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住所不定無職の若者が叶えたゲストハウス開業の夢。2009年の開業から東日本大震災・コロナをサバイブして今、次の10年をどう見る?

こんにちはこんばんは!

宿場JAPAN広報チームのヨシザワです☺️

本日10月16日。

我らが宿場JAPANのゲストハウス1店舗目である、

ゲストハウス品川宿 が

15年目を迎えました!!!!

めでたい!!


ロゴも刷新!日よけのれんも変えました〜

プレスリリースも出しました!
これまでの15年間を振り返っての代表の意気込み、リニューアルしたWEBサイトやロゴに込めた狙いや思いまで、ぎゅっと詰まっていますので、ぜひご覧ください!


15年、振り返ってみるとたくさんの紆余曲折悲喜こもごもがてんこ盛り・・・。
メンバーや街の人たちは仕事場や酒の席などで度々耳にする、これまでのストーリーの数々。ですが、実はそれを公の場で語ってきたことがない!

・・・ということで、
今年から広報チームにジョインしたヨシザワが、タカさんこと代表・玉井(渡邊)崇志にインタビュー!

改めて、ゲストハウス品川宿がどんな変遷を辿ってきたのか、どんなことが今も変わらず続いているのか、そしてどんな未来を今描いているのか・・などなど、紐解いてみます。

我らが館長、タカさん

ベッドのヘッドボードを看板にスタート。DIYで走り出したゲストハウス品川宿


ヨシザワ:
タカさん、おつかれ様です!
今日は改めて15年間のこれまでを振り返りつつ、今後の意気込みなどを聞けたらなと思ってます。

タカ:
お、代表としての意気込みか。

ヨシザワ:
私は今年からの宿場JAPANビギナーなので、改めて立ち上げ時期から話を始めていきたいなと・・・。

ゲストハウス品川宿は、15年前に清美荘というビジネス旅館をリノベーションしたところから始まってるんですよね。
最初のロゴは、こちら(下記)だったとか。

旅人のイラストが情緒ある明朝体ロゴ


タカ:
そうそう。このビジュアルは、今も袖看板(建物の外壁に突き出すように設置された看板)には残っているよね。

ヨシザワ:
「ゲストハウス」=宿 であることが一番に主張されていますね。その後、2014年からがこちら(下記)。2018年ごろまで使われていたと。

タカ:
なんか甲骨文字みたいな感じがあるね。


GuestHouseのGHと、品川の2文字を組み合わせたロゴ



ヨシザワ:
そして、ゲストハウスの外観、第1フェーズがこれ。オープンしたてですね。


ハロウィンの飾り付けと開業祝いの花がセッションしている

タカ:
左下に看板があるじゃん。その看板は、客室にあるヘッドボードだったんだよね。

ヨシザワ:
え?


看板が実はヘッドボードだったなんて、当時気づいた人は何人いただろうか


タカ:
ベッドの枕元にヘッドボードってついてるじゃない。(看板用の)板がねえかなっつって、 ベッドの頭のところのネジを外して、「これでいいや」って作ったんだよね。

ヨシザワ:
DIY感がすごい。そこからちょっと経った外観がこれ(下写真)ですね。この正面から見て右側の、これまたDIY感が溢れる、「問屋場」と書かれているのは?

宿場町の雰囲気に合わせて、外壁も黒くシックに

タカ:
当時、Airbnbの普及(※1)で闇民泊がいっぱい増えて、お客さんが迷っちゃってたのよ。名前、表札もない建物に入っていくのに悩んでいて。で、ご近所の人がうちのお客さんだと思って連れてきてくれて、駆け込みどころみたいになってた状態だった。

※1 Airbnb(通称「エアビー」)はゲストハウス品川宿が生まれる前年、2008年サンフランシスコにて創業。瞬く間に普及し、宿泊業界に強烈なインパクトを与えた

それで、「超いいこと思いついた!」つって、ツーリストインフォメーションにしようとか言って、始めることにしたのよ。で、調べてみたら、江戸時代にも宿場街には、どうやらそういう窓口があったらしい、ということがわかって。それが「問屋場」って言われてたらしいと。「よし、じゃあ問屋場で行こう!」と、板をどこからか拾ってきて、スタッフのサントス(※2)が書道の段を持ってるから、「じゃ、サントス、問屋場って書いてよ」って言って、出来上がったんだよ。

※2 サントスは、ゲストハウス品川宿で働いていた初期メンバーの一人。サントスはもちろんニックネーム。現在は群馬県藤岡市鬼石エリアにて、ゲストハウス「さんと宿」を営む。

「さんと宿」


「問屋場」とともに「Tourrist Information」の文字が

ヨシザワ:
そういう流れだったんですね。竹が使われているのは、江戸時代を意識しているからなのか。

タカ:
誰もそれを期待してないのに、「外国人ツーリストインフォメーションセンターを品川宿に開業!」とか言いだしてやったのよ。・・・ただ既存の窓を抜いて設えただけなんだけど(笑) それを、もう少し経ってから、外観の補助金援助(※3)を取得して、もう1回リフォームしたのが今の形なのよ。

※3 品川区による旧東海道品川宿地区街なみ環境整備事業の一貫。旧東海道にふさわしい街なみづくりに貢献する建物の修景に対して、補助金が出る


ヨシザワ:
そうなんですね。で、今はここにさらにデジタルサイネージまであるっていう。

タカ:
そうそう、ちょっとずつ綺麗になってる。サイネージしたきっかけは、ロゴがどんどん剥がれてきてさ、「OIYABA」になったりしていて・・

ヨシザワ:
「おいやば」はやばいですね(笑)

サイネージ設置前の状態。右側がその後「OIYABA」になってしまったロゴ部分

タカ:
原型とどめてない(笑) さらに、阿部浩二(※4)さんがチラシを貼りたいって、ガムテープついたまま去ってくから、それもなんとかなんねえかなって(笑)。それで品川駅のコンコースにあるサイネージを見て、これにしようということになった。

※4 品川駅前のストリート出身、ソウルフルなシンガーソングライター。当時、ゲストハウス品川宿近辺に住んでおり、コモンルームにも度々来るご近所さんだった。
https://www.instagram.com/koujiabe1986/


ヨシザワ:
ゲストハウス品川宿はwebサイトでもベースカラーとして緑色が使われていますが、その流れは元々「のれん」から来てるんだ、って最近知りました。 
そして、のれんにこの緑色を採用することになったのも、まちの景観を考慮した上で緑になっていると。ゲストハウスがある場所は、旧東海道品川宿地区だから・・・タカさんも常日頃から言ってますけど、やっぱり、まちづくり文脈に由来しているんですね。

初期ののれん。今とはロゴも異なる


15年間でゲストハウスが一般化。当時は予想もしていなかったゲストハウスの価値とは


ヨシザワ:
というところで、外観から歴史を辿ってきましたけれど、ここで早速、15周年の抱負を聞いても良いでしょうか?

タカ:
うーん、100年ぐらい続けるまでには、まだね、10分の1ちょっと過ぎたぐらいにしかなってないから。

ヨシザワ:
(予想よりだいぶ長い時間軸で来た・・・!)

タカ:
経営の先輩たちからは、経営してると大体、1回はすごく大きな出来事があると言われてきた。それを乗り越えれば成長するからと・・・だけど、もう2年に1回ぐらい、そういう規模の出来事にあっているんだよね(笑)

東日本大震災が来た時、もうこれ以上の出来事はないよって言われたから。3ヶ月か4ヶ月ぐらい、海外からのお客さんがまったく来なかったからさ・・・なのに、コロナが来ちゃって、「これは完全に終わった」と思った。

ヨシザワ:
ゲストハウスって、やっぱり海外の方のほうが慣れ親しんでる文化ですし、東日本大震災があった2010年代前半の頃って、ゲストハウスがまだ今ほど国内で一般化されてるものでもなかったから、余計に「終わった」感がありそう・・・。海外の人が来なくなったっていうだけで。

タカ:
そうなんだよね。まあでもゲストハウスが近年になって日本で一般化したっていうのは、本当そうだよね。海外に行ったことないとか、ゲストハウスに泊まったことない人がゲストハウスをやりたいって言う、そういう今のような流れがあるとは思ってなかったから、(開業)当時は。 

だって、自分としては、海外旅行した時にバックパック体験をして泊まった宿の記憶とか、こういうサービスあったらいいな、というのが原体験にあって、今のゲストハウス運営に繋がってるから。そこに対して、「ゲストハウスをやれば地域をよくできる」みたいな視点でゲストハウスを始めたわけじゃなかった。

もちろん、自分もゲストハウスが国際交流の場になる、という視点は持っていて、それをミッションや理念として掲げたり、言語化してはいた。でも、当時のゲストハウスはどっちかというと、ヒッピー的な、今日楽しければ平和になる、みたいな、そういうカルチャーの方がほとんどだったんですよ。

ヨシザワ:
それは、元々のゲストハウスカルチャーの流れとして。

タカ:
そう。それが世代が変わって、Backpackers’ Japanさん(※5)とかが登場したことで、ゲストハウスがこうかっこいいじゃないけど、若い子たちでもそうやって起業して、面白く、自分の場の表現みたいなのができるんだ、という流れが徐々に徐々に浸透してったっていうのが、あるとは思う。

※5 2010年の「ゲストハウスtoco.」開店を皮切りに「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」など、今に続く飲食店併設のスタイリッシュなゲストハウスの流れをつくった。ゲストハウス含めた宿泊業界ムーブメントについては、タカさんの著書『ゲストハウスがまちを変える: エリアの価値を高めるローカルビジネス』に詳しい。

著書『ゲストハウスがまちを変える: エリアの価値を高めるローカルビジネス』(学芸出版社)


タカ:
だから今後、安く綺麗なところに泊まれるみたいな話だけではなくて、ゲストハウスの活用の仕方を、その意味と価値を訴えていくのは、誰かしらが改めてやっていった方がいいなと思う。

ヨシザワ:
その意味とか価値っていうのは、元々のゲストハウスっていうものが持ってた機能としての価値みたいな話ですか? ゲストハウス内で滞在者同士が繋がることができる、コモンルームの機能とか・・・?


ゲストハウス品川宿のコモンルームで。2016年


タカ:
なんて言うんだろうな。ゲストハウスって、サービスを受ける人と提供してる人の価値だけで言うと、もしかしたらそこまでビジネスホテルと変わらないサービスをしてるかもしれないじゃない。宿泊に対して対価をもらっているという意味においては。

だけど、結果的には、地域の人が(ゲストハウスを中心とした場に)入ってくるとか、交流みたいなのはつくっているわけよ。それを意図的にやってるか、偶発的に起こってるかっていうのはさておき。先人たちはその(交流の)作り方を知ってる。自分が遊び人だった時に、それを経験しているから、わかるわけよ。どこまでお客さんを混ぜていい、仕事と楽しみを一緒にさせていいという勘所を弁えている。

お客さんと一緒にご飯をすぐに食べに行っていいかどうか、とか。今日はお客さん1人しかいないから、一緒に車に乗って銭湯行こう、とか普通ないじゃん、ビジネスホテルとかの宿泊施設では。カウンターのチェックインの人に、「一緒に銭湯行きません?」とか言われたら、「いや、すいません、何言ってらっしゃるんですか?」ってなるじゃない。

ヨシザワ:
なるほど、ゲストハウス品川宿だと、お客さんに周辺の銭湯を勧めて自分も一緒に行く、ということが起こりますもんね。・・・そういえば、タカさんの著書(『ゲストハウスがまちを変える: エリアの価値を高めるローカルビジネス』)にも、バックパッカー時代にタイのゲストハウスでスタッフさんと街に出かけたり、ゲストハウスオーナーさんの家でご飯ご馳走になったり、というエピソードが原体験、って書かれてましたね。

タイのゲストハウスオーナーと若きタカさん


タカ:
そうそう。そういうゲストハウス自体の価値は、どんどん認知が広がって汎用化していったけど、当初の(ゲストハウスを日本に広めた)パイオニアたちが想像してたハッピーで楽しい世界は、自分たちが経験した中で、自分たちの人生を変えるような出来事があったから。そこを原体験としてゲストハウスをやっていたんだよね。「そういう場が日本にあったらいいよな、自分がその真ん中で毎日過ごせたらいいよな」っていうのがスタートだった。

だけど、それまでそういう楽しい世界を自ら作ってこっそりやってた人も、時を経てそのゲストハウスをやってる場所付近が衰退してたり、課題を持ったりした時に、そこ(ゲストハウス)に注目が集まるようになるわけよ。そこに毎日明かりが灯って、何やら楽しそうな声が聞こえて、外国人たちが夜な夜などっかから集まってきて。・・・ゲストハウスがなんかしら交流の場になって、一つの地域の課題を解決する場として、社会的なインパクトになってるのは確かだと思う。

ヨシザワ:
ゲストハウスが建つまちを取り巻く状況が変わってきたことで、ゲストハウスの「価値」が変わってきたわけですね。

タカ:
で、東京でやってた時はあんまり聞かなかったけど、同じようなフレームで、須坂に持ってったり、神戸に持ってったり、 福島とか北海道に持ってたら、同じことを同じくらいの小さい規模でやっても、その1000倍ぐらい大きい影響力がある。だから、事業のフレーム自体はめちゃめちゃシンプルなんだけど、そこにいる人次第とか、視点次第っていうのかな。ゲストハウスっていうフレームを使って、「宿」という単純な機能だけに完全に括りきらないで、ゲストハウスの外部の人やお店のような「地域」と連携していくというベクトルに舵を切ったゲストハウスに関しては、価値が爆上がりする。地域のメディアだったり、何かをやるときの入り口、マーケティング調査の場だったり(になれる可能性がひらける)。

どんなに小さくてもいいから、何かが起こっている状態。僕はそれを「地域の狼煙」って呼んでるんだけど・・・狼煙が上がってるから、そこに行ったら集落があって、食べ物と寝る場所があるんだというのがわかる。だから、自分がジャングルで遭難してる外国人だとしたら、「あそこに狼煙が上がってるぞ!あそこまでは歩こう!」ってなる。それがゲストハウスだったっていう。

自分がまちの人に救われてきたから、困っている若いやつを助けたい


ヨシザワ:
ゲストハウスという軸で切った時に見えてくる、価値観の変遷の話は面白いですね。

タカ:
ゲストハウスを立ち上げる経緯の話でいうと、エリート教育と英才教育を受けた人が一定数高確率で外資系とか大手企業に就職する、というキャリアへのアンチテーゼ的な流れとして、そういう企業を何年か勤めて辞めて、地方にあえてUターンや移住、みたいなケースも一定数あって。年収2000万のキャリアを捨てて年収100万の世界へ・・・みたいな。そういうのが面白いと思って移住した最初の一派のその次に追従してきた人たちがまたコミュニティを作って、現地で「こんなことも仕事になるじゃん」「これをリサイクルしたら、都市部で高く売れるよね」とか・・・そういう人たちの周りにいると、東京にいる以上にコアに楽しい時間を過ごせる。そういったケースがあちこちの地域で起こるというのが、なんとなく顕在化してきたのが、2008〜2009年ぐらいから。多分その理由の一つには、リーマンショック(=2008年)っていう流れがある。僕も2009年開業だけども、例えば尾道のゲストハウスとか、長野、善光寺周辺のエリアリノベーションでそういう文脈で動き出したのが、みんな2009年が多くて。

ヨシザワ:
へええ。

タカ:
2009年と東日本大震災の節目にした2011-2012年のあたりと、近年だと大きく2つの山があると思う。社会的に天変地異みたいな大きな変化が、人々に考える時間を与える。その3つ目の変化が、もしかしたらコロナかもしれない。こうやって大きな変化の時に、人は立ち止まって考えて、新しい自分のあり方とか、自分自身の今までを振り返って、自分のレールチェンジをしていくんだよ。そういう流れはあると思う。

ヨシザワ:
一度ちょっと価値観を見直してみるというか、今まで来た道をちょっと振り返ってみて、「本当に必要なもんってなんだったんだっけ」って考えるみたいな。

タカ:
その2009年ごろに(生き方をシフトして新しい活動を)始めたその時の人たちが今何やってるのかと言うとさ。僕自身でいうと、ゲストハウス1軒で、もう短パンでこの店を旗揚げしてやっていく、それって最高に楽しい、みたいな、若さと勢いの頃から、だんだんズボンの丈が長くなって、 あらゆる街の会合にどんどん引きずり込まれて・・・

かつて


タカ:
やっぱり(まちで店舗をやっていると)自分事として街の将来とかも考えるようになるからさ、開発の会議も出るし、困ってるやつを助けてあげたいって思う。寝るところと食べるものがあって、仕事があったら、なんとかなるから。自分が堀江さん(※6)みたいな恩人に救われてきたなって思うと、若い子で困ってるやつがいたら、電話1本で、「じゃあ、うちで仕事しましょうか」みたいに相談に乗れるような・・・もっと(事業の)規模がでかくならないと、もっといろんな人を救済できないけれど、少なくともこれまでも面白いやつは救って繋がり続けているから、こうして今、(ゲストハウススタッフ卒業生を含めて)全国各地にネットワークがあったりするのかなというのはあるよね。

※6 旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の会長・堀江新三さん。30年以上にわたり品川宿エリアのまちづくり、賑わいづくりに関わってきたまさに街の顔。ゲストハウス品川宿の開業を当初から支えてくれた恩人でもある。


これからのまちづくりの理想は、まち同士の連携であたる「オールスター」体制!?


タカ:
2009年からの話をすると、自分も変わり続けて、社会も天変地異が起こって変わり続けてる。変化に強くないと生き残れない世の中だし。アクションし続けないと取り残されるような。でも、こんなに毎日休まずやってきても、まだ戦争は起こってるし、まだまだ自分の利益のためだけに生きるやつはいっぱいいるし・・・そこに対してのアンチテーゼみたいなものは、これから「LOCAL CONNECT」(※7)でどんどん実現して、スピード感を上げてこうと思ってる。元々一人じゃできなかったまちづくりをみんなでやってたけど、今後は、まちづくりをやってるこの地域自体も、他の地域のまちづくり団体と連携していくっていう。それが世界を超えていく、みたいな考え方がすごい大事だなと思うんだよね。

※7 「LOCAL CONNECT」とは、「ゲストハウス及び旅行業を通して社会課題を解決する」という志を共有するゲストハウス・観光宿泊関連業間での協業、共同の取り組みを行うスローガン、及びコミュニティの概念。2024年春、株式会社宿場JAPANと韓国の社会的企業「共感シーズ」との協定締結を機にスタート。

「社会課題解決と観光を両立させるコミュニティの誕生!韓国の社会的企業「共感シーズ」と宿場JAPANが協定を締結」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000097061.html


ヨシザワ:
一人でまちづくりはできないから、ある特定の街の中の何人もで力を合わせて、この街の街づくりをしていきましょう・・・っていうフェーズはもうこれまでやってきていて、次のフェーズとしてはもう、複数の街の人たちで集まってどこか1ヶ所のまちづくりをする、みんなでまちづくりをし合う・・・みたいなイメージですか?

タカ:
そうそうそう。

ヨシザワ:
なんか、まちづくりっていう概念が、もう1つじゃないっていう。「まちづくり's」って複数形になるみたいな。

タカ:
そうなんだよ、オールスター。オールスターだし、対戦相手の問題がAだったらこのメンバーで行きましょう、みたいに、スタメンが変わる。

ヨシザワ:
「この課題だったらこのメンバーがいいぞ」って、今度は課題Bに対するレンジャーが組まれるっていう。

タカ:
これまでそのための人的リソースが今までは都市部に集中してたけど、地方郊外でもそのリソースを使って、一緒に解決できるためのツールは手にしたよね。デジタル化していく中で、Zoomであったりスマホだったり、あとはLCCだったり。

ヨシザワ:
そうですね。私もまさにその恩恵を受けてる一派です。

タカ:
で、僕は仕事じゃなくてライフワーク的に手伝いながら、自分が旅をしてるような、人を救うようなことをやってるわけよね、デイリーで。 

事業をやればやるほど人が幸せになってる実感がある。チャレンジし続けて、恩を返す


タカ:
2009年に住所不定無職でゲストハウス開業を夢見ていた頃の自分自身は、嫌いじゃないというか(※8)。その頃の「寝るところと食べるものがあったら幸せなんだな」って思って、目キラキラさせながら、貧乏をめっちゃ楽しんで、夢に向かってた自分自体はすげえ楽しかったし、今は(事業の)金額の規模とかも全部違うけど、その頃のチャレンジしてた状態は失いたくないよね。その時に応援してくれてた人たちも「あの時はお世話になったんで、ご馳走させてください」とか、そんなこと誰も期待してなくて。永遠にチャレンジし続けてることがもう最高の肴です、みたいな。・・・そういうのはあるよね。だから、自分はずっとチャレンジし続ける

2014年頃のゲストハウス受付での一枚


同じ場所で。2024年10月時点・運営主要スタッフ陣

タカ:
事業をやればやるほど人が幸せになってる、事業の中で何かがよい方向に向かってる肌感みたいのもあって。「マジで平和に近づいているぜ」って思ってる部分はあるんだけど、ただそのスピードに対しては、まだまだ貪欲に、あと千倍速で行かないとな、みたいなのはある。 

※8 高校生の頃からホテル業界を志した渡邊青年は、大学に進学、観光学のゼミに入り中国へでの短期留学、就職を経てのアメリカへの留学、ホテルやゲストハウスでの現場修行期間などを積みながら開業資金を貯める。前述の旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の会長・堀江さんはじめとした品川の街の人たちの助力を得て、開業へと至る。このあたりのストーリーは『ゲストハウスがまちを変える(以下略)』に詳しいので、ぜひご一読を。

ヨシザワ:
千倍速・・・! 自社の事業単体じゃなくて、世界平和規模を目指しているわけですね。

タカ:
3.5%の法則っていうのがあるみたいで。3.5%の人が「そりゃいいね」って同意したら、その時点で社会的な価値観としては完全に形成されていて、あとはもう浸透していくのみである、という理論なんだけど。つまり、世界が変わるって言われている総数が全体の3.5%。だから、世界人口が70億人いるとしましょう。70億の3.5%が同じ価値観を共有していたら世界は変わるっていう考えになる。

ヨシザワ:
あー、そこまでいかないといけないってことか。3.5%まで・・・。

タカ:
いや、でも今の拡散の時代に直面している僕たちとして見たら、こうも考えられるよね。たとえば日中韓の若者たちが共同のプロジェクトを年に1回行うようになりました。 それを「アジア平和デー」と名付けて、若い人たちが集まってこういうプログラムをやっています。・・・っていうニュースがさ、BBCとかCNNで流れたとする。それで認知がめちゃめちゃ広がったとする。そう考えれば、変えられるかもしれない、って思わない?

例えばさ、うちの宿場JAPANで言うと、延べ年間60カ国・延べ1万泊くらいあるじゃない。仮にそれを1万人だとして、その1万人が1人あたり100人に触れて回ったとしよう。そしたらさ、100万人ぐらいのインフルエンスを持つことになるわけよ。で、日本全国でうちみたいなところが20か所あったら、それで2000万人。2000万人って言ったら、もう人口比で日本の20%だからね。だから、世界に60か国に対してどれぐらい影響してるかっていうと、わずか2000万人だけども、じゃあ、その77億の中の2000万人が、日本で10地域だけど、韓国で10地域、中国で20地域でとか、アジアで足し算していっただけで、平和なムーブメントを作ったとしたら・・・もしかしてこれって、もう2億人ぐらいいない?みたいな話になるじゃん。2億いったら、あれ、もう3.5%超えてね?みたいな・・・「(その時には)あれ、変わってねえな」みたいなのも、あるかもしれないけど(笑)

そういう感覚で、とりあえず、そういう社会運動、1人の裸で踊るやつから始まるじゃないけど、そっから2人目に追従してくれる人を生む、ネットワーキングがやっぱり必要だなと思う。だから、ライバルとかも、そういうのないんだよね、実はもう。

ヨシザワ:
タカさんのお話は、より利益率を上げようみたいな、その利幅を増やそうみたいなお話じゃないですよね。「利幅を増やす」を考えると、ライバルっていうのが絶対出てくるじゃないですか。市場ってのは限定されているから。でも、そこがなくて、ちゃんと死なないように経営サイクルが回ってればいいって考えると、ライバルってのを考えなくていいから、(街や国などの境界を超えて)コネクトできるはずだという。

タカ:
いや、本当そうなんだよね。いかに自由競争でも・・・競争をしている舞台が地球だから。環境とか人とのコミュニティの形成の中で、みんな平和に生きてる中で行ってるから。だけど、僕らも立ち向かわなきゃいけないのは、「貧乏人の負け犬の遠吠えだ」って、そんなのを言われないように、そこはすごく気を付けなきゃいけないなと。

ヨシザワ:
そこに対抗できるのは、もしかすると、なんかお金っていう金額とかじゃなくって、フォロワー数みたいなやつでもなくて、連帯の数とかなのかもしれないですね。そういう主義に対抗できる、言い方が正しいかはわからないですけど、「負け犬の遠吠え」とならない資産として提示するものとしては、連帯の数みたいな話なのかもしれない。


「まちづくりやってると、人生捨てたもんじゃないなと思える」


タカ:
徳を積む、という美学があるじゃない。お天道様が見てるぞみたいな。街づくりもそういうとこがあって。「いいことをすると気持ちがいい」って、そんなものは偽善だろうって言う人もいるんだけど。偽善でもなんでもいいんだよ、余力をその人に使って、それが気持ちよかったら偽善でもいいんだ。やるのが大事なんだよ、そしたら世界になにかが生まれるんで。それを否定するべきじゃないし、まあそれも(発言の)自由なんだけど・・・ なんかね、他人がやってることを否定するとか、何も関心ないとか、それってすごい悲しい社会だよね。

まちづくりやってると、人生捨てたもんじゃないなと思えるわけよ。一文無しのさ、住所不定無職だった自分が、誰かの応援を勝ち得たら、事業が成功して、幸せな人が増えて、従業員も幸せになれたらいいなって思える、そんなステージにいるわけよ。


商店街の方にプレゼンするありし日のタカさん。
まだゲストハウスが今ほど認知されていなかった頃

僕のアメリカ人の友達は、日本の地域コミュニティからアメリカンドリームを掴んだよねって僕に言ってくれるんだよ。地域に若い人が何も持たずにぽんって飛び込んでいって、汗かいたらさ、可愛がってくれる人がいたりする。マリナさんもパクさん(※9)も、みんなそうだよ。

※9 山上万里奈さんは、長野県須坂市で「ゲストハウス蔵」を、朴徹雄(パクチョルン)さんは兵庫県神戸市灘区にて「ゲストハウス萬家(MAYA)」を、それぞれ営む。二人とも、宿場JAPANによる個人向けゲストハウス開業支援プログラム「Dettiプログラム」の修了生。

「ゲストハウス蔵」


「ゲストハウス萬家(MAYA)」


10年後には今の「成功の方程式」が変わる。それに替わる策は?


ヨシザワ:
たしかに、マリナさんとパクさんお二人とも、地域コミュニティの中で強い連携を築いていますね。

タカ:
うち(宿場JAPAN)の鉄板みたいなケースは、地域コミュニティがあってこその、成功の方程式。だけど、もうこの後10年経ったら、その構造もなくなってしまう。町の重鎮たちが80代なので。その人たちは何十代も続く商店主さんだったりするけど、その人たちが必ずしも自分の商店が生き残れる社会構造にはなってない。人口が減って、土地の価値が減って、地主さんだった人は地主であるお父さんが亡くなった瞬間に、息子が土地を売却しないと税金が払えません・・・そういう時代に突入しているから。

ヨシザワ:
その時は、またやり方を考えないといけない。今現在だと、タカさんの中ではどうすべきか、構想ってありますか? その来たる10年後に向けて。

タカ:
10年で済むかわからないけど、アジアっていう中の単位は、ボーダーとかカルチャーの敷居を取り外している状態があった方がいい。そうあってほしいし、そういう世界を作りたい、EUみたいにアジアの連帯がもっと強まってるというか、自由になっていく世界。

で、それを考えたときに、日本の立ち位置が歴史的にも重要。僕たち若者は、アジアの他国の若い人たちにどういう振る舞いをして、どういうことを一緒に進めていかなきゃいけないか試されてるんだと思ってる。

ある時代で信じていた多様性とか、その時の考え方で言うとさ。そのコミュニティごとに(住む・働く)エリアが分かれればいいって言われていて、チャイナタウンとかインドタウンとかを作ったが、コミュニティが分断してしまった。それぞれの言語とカルチャーを大切にしましょう、って言ったら、交わらない、っていう結論が出てきた。・・・そういう前例、失敗例をどう日本はどう学習するのか、だと思う。

ゲストハウスのコモンルームは、多様な文化背景をもつ人たちを混ぜ合わせる機能を持つ場所

ヨシザワ:
さっきも話に出ましたけど、EUっていう前例もありますよね。そういうこれまでをちゃんと勉強して、その上で、アジアはアジアなりの、重低音というか、ベースの方向性がやっぱりあるから、そこに合わせて、新しい連帯を示していくというような。

タカ:
今、一番日本が誇れるのは、豊かになった結果、治安もいい中で僕も含めてまちを愛する若者たちがいっぱい創出された。今、僕らがその中核になりつつあって、この多様性を最も理解し得るであろう世代が、どう次の時代をリードしていくかっていうのが、試されている。

多様性多様性って言われてるけど、本気で自分の原体験から多様性を必要だと思ってる人が、まだまだいると思うんだよね。「私は人を傷つけない」という考えの人がいっぱいいたとしても、もうそんなんじゃ足りなくて。「人を傷つけない」じゃなくて、一緒に何か作っていく。弱ってる人のために、1+1が2以上になった何かを弱い人に充てるとか、1人が1人以上のパフォーマンスを果たさないと。今の高度な社会を保つためには。日本の1億3000万人いた人口が、30年後か40年後かに半分ぐらいになるわけだから。

ヨシザワ:
ずっと先を見据えて、次の一手を考えないといけないですね。

タカ:
まちづくりは「恩贈り」みたいなもんで、ずっともう小さなコミュニティで 仕事したりとか生きていくためには、自分が深くコミットした方が絶対充実するに決まってるんですよ。「人に自分の時間を奪われる」っていうような視点から入ってしまうと、きつい。だけど、人に時間を奪われるっていうのは、自分の幸せの余力を少し人に与えてるだけのことで、自分が困った時には助けてくれるから。それは、自分に貯金があるときには誰かにちゃんとペイフォワードして、先に何かやれることをやってあげたら、いつかは自分に戻ってくるんだっていう。「超短期的に考えたら、損か得かでいうと損じゃないですか」みたいな価値観は、(ジャッジとして)「切るところ」がショートショートすぎるんじゃない?って思うんだよね。いいんだよ、貧乏でもね、死にそうな人がいたら、助ければいいんだよ。

人と絡みまくって、巻き込みまくって、夢を増やしていく


ヨシザワ:
ちょっとあちこち脱線しちゃいましたが、今後の意気込みとしては、一社の達成目標とかに止まらずに平和を信じて突き進む、という感じでしょうか。

タカ:
そうだね。15年経っても、あんまりそんなに変わってない。(以前に比べれば社会に)適応してるっていうくらい・・・15年って、まだ1年生だよ。ほんとに。みんながもう同じようなスタートラインにいると思ってた方がいいよね。

コロナで1回リセットされて、積み上がってんのか積み上がってないかわかんないけど、自分の持ってる時間を投下してきたことで、社会的な貯金、社会資本というような、お金にならないような何かの貯金をしてる感覚はすごくある。

ヨシザワ:
15年経ったけど、まだ今がスタートラインみたいなもんだってことでしょうか。積み上がってきてるから、もうここまで来たから、みたいな話ではないってことですね。

タカ:
そう。でも、創業時から目に見えて違ってるのは、周りに仲間が増えたっていうこと。これはね、やっぱり一人でやってるときと、全然違うステージではあるよね。人に対してこう、リスクを負わないみたいな時代にあるけど、逆張りで。人と絡みまくって、巻き込みまくって、夢を増やしていくっていう。

ヨシザワ:
こんなに巻き込む人、そうそういないですものね(笑)

タカさん:
ね。まあ良くも悪くもさ(笑)
辞めた人も今いる人も、これから来る人も、ね。

集合写真撮影の合間の一コマ
コモンルームに貼られ続けているこれまで宿場JAPANで働いてきたスタッフ年表。
これからも更新されてゆく


😀宿場JAPANでは、現在採用強化中です!

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