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【私って何者?】(2)

冷やし中華が専ら主食と化した今日この頃。
今日はいよいよ私の生い立ち第2部です。
文章力もなくつらつらと綴りますが、誰かの人生を覗き見る感じで読んでもらえれば幸いです。

『傲慢な私。臆病な私。』

最終学歴が高校の私。
実は大学生になりたかったんです。
友達付き合いが極端に下手な私は大学にいきたい!とマミーにお願いをしました。
「妹と弟がまだ学校行かなきゃいけないから働いてちょうだい。」
これがマミーからのAnswerでした。
頭ではわかってたんですけど、同級生が進学していくのを目の当たりにするとやっぱりショックでした。
高校3年になると進路相談が頻繁に行われていましたが、「就職」という道しかない私にとって商業高校に通っていた私は特に困ることなく就活はできました。(本当に困らなかったんです。)
掲示板には沢山の求人票があり、どこだったら家に少しでも多くお金を入れることができるだろう?と考えながら求人票をメモする。

     ある日の放課後、進路指導部の先生に呼び出されました。進路指導室なんて優等生ぶった私には縁のない場所だと思っていたのですが、部屋に入ると進路指導の先生・部活の顧問・担任の先生が小難しい顔をしたままソファーに掛けていました。訳も分からずソファーへ座るように促され、開口一番に
「あなたは求人票メモしなくてもいいんだよ。」
でした。言われてる意味が分からなくて尋ねたら「あなたが就職できるところはここしかありません。だからメモをする必要はありません。」
と言われ、1枚の求人票が渡されました。

ここまでの流れで何故私に求人票をメモする必要がなく、就職先を指定されたのか?
わかった方は是非挙手を❗️
なんてクイズはありません笑
答えは『国籍』です。今ではありえないことですが、当時はまだ在日韓国人の私には日本の企業に面接を受ける選択すらどうやらなかったようです。バカバカしい。今もずっとそう思ってます笑
  在日韓国人と言っても韓国に私の家はないし、読み書きも出来ないし、生まれてからずっと日本にいるし、学校も日本の学校しか行ってない。
顔だって日本人とそんなに変わらないし何がいけないのかわからなかったです。

そんな理由で私にとって就職先はあっさりと見つかり、あっさりと内定が決まり、就活は終了。
虐められた日々よりも人生で1番『日本』という国を恨んだ瞬間でした。
(今は大好きですよ♡♡)

『絶望の中にあった光』

あれよあれよと内定が決まって卒業し、いよいよ社会人に。

私に用意された就職先は在日韓国人の利用する信用組合で、配属されたのは総務課でした。
朝は掃除・お茶くみ・カタコトの会長のスケジュール管理・社保の手続・手作業の給与管理・食堂の片付け等など。それなりに充実してました。    高卒の給料では大した額を家に入れることもできず、会社には内緒で高校の時から行ってたファミレスのバイトを続けてました。
二重生活を続けること1年半。ようやく仕事もある程度こなせるようになってきた私に事件です
『妊娠』
バイト先の店長(旦那)と出来ちゃいました笑
14歳離れた店長と当時19歳の私。
もう家族も猛反対です笑
なんなら職場の人まで猛反対です笑
ただ、宿った生命を殺める事はできないと家族も判断し、めでたく結婚することになりました。    ファミレス店長が借金まみれだったことを知ったのは結婚してすぐ知ることになるのですが、この時の私はもうお姉ちゃん頑張らなくていいんだ。もう1人で頑張らなくてもいいんだ。と呑気に思ってました。

ちなみに、プロポーズの言葉は…
『束縛されたあの家から俺が助けてやる。』
でした。ごめん。旦那さん。書いちゃった笑




今回はここまで。
私という人間を私自身が知って整理する為の生い立ち記録。
駄文にお付き合い頂きありがとうございました✨








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