ボクの住む町の隣町は
先日はボクの住む町を紹介しました。
今日は隣町を。
隣といっても、上りと下りがあります。
上りの町は庶民的な小さいエリアにいろんな店がある下町テイストな町。
そして下りは駅前に有名大学がある町。
今日は大学のある町を。
(ここでの町とは住居表示での町ではなく、一定のエリアを表して
町という言葉を使っています。)
この町は駅から二本の商店街が平行して通っていて、
お店の多いメインの商店街が幹線道路に突き当たるともうすぐわが家。
そういつもどん突きから商店街に入り、買い物を楽しんでいます。
最寄り駅よりも断然こちらで買い物をする方が多く、
わが町の主役のチェーンスーパーも、こちらの町の方が店舗が大きく
歩くスペースも余裕があるので買い物がしやすく、こちらを使うことが
増えました。
あと地元密着のスーパーの存在も大きくて、肉、魚が値段の割に品が良く、晩酌の日などは必然的にこちらを利用することに。
そして、何と言ってもこの町の主役は、商店街のいろんなお店の数々。
揚げ物を買うお肉屋さん、珈琲と輸入食品のチェーン店、
7年半通い続ける生花店、アメカジのセレクトショップ、床屋、コンビニ、
和菓子屋、お茶屋、居酒屋、蕎麦屋、信用金庫、酒の安売りチェーン店
など、多種多様なお店が軒を連ねています。
商店街の魅力。それは挨拶だと思っています。
「おはようございます」「こんにちは」「暑いですね」「どうも」
何気なく交わすそんな言葉が、朝でも夜でも気分を上げてくます。
わが駅の商店街で挨拶を交わしていたお店は殆どなくなりました。
なので今は、大学のある町で、挨拶を交わす心地良さと踏み込みすぎない
バランスの良い会話を楽しんでいます。
わが駅で唯一挨拶するお店がありました。
それは葬儀屋さんというシュールな話。
妻も父もお世話になりましたが、何ともいえない表現ですが、
お馴染みとして心地良い挨拶を交わしています。
大学のある町で一番お世話になっているのは、何と言っても生花店です。
妻が亡くなった7年8ヶ月前、花がないのは寂しかろうと、お花屋さんを探しました。しかしそれまで花を買ったことなど殆どなく、どの花をどのくらい
買ったらよいかも知らず、管理の仕方も全く知りません。
とにかく何軒か回ったのですが、ここというお店が見つからずにいました。
そんな時、あまり店も人も少ない方の商店街でみつけたのが、この生花店
でした。
70代であろうご夫婦とそのお子さん夫婦の4人で営み、いつも笑顔の
庶民的で話しやすい雰囲気。花の多さや入りやすさに引かれて入って
みると、ひっきりなしにお客さんが訪れる人気店でした。
生花店の花ってどこも同じように感じますが、品揃えだけでなく管理等も
いろいろ違いがあるようで。とにかくここの花はとても持ちがいいのです。
そして次に花を買いに行った時、初めてご主人と奥さんと話しました。
妻が亡くなったばかりで、お花の買い方も分からないので教えてくださいと
お願いした所、奥さんが、「旦那さん(この呼び方、昔の東京では当たり前でしたが今はもうなかなか聞けません)この間はたくさん買っていただき
ましたが(覚えるんだ?)、あんなに買わなくて良いですよ。もう少しに
して、毎週買ってあげたらどうですか?その方が奥さまが喜ばれると思い
ますよ」と言うのです。
またある時は「月曜と木曜に市場にいくので、午後には元気な花が揃ってますから、買うなら月、木ですよ」とも。
妻が亡くなって一人になり、花のことなど何も知らずに必死に花を買う男に
強力な味方が出来た瞬間でした。
それから7年8ヶ月、毎週、たまに一週おきだったりしますが、
いろいろなよもやま話や、花について教わりながら買い続けています。
ちなみにこれまで一番多く買った花は、妻が好な紫色の「トルコ桔梗」。
そして一番好きになった花は「芍薬」です。
花屋さん、これからも末永くよろしくお願いします。
そしてもう一軒は、もう今はないお店。
駅からだと商店街の一番どんつきにありました。
昔は商店街には必ずあった、おでん種とかまぼこのお店です。
とてもやさしい笑顔のご夫婦がやっていました。
かまぼこと言っても板の上に白や赤いのが乗っているかまぼこではあり
ません。あれはは板かまぼこと呼ばれてました。
かまぼことは、魚のすり身を丸めたり、具を入れたり、混ぜたりして
揚げる、まあおでん種。25年前に引っ越してきた頃、よく友だちを呼んで
パーティをしていました。酒も食べ物もガンガンいく人たちの時の定番が
おでんでした。それで良く大量買いして顔見知りになりました。
幹線道路からすぐ近くどんつきにあるので、商店街に入るとまず
「こんにちは〜」とこのお店のご夫妻がかけてくれるのが常でした。
そう、この町で初めて出来た馴染みの店だったのです。
しばらくして時代とのズレというか、おでんはコンビニ買う時代になり、
また冬の食卓の主役からおでんが陥落したこともあって、段々お店の
元気がなくなり、奥さんがパートでちらしや手紙などの配達をはじめ、
そしてひっそりと閉店しました。
今は介護事業所になっているお店の前を通るとご夫妻の笑顔と挨拶の声が
聞こえる気がします。
どんなに繁盛していても、どんなに素敵な家族がやっていても、200年とか300年とか続くお店はまれで、お店はいつかはなくなっていきます。
それでもお店の人たちは、元気よくあいさつと笑顔で、ボクらの日常の
幸せの彩りの一部を受け持ってくれています。
商店街に響く、挨拶、あふれる笑顔、子どもの泣き声、立ち話の笑い声、
チリンチリンという自転車のベル、たくさんの思い出、それらがまるで
雪が積もるように静かにゆっくりと積み重なって、年月とともに、町の味や雰囲気、歴史になっていきます。
京都や金沢のようなオシャレな町ではなく、どこにでもある町や商店街
こそが、私たちの心のふるさとになっていくのです。
ボクは商店街が大スキです。
それもチェーン店の飲食店や呑み屋で埋め尽くされたのではなく、
生活を支えるお店が連なった商店街がスキなのです。
またあそこを歩きたい。そんな思いがいつまでも叶えられる商店街として
続いていくように祈っています。