【社員インタビュー】システムエンジニアから宿泊業にジョイン。「自分ごと化」で会社運営に新風を巻き起こしたキーマンの活躍と、次なる挑戦に迫る。
(この記事は、2021年9月26日にWantedlyで公開されたものを再掲したものです/肩書きなどの情報は当時のものとなります)
<プロフィール>
和田紀子(わだのりこ)
東京都出身。高校当時夢中になっていたシミュレーションゲームの影響を受けてまちづくりに興味を持ち、金沢大学の工学部土木建設工学科に進学。その後、土木コンサルタント、カナダへの留学を経て、システム開発エンジニアとして11年間の経験を積む。子供を出産したタイミングでフリーランスへの道を歩み始め、その間に自分が人生の中で本当にしたいことは何かを1年間熟考。その末に「国際交流」ができる場所で働くことを選択し、現在の宿場JAPANに出会う。当初はアルバイトとして入社し、その後ホームページのリニューアルや予約システムの導入など、前職の経験が活かせる仕事を任されるようになり、社員として本格的にジョイン。これまで現場施設のマネジメントとして、様々なシステムの導入から、ルール作り、採用や広報などの仕事を担当し、現在は会社のディレクターとして経営に携わり、経理や労務管理、自治体との交渉、Webディレクションの業務をメインに活躍。
品川を中心に5店舗の施設運営や、地方の宿泊施設開業コンサルティングを行う宿場JAPANには多様な経歴を持つ社員が集まっている。異なるバックグラウンドを持った宿場ファミリーがこれまでどのような人生を辿って、今宿場JAPANにいるのか。メンバーのライフヒストリーを紹介していく連載。
今回は、システムエンジニアの就業を経て、現在ディレクターとして会社経営に携わる和田。
常に主体性を持って仕事に取り組む姿勢で、今や宿場JAPANに欠かせない存在になった和田の次なる挑戦に迫る。
何事にも挑戦心を忘れず、「好きなこと」を専門的に学び続けた20代
大学で専門性の高い学部に入学されていますが、選ばれた理由は?
私は金沢大学の工学部土木建設工学科に進学しました。
高校生の時、『シムシティー』と言う都市経営シミュレーションゲームに夢中になっていまして、ハード面でのまちづくり設計をすることが好きでした。その時から、「まちづくりって楽しそう」という漠然とした思いで都市計画の分野に興味を持ち始め、ここに入ることを決めました。
その学部では、ダムや道路の設計について学んだり、3年生からは河川工学を主専攻に研究室に入り、卒論では魚道の研究を行いました。
卒業後は土木コンサルタントの会社に入社されたのですね。
はい。この会社では洪水予測の計算や、ダムの設計を実践的に行うなど、大学で学んできた知識と経験を存分に活かせる職場でした。当時、社内には海外事業部という部署があり、全社員が英語の資格を強制的に受ける必要があったのですが、大学時代は英語に力を入れて勉強したことが殆どなかったので、改めて勉強しに一時期英会話スクールに通っていた時期がありました。そこで外国人の先生方との交流を通して、海外に興味を持つようになり、ちょうどその後、夫が仕事を約1年間休めたタイミングがあったので、夫婦二人でカナダのトロントに9ヶ月間留学していたこともありました。
その後、システム開発エンジニアに転職されたのはなぜですか?
留学から帰ってきた時、ちょうどこれから「インターネットの時代」が来ると言われていた時期でした。私自身コンピュータ使って研究分析をしたり、新たなコンテンツ開発をすることが好きで、前職の仕事でも、プログラミングにはかなり触れていたので、その類の仕事に就きたいという思いがあり、転職を決めました。
そこでは、ゲームを始め、携帯電話向けの様々なエンタメ系のコンテンツ作りをやらせていただきました。当時の時代としてはかなり最先端なことに取り組む会社で、前職の経験も生かすことのできる職場だったので、仕事は非常に楽しく、そしてやりがいもありましたね。
1年間の模索の末に導き出した、畑違いの宿泊業で働くという決断
仕事への愛着はあったものの、その後フリーランスになられたんですね。
はい。同じシステム開発部の同僚とも日々楽しく働くことができ、仕事自体にやりがいも感じていました。しかし、子供を出産してから時短勤務で働く人はシステム開発部では働けないと言われ、本来続けたかったプログラミングの仕事が出来なくなってしまったのです。それから数ヶ月間は違う部署に異動になり、ふと「自分は残りの人生で何をしていきたいのか?」をじっくり考えた時に、留学で経験した国際交流が楽しかったこと思い出しました。その後、自分の将来についてある程度目星がついた段階で、システム開発の会社を辞めるに至り、次の転職に向けて準備をするためにフリーランスの道を選択しました。
1年間模索を続けた時期もありましたが、その間に国際交流ができる仕事に就くという夢に向けて、ずっと前から取得を目指していた通訳案内士の資格を塾に通いながら4年をかけて取ることができたり、その流れで、宿場JAPANに入ってから3ヶ月間、外国人観光客のツアーガイドとして築地で3ヶ月間働いたりすることもできたので、非常に有意義な時間だったと感じています。
宿場JAPANに入ると決めたのはなぜでしたか?
もちろん国際交流ができる職場であることは必要条件だったのですが、ちょうど次の職場を探している時、子供がまだ小さかったのでフルタイムで働くことが難しく、勤務時間の融通が効いて快適に働ける職場を探していました。そのように選択肢を絞っていくうちに、品川という地域で「国際交流」もできて、「仕事と子育てを両立」できるという二つの条件を満たしていたのが今の「宿場JAPAN」でした。
「自分ごと」として仕事に取り組めたからこそ、宿場JAPANの運営体制を大きく変革できた。
最初はアルバイトとして入社されたとのことですが、どのようなお仕事をされましたか?
宿場JAPANに入ってから最初の3年間は、代表のタカさんとマネージャーを含む3人でゲストハウス品川宿のカウンターをメインに仕事をしていました。社員に転換したきっかけは、2014年に宿場JAPANのホームページリニューアルのディレクションを任されたことでした。ちょうどその時はお客さんが増えていた時期だったので、システムエンジニアの頃の経験を活かしながら、業務を効率化させる様々なシステムの導入もやらせていただきました。その後、Bamba Hotelの開業辺りから、会社経営の根幹部分に携わらせていただくことが多くなり、社員として合流するという流れになりした。
宿場JAPANに大きな変革をもたらした和田さんですが、社員転換後の仕事内容は?
社員に転換して2年間ぐらいは現場施設のマネジメントが中心となりました。私が入った当時は、宿の予約システムが自動化されていなかったり、レジも売り上げ管理ができるものを使用していなかったので、そこをスマート化させるために新しいシステムの導入を行ったり、ゲストハウスの業務内容も手順が統一されておらず、各々が個人のやり方で仕事をしていたので、そこのガイドライン作りも進めました。また、それまでは関わりの少なかった品川区の観光課からウォーキングツアーの業務を受託して、主にゲストハウスの宿泊者を対象に地域の街歩きや、イベントの参加を一緒にしたり、ゲストハウスのカウンター横に問屋場というインフォメーションセンターを設けて、東京都の観光案内所として登録したりもしました。その他、労務や採用、広報の担当も任されたりと、とにかく幅広く、色々な業務に携わらせていただきました。
その後、会社のディレクションにも携わられるようにになられたんですね。
はい。2017年あたりからはスタッフも増えてきていたので、現場は彼らに任せ、自身はディレクターとして会社の経営に携わらせてもらっています。主には経理業務を外注から自社で行うように切り替えたり、労務管理を行ったり、顧客情報管理システムの導入を行ったりと、会社の成長に合わせて様々な仕組みの導入を行っています。イメージとしては、タカさん(代表)がこれまで個人でやってきたものを法人に切り替えて、会社として運営する体制を作り、その後経営に携わらせていただいているという流れになります。
入社してから様々な業務を任されていますが、やりがいを感じることはありますか?
ちょうど宿場JAPANに入社した時が会社の成長期にあたる時期でもあったので、何にも仕組みがないところに何を導入すればもっと会社の業務が効率化ができ、働きやすい職場環境をつくれるかを考えて、実際に取り入れることができたのは、非常にやりがいを感じた部分だと思います。
仕事を長年勤めていく中で和田さんが感じる、会社の魅力はなんですか?
大きい会社に勤めると、どうしても上司から与えられた業務を素直に受け入れて黙々と仕事をするだけになってしまいますが、例えば宿場JAPANでは、自分が任された仕事に違和感を感じることがあれば、タカさんに相談して改善していくこともできるので、あらゆる仕事を「自分ごと」として取り組めるのはとても魅力的だと思います。また、代表はいつも従業員の話を否定せずに聞き入れてくれるので、仕事は非常に進めやすいですし、スタッフ一人一人の距離感の近さは、組織の一員としての意識を自然と高めてくれているようにも感じます。もう一点挙げるとすれば、企業理念に「多文化共生社会を作る」とありますが、スタッフ自体も全く経歴の異なる人々が集結していて、私のようなこれまでパソコンとしか会話をしてこなかった人でも温かく受け入れてくれ、これまでの経験を上手く活かしながら仕事をさせていただけるのも宿場JAPANの強みなのではないかと改めて思います。
「宿場JAPANで働くのが誇らしい」とみんなが思える会社づくりをしていきたい
では、今後和田さんが宿場JAPANでやっていきたいことについて教えてください。
現在私が大きく掲げている目標は、「一人一人が誇りを持って働き続けられる会社」にしていくということです。これを実現するためには、第一に働き方のスタイルを必ずしも一つに絞らず、各々が働きやすい場所で仕事ができるように環境づくりをしていくことが必要だと思っています。現在働いている従業員の中にも、私を含め、現場で働くのではなく、家で作業をすることもあれば、遠くに移動しながら仕事をするスタッフもいますので、その点で言えば、この条件は既に取り入れられている部分だと思います。第二に、宿場JAPANが経営方針にも掲げている「社会課題の解決」と「地域に貢献する」ということを念頭に置いて、様々な取り組みを行っていくことを引き続き大切にしていきながら、今後は今より規模を大きくして、色んなところで事業が展開できる体制を作り、より社会的意義のある仕事にできるかが重要になってくると思います。最後に、今後の大きな課題としては、会社の資金力を更に上げて、やりたいことにとことんチャレンジできる会社にしていき、働いていて満足してもらえるような体制作りをしていくことが必要だと感じています。そのためには、コンピュータにできる部分はそれに任せて、できるだけ少人数で効率的よく仕事ができるための体制づくりをしていきたいと考えています。
好奇心旺盛で、これまで色々な事に取り組まれてきたアクティブな和田さんですが、最後に個人的に取り組んでみたいことを教えてください。
個人的としては、「日本の魅力を世界に伝える」ということを引き続きやっていきたいと思っています。そのために以前は書道や着付けの技術を身につけたり、今は日本の大道芸の大神楽(傘回し)に挑戦してみたりと、日本を訪れる外国人観光客の方に日本文化を広めていくためのスキル磨きに励んでいます。コロナが収束してまたゲストが戻ってきた時にはそれらの経験を活かして、記憶に残る素敵な思い出作りを一緒にしていきたいですね。
(執筆:小河恵美里 企画:今津歩 撮影:栃久保誠ほか)
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