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刀ミュで人生がめちゃくちゃになった

これは人生をオタクコンテンツに捧げてきたアラサー女オタクが推しキャラを切っ掛けに2.5次元の沼に転げ落ち、そこそこの俳優オタクと化した姿を記す備忘録である。
情緒の整理のつもりで書き溜めていたものを、ここ最近気が滅入るので思い切って編集して公開することにした。
特に面白みもないと思うが、まあ見てやろうじゃんという奇特な方でも適当に流し読みしてほしい。クソ長いので。多分読みにくいし。
あと間違った事言ってても許してほしい。記憶なんて曖昧なものなので……

▽前書き

自分は人生の半分以上をオタクとして過ごし、あらゆるメディアミックスに生かされてきた女だが、舞台化作品には幾分足踏みしてきた。
大きな魅力を感じていなかったのだ。怒られることを承知で言うが、舞台化というジャンルにほとんど期待をしていなかったとも言う。
ほぼ食わず嫌いのようなものだった。
そも、刀ミュにだって強い期待があったわけではない。2000円足らずで一週間映像を見られると言うのでトライアル公演を見たのだが、その時も感想としては「こう言う感じか」だった。
その後チラチラ流れてくる情報を見ては「おっ進化しとる」以上のことは考えなかった。完全に高みの見物状態だったのだ。
それがどうしてここまで転げ落ちて行ったのか。ほんの一例である。

▽転機は三度

転機①:刀ミュにおける"和泉守兼定"の登場
ミュージカル刀剣乱舞におけるタイトル二作目、《幕末天狼傳》。
ここに"和泉守兼定"が登場した。

およそこのエントリをここまで見ている人間は同類が殆どであろうと思われるので詳しいことは言わないが、ざっくり言うと土方歳三の愛刀の付喪神で、元の主に似て短気だが仕事は立派にこなし、気っ風が良く情に厚いイケメンである。

キャラクターのイメージを観た人、どうか本体である刀の拵えをググってほしい。デザインとバランスの妙を感じて頂ければ猶の事幸いである。

自分はこの和泉守兼定が大層好きだ。当時も推しキャラのうちでは割合高い位置に存在していた。情弱なのでゲネプロ写真が公開されるまでビジュアルすら知らなかったが、刀ミュに対してわりとフラットな状態で見ても驚いた。

顔が大変よろしかったのである。

その顔の良さと衣装などの再現度、端々に見えるキャラクター解釈に脳みそをぶっ叩かれた。衣装のボリュームに殺されないスタイルの良さもまあまあおかしい。
特に、少しガラの悪く見えるやんちゃなポーズ。原作ゲームでは見られない要素だと言うのに、そこに居たのは紛れもなく"和泉守兼定"だったのである。
今思い返せばメイクもウィッグも試行錯誤を繰り返し、写真を見る限り公演中にブラッシュアップされていったように思う。それらが素晴らしく感じたのだ。
あと本音を言うとめちゃくちゃ可愛かった。演者さん当時ハタチ過ぎるくらい……?うそだろ……?その若さにも驚かされ完全にスペキャ顔になった。
ちなみに演者さんは公演開始当時20歳。公演中に21歳を迎えていた事を後に知った。マジかよ。

が、ここまで来てもまだ本編を鑑賞することはなかった。タイミングを逃したのである。
情弱なので(二回目)ライビュがあった事も知らなかったし、その後配信が開始された時も当初は全く知らなかった。好感度だけが上がって終わったのだ。
しかしこれがなければ次の転機にも繋がらなかった。演者さんには感謝しかない。

転機②:"にっかり青江"の登場、ストーリーの重み
ふたつめに、《三百年の子守唄》である。
ミュージカル刀剣乱舞のタイトル三作目であり、正しい歴史を護るために何十年という長い時を戦い抜く刀剣男士の姿を描いた作品だ。

推しキャラの一振である"にっかり青江"の登場に、同士が溢れるツイッターのタイムラインは俄かに沸き立った。
もはやビジュアルに対する疑いは無い。前述の項で信頼は築かれていた。
ここでもまた足踏みしてしまいライビュを逃す。
臆病なオタクゆえである。許してほしい。
その後フォロワーの勧めもあり、円盤を待てずに配信版をDMMで買った。

結果を言うと、初見でボロ泣きした。

日本史に関しての興味があまりなかった人間なので、歴史的な解釈に関してあれこれ違和感を感じることはなかった。
その代わり、ストーリーの重みと展開に引きずり回されて、キャラクターだけに耽溺する余裕が一切ない。
推しキャラに定点している暇なども一向にないのである。
正直「かざぐるま」のイントロが流れた瞬間に「あとで泣くわこれ」とフラグを感じ取っていたし、その通りになった。

劇中のつらい別れや大倶利伽羅と石切丸の葛藤を思って情緒はずたずたになり、見守り続ける青江の優しさに震え、村正派ふたりそれぞれの立場を考えて苦しみ、最後の方は物吉くんの涙と台詞で完全に涙腺がバカになり、ほのかな救いに触れた。
夜中にベッドの中で枕をべしょべしょに濡らして泣いた。

こんなに辛くて切なくてたまらなく愛しい話があるだろうか? この本丸の審神者はドSだ、間違いない、絶対に許さない。そう思っていた。
それでもまだ甘かったのだ。
これについては次の項で語ることにする。

もちろんライブパートもしっかりと楽しんだ。
蜻蛉切の歌唱力で鼓膜からバチバチに脳をぶん殴られたし、歓喜の華で青江が脱いだ時は一度手にしていたiphoneを全力をもって放り出してしまい、液晶保護シートをカチ割った。
この時から刀ミュというコンテンツに対してネガティブな気持ちはほとんどなくなった。
今も変わらずに存在するのはチケット戦争への恐怖とブラインド系トレーディンググッズへの憎しみだけである。

転機③:《結びの響、始まりの音》を鑑賞した
これが最大の転機になる。
①で先述した《幕末天狼傳》から連なるタイトル第五作、《結びの響、始まりの音》を現地で鑑賞した。
とうとう訪れた舞台作品の初鑑賞である。
フォロワーが同行者を募集しており、思い切ってその募集に乗った。
未だに日付は忘れられない。2018年4月某日だ。

梅田芸術劇場の三階席から双眼鏡を手に臨んだマチネ。
推しキャラである和泉守兼定のコーレスを浴び、わたしは完全に
"""""""ガンギマリ"""""""
になってしまったのである。
浅学なため他に適切な言葉が見つからないが、その圧と勢いは最低限伝わるであろうと思われる。
推しの推し役が出る舞台というものは、シャブなのだ。
そこに観客へのサービスが含まれるともなると、最早人間の体裁すら整えられなくなる。
麻薬中毒者のループを描いた画像のようになる。なった。

この心底かっこいい男を見てくれ……

数か月後にそれらを振り返った自分は
「細かい事なにも覚えてない」
「顔と声が良かった」
「話が良かった」
「でもなにも覚えてない」
と綴っている。

脳みその記憶野がガバガバ。
仕方がない、素晴らしいものを見た人間は昔からみんなそうだ。
そうだよね?(不安)

しかし改めて内容を思い返すと、こんな苦しい事があってたまるかよという気持ちでいっぱいだった。
当時は前情報ほぼなしで挑んだために「こんなところまで踏み込むの!?」という驚きに頭をやられていたが、冷静になればなるほどつらい。

前述の《三百年の子守唄》とはベクトルの違うつらさだ。
あれも「正しい歴史を守るため」という主軸があり、その大きすぎる正しさと深く強い情の前に懊悩していた。
その悩みのために対立することもあれば、孤独を選ぶこともあり、後悔と喪失もあった。

自分の解釈として言えば、《結びの響、始まりの音》はそういった所から発展し、刀剣男士という存在におけるアイデンティティの根幹たる部分へと、当時の時系列においてより強く触れたのだ。
和泉守兼定を形作るもののナイーブさには肌身が震えた。

そも、舞台は戊辰戦争や函館戦争などの幕末を代表する動乱の時代である。そんなもんオメー辛くないわけがあるか。
プロンプトが脳裏で囁いている。「そりゃつれえでしょ」と。
自分はこれらが不意にリフレインする度むちゃくちゃ辛い。

でも劇中の刀剣男士たちは「つらい」などとは全然言わない。ここクッソしんどいポイント。
どうして、と言いながらジレンマに苦しむが、本当にすべてを投げ出したことは一度もなかった。しっかりと向き合うあまり、溢れた弱音や本音の形があまりにも純粋で誠実すぎる。
そのあたりは劇中に出ている歴史上の人物が口にしたセリフなどとも比べてみてほしい。やはり言葉の感触が人と刀剣男士で違うものを感じる。

さて、主軸となった土方歳三の行く末を思えば、当然、それを見送らなければならない刀たちの悲哀に目が行く。
それでは終わらないのだ。
正味な話、時間遡行軍の狙いが分かったその時、「そんなひどいことある?」と思った。
実際「そんなひどいこと」では済んでいない。
その程度におさまらない。

ここで描かれる幕末において、歴史を変えるための目的を阻むと言うことは、"史実通りに重要人物が死ななければならない"という事である。
この"史実通りに"というのが肝だ。
刀ミュにおいて共通のワードではあるが、これを悟った瞬間、タイトルの回収と部隊編成の妙を悟り鳥肌が立った。このためか!と全身が痺れた。

刀の時代の終焉を見送り新たな時代を始める、その象徴たるワンシーンに大きく響いた一条の音を指して、《結びの響、始まりの音》なのである。

それらへ臨む六振りのなかに、「物語がない」と自らも口にする"巴型薙刀"までもが含まれる。
"概念としての集合体から成る付喪神"という一点を元にするのであれば、和泉守兼定とは強く対比する構図だ。
そして劇中の遡行軍とも共鳴しながら強く対比を描かれ、その疑問と存在、思いへのアンサーがしっかりと齎される。
なにかとエグいにも程があるやろがい!死んでしまうがな!
こんなことがあってたまるか。
この本丸の審神者は鬼か何かだ。
人の心を知ってるけど人の心がない。

再三に記するが、筆者は日本史に大きな興味を持たない人間である。歴史に対する個人的な解釈がほとんどない。
そのせいで、なまじ道筋が正しく思えるためにだれを咎めることもできないので、細かいことに気付いてから余計にメンタルが荒れた。それはもうめちゃくちゃに。
敬意と畏怖と憎しみと感謝を同時に抱いてもなお足りないほどの複雑さだ。

悲しくて苦しくて、でもやりきれないと投げ出せるわけではなく、受け入れなければならない、とわかるのでより一層きつい。
なんてことをしてくれた。もうちょっと手加減してほしい。
嘘です、手加減なんてしないでもっと全力で我々の情緒を殴り倒してボコボコにしてほしい。
でも……やっぱつれえわ……(二律背反に悶え苦しみ泣き出す女オタク)

なお、細かいことに気付かずとも感じていたあらゆる衝撃を消化し切る間すらなく、たった20分の休憩を挟んで二部のライブパートに突入するのである。
勘弁してくれ。無茶だ。
強制メンタルリセットじゃん。毎回こうだぞ。
携えた光る棒を両手に振り上げながら40分を過ごしたが、体感は5分だった。推しのスタイルは死ぬほど良く、また声も大変良かった。
ブロードウェイダンサー俳優が演じる巴型と組むなんてこの時点で誰が想像するよ。たぶんめちゃくちゃ良い回を引いた。
駆け抜けていくキャストの顔はみな綺麗だった。現ナマは解像度が高すぎる。
いまなにが終わったのかわからないという顔で物販に並び、パンフとシュシュを手に入れ同日のソワレに挑み、その後千秋楽のライビュまでしっかりキメていた。やっぱり細かい事は何も覚えていない。

以降2018年4月から本日に至るまで、自分は兼さんガチ推しオタクであり、その演者である方のファンであり、刀ミュのファンなのである。

これら三つの転機を経て完全にミュの女と化した自分は今秋公演予定の幕末天狼傳2020、おそらく死ぬのだろうなという確信だけがある。
実際に真剣乱舞祭2018や歌合乱舞狂乱2019を観劇した時点でさえめちゃくちゃにヤバだったので、どう殺されるのか今から恐々としつつ待っている。

ありがとう、ミュージカル刀剣乱舞。
一思いにやってくれ。わたしの首はここです。

素人が思う「舞台」のこと

「舞台」という文化に直接触れる糸口として、2.5次元は非常に優秀だった。
正直糸口と言うには太い気もする。
多分橋を支えるワイヤーくらいの太さはある。
導入性の良さを考えるとぶっといホースと例えていいかもしれない。

舞台のぶの字すら頭になかった地方在住の女オタクが刀ミュから役者さんに惚れ込み、情報をかき集めるにとどまらず、とうとうストレートの舞台を東京の現地で鑑賞するに至ったことを考えれば、演劇界の存続に寄与する強い力があると素人の自分でも思った。

演劇ってパワーだ。

そのパワーを裏打ちする技術や努力、蓄積されてきたノウハウ、すべてに携わる人々の力の結晶だ。
練り上げられた"力"を支えるコストとしてチケット代やグッズ代を支払い、アンサーとしてそのすべてを正面から浴びるのだ。
社会の繋がりが循環している。
どうかこの力をくれる文化が途切れないでほしいし、生きてまた情緒を気持ちよくぶちのめされるため、そして気持ちよく推しコンテンツへ課金できるようになるため、今は耐え忍ぼうと決めている。
オタク楽しくて死ねねえ~~~!!!絶対生きるぞ~~~!!!!



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shulla
クリエイター活動費(?)と推しへのBIG LOVEになります😉