性だ。

 当然、断る。だが相手も引き下がらない。そこに「警察だ!」と叫んで別の男がやってきた。「違法両替しただろ、持っているキャッシュを全部見せろ」と強弁しながら、こちらの財布を奪おうとする。頑強に抵抗すると殴るそぶりを見せるので、仕方なくポケットにある米ドル紙幣を数枚見せた。

 すると、数えるふりをして1〜2枚をかすめ抜き、「次は逮捕だからな、気をつけろよ」などとほざいて立ち去っていくのだ。

 やれやれと思っていると、ワンブロック先の交差点でも「チェンジマネー?」→「警察だ!」と違う2人組が登場する。こうしたトルコ系の詐欺犯が交差点ごとに現れるから、もうたまらない。

 仕方なくバスターミナルまで逃げついてバスで空港に戻ったが、前述のように「なーんにもない」のである。しかたなく残り9時間近くの長い長い暇と不自由と空腹を、人気ひとけも商売っ気もないオトペニ空港で修行よろしく耐え抜いた。

 以来、格安の航空チケットを買う際は最低ラインには手を出さないことにしている。アンリ・コアンダ空港に改称した後はさすがに改善したと思いたいが、あの時のトラウマは大きく、なかなか再訪する気になれない。

 これを超える“トホホ空港”にどこかで新たに出会えたら、そんなトラウマも上書きされて解消されるだろうか……?


タイ・バンコクに駐在していた時に、現地のフリーペーパー『web』の巻頭に書いていたエッセイ(2008〜2010年ごろ)を収容しています。社会情勢・環境や経済状況は当時のままにして、現在の視点も盛り込んでいます。

※扉の写真はiStockからライセンス取得済み。

(了)

【関連情報・リンク】

◆タロム航空
https://www.tarom.ro/en/


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