
ラヂオ・デイズ:1980〜85年
ラジオの深夜放送にハマッたのは小学5〜6年生だったろうか。当時は多くの子供らが聴いていて、学校の休み時間に「きのう聴いた?」と放送内容についてコッソリ話した、という人も多いだろう。
最初は主にAM(中波)で地元放送局を聴いていただけだが、夜はダイヤルをちょっと回すだけで様々な地域の放送が飛び込んでくる。ある夜、よく聴く番組(全国ネット)をいつもと違う周波数で聴いていたら、時報の前に「CBC中部日本放送です」とアナウンスが流れた。調べてみて「おお、名古屋から!」と感動したのを覚えている。
それからというもの、いかに遠くの放送局を拾うかに熱くなった。か細い電波で英語やロシア語、中国語を拾うこともあれば、高出力のハングル語放送を受信することもあった。内容は皆目理解できないが、「おいおい外国の放送だぜ」と妙に興奮した。
ある日の新聞を読むと、これが「BCL」という呼ばれる楽しみ方で、ブームになっていると記事に出ていた。
BCLは「Broadcasting Listening」とか「Broadcasting Listener」の略だ。まぁ訳せば単に「放送を聴くこと/聴く人」のことだが、一般的には「珍しいラジオ放送の受信にいそしむ、ちょっとマニアックな趣味」と認知されていた。このオタク感が気に入り、筆者も以後、中学2年生ごろまで「趣味はBCLです」と得意げに吹聴する日々が続いたのである。
BCLの世界には短波放送というものがあり、世界中のラジオ放送を聴くのに適した周波数帯だというのが分かった。趣味が高じた人々は高性能な「BCLラジオ」で海外短波放送を聴くのだと知り、自分もこの短波ラジオが欲しくて堪らなくなってしまう。
当時も今も貯金癖がない筆者は結局、まだ働いていた祖母におねだりし、松下電器産業(現・パナソニック)の最新型BCLラジオ『ナショナル・プロシードRF2600』を1980年ごろに買ってもらった。今調べたら1978年の発売で、価格は4万7800円だったらしい。ラジオ1台でこの値段。ほんと「おばあちゃん、すみません」である。
その後は放送時間と周波数を調べては世界中の放送(主に日本語)受信に熱を上げた。ワライカワセミの鳴き声で始まるオーストラリアの放送、なかなか聞こえない南米エクアドルの放送、どこか堅苦しい西ドイツの放送などなど……。
放送内容と受信状態を書いて各国の放送局に送ると、「ベリカード」と呼ばれる受信証明書(ハガキなど)が届く。これを集めるのもBCLの醍醐味で、国内外の放送局から100枚近く集めた。外国へ郵便を出すのも初めての経験で、なんか見知らぬ世界を思い描いて興奮する時代が続いた。
その後は自分で簡単なラジオを手作りしたり、高性能ラジオで聴いたアマチュア無線(ハム)の世界に魅せられ、免許を取得して海外と交信したりと高校生時代まで電波の世界に没頭した。
だが1985年の高校3年生にもなると大学受験やらで忙しくなり、大学に入ったら入ったでサークル活動の方が楽しくなるやらで遠のいてしまったが(おばあちゃん、本当にすみません)、こうしてラジオを通して育んだ芽は、海外に出る仕事を選ぶという形で花開いたと言える。
一昔前までは駐在員や出張者も海外では短波ラジオを必携するのが当たり前だったが、インターネット社会となった今、そういう人は絶滅しつつあるのかもしれない。放送局も日本語放送も減っているが、ネットが通じないどころか電源もないという状況になったら今もラジオは大きな武器になる。
海外ラジオ放送(特に旧共産圏から)を24時間受信して、内容をマスコミや官庁に配信している一般財団法人ラヂオプレス(RP)の仕事をみていると(執筆時の2009年当時の話)、今でもラジオ放送というのは各国の先端情報を知る第一級のソースだと分かる。
世の中全体がデジタルへ移行する社会で、かつてのブームに活躍した世代がラジオのアナログ世界に再び目覚め、BCLラジオがネットオークションで高値取引されるケースもあるという。最先端の情報をのんびりと聴く余裕を、またいつか楽しみたいものである。
(※初出:2009年10月、バンコクで発行されていたフリーペーパー『web』=休刊中=より)
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