パヤオに対する疑問、そしてパヤオに対する礼儀
あ、どうも。悪意表出ソムリエです。
反差別絵画、または反ヘイト絵画と銘打って、一見ファンアートみたいな視覚表現なんぞしているオレですが、あのスタジオしばきシリーズ連作で最もやりたい主題と言うのが、実は、パヤオ世界の蹂躙なのですね。
パヤオの事を無条件で崇拝している訳じゃないんですよ、オレは。
はじめからパヤオの姿勢に疑問があって、それなりの礼儀を尽くしつつ蹂躙している訳で御座いますの。
【振り返りパヤオ体験】
1984年3月、高校を卒業した春休み期間中、オレは恐らく生まれて初めて、都内(確か新宿)の映画館に独りで映画を見に行きました。
それが傑作として当時ちょっと話題になっていた「風の谷のナウシカ」なんですよ。
オレも当時は18歳、まだ視野も狭く丸っきり子供だったはずなんですけど、高校の3年間が丸ごとロリコンブームと重なり、自分もロリコンショタコンであるという自覚があっただけに、まあ、劇場内で本編観ていて脳が色々とツッコミを入れてしまうのを止められないんですよ。
「何このパンチラ?さっきからずっと太ももやケツのアップばっかしだよね?え?ずっとこの調子でパンチラが続くの?」
「こいつさあ、どう考えてもロリコンだよね?オレもロリコンだからそりゃあ観てたらすぐに判るよ。」
「つーか、ナウシカはパンツ穿いてねえよなコレ?」
「あーダメだ。どんな青臭い綺麗事抜かしてくれても、パンチラの連打で説得力無くなってるわ…」
「…左翼思想を盾にするのか、ロリコンの癖に正々堂々と開き直る事も出来ないとは、何て卑怯な奴なんだムカムカ!」
ナウシカを観たあと、物凄く腹立たしい気持ちで劇場を出たのをよく覚えています。
パンチラを描きたいんなら正々堂々と描いて欲しいと思いましたし、別に綺麗事の説教で包まなくたっていいじゃないですか。
オレのこの意見、今でも何一つ変わっていません。
【蹂躙する時の礼儀】
但し、パヤオ世界を蹂躙するにあたって守るべき礼儀というものは、オレなりに持っています。
パヤオにとって、軍事とは、人間の暗部から来る、人類の恥部・文明の闇であり、糞や反吐に相当する。
人間は醜く愚かしい無反省な生き物だ。
その暗部や恥部を描くために戦争描写に拘っていて、そこに自分本来の好みの問題は反映されていないらしいのだ。
恐らく、自分の来し方への反省がそうさせているのではないか?とも思われる。
パヤオは独自の機体をデザインする事が多い。
パヤオが己の持てる技術全てを注ぎ込む機体デザインについては、オレが馬鹿にして蹂躙してはならない。
それがパヤオの表現者たる根底の主題と深く結び付いている、パヤオのオリジンな技術だからだ。
その様に考え、パヤオが独自にデザインした機体を矮小化して貶める事だけはすまいという自戒を持っている。
それがオレなりのパヤオに対する礼儀だ。
だからこそ、メーヴェやサボイアを描く時、色彩や流線の美しさを損ねないよう、オレは細心の注意を払ったつもりだ。
まあ、その様に考えているからこそ、パヤオも己の持つエロ妄想やエロ願望と真っ向から対峙して欲しいとは思うのだけどネ。 ( ´_ゝ`)
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参考資料
宮崎駿「雑想ノート」
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奥付
2019年10月13日 初版発行
記憶・考案・筆記・権利保有
©夙谷稀
引用の要件を満たす場合、権利者の許諾を不要とする。
但し、盗用剽窃行為に対しては法的措置を執らせて貰うので、言葉盗人の皆さんはお覚悟召されよ。
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