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【宝塚】【2.5次元】 2024年に観た舞台22本振り返り【1万字あるよ注意して】

もう2月が終わろうとしていますが…
2024年の振り返りがまったくできていなかったので、駆け足で記していきます。
本当はmixi(無印。2じゃなくて)の方でその日に走り書きする観劇日記を書き溜めていたんですが、後半本業に忙殺されて手が回らず悔しい思いをしました。
そこで書いたものは引用しつつ、1年を総括していきます。

昨年のはこちら


まずは、演目を振り返ります。

全22本、観劇するたびに「今年一」が塗り替えられた当たり年

1月
『オペラ座の怪人 ケン・ヒル版』@東急シアターオーブ
出演 Ben Fosterほか

宝塚歌劇雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/FROZEN HOLIDAY』@東京宝塚劇場
作 生田大和/野口幸作 主演 彩風咲奈・夢白あや

2月
『HiGH&LOW THE戦国』@THEATER MILANO-za
演出 TEAM GENESIS 脚本 平沼紀久・渡辺啓 出演 片寄涼太・RIKU・水美舞斗・瀬央ゆりあ・藤原樹・浦川翔平ほか

3月
『天才バカボンのパパなのだ』@本多劇場)
演出 玉田真也 脚本 別役実 出演 浦井のりひろ・佐々木崇博ほか

4月
『瀧廉太郎の友人、と知人とその他の諸々』@北沢タウンホール
脚本 登米裕一 演出 藤倉梓 音楽監修 YUKA 主演 大久保祥太郎・音くり寿・新正俊

5月
『サイボーグ009』@日本青年館
脚本 亀田真二郎 演出 植木豪 主演 七海ひろき

『CROSS ROAD』@博多座
原作・脚本 藤沢文翁 演出 末永陽一 主演 中川晃教

6月
宝塚歌劇宙組公演『Le Grand Escalier −ル・グランエスカリエ−』@宝塚大劇場/東京宝塚劇場
作 齋藤吉正 主演 芹香斗亜・春乃さくら

-ヨドミ- 本公演『しまって、あけないで』@TACCS1179
作 藤丸亮 主演 山本恵太郎

7月
さらば青春の光 単独ライブ『ラッキー7』@ロームシアター
作・出演 さらば青春の光 演出 家城啓之

『ビューティフル・サンデイ』@六本木トリコロールシアター
作 中谷まゆみ 演出 石栗昌彦 出演 美弥るりか・君沢ユウキ・大平峻也

8月
『音楽劇 ライムライト』@シアタークリエ
演出 荻田浩一 上演台本 大野裕之 主演 石丸幹二

『空中ブランコ乗りのキキ』@世田谷パブリックシアター
構成・演出 野上絹代 脚本 北川陽子 主演 咲妃みゆ・松岡広大

イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』@東京芸術劇場シアターイースト
脚本・演出 前川知大 出演 浜田信也ほか

9月
『ファンレター』@シアタークリエ
台本・歌詞 ハン・ジェウン 演出 栗山民也 主演 海宝直人・木下晴香

『レヴュースタァライト THE LIVE青嵐』@飛行船シアター
演出 児玉明子 脚本 三浦香 出演 七木奏音・佃井皆美・門山葉子

『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』@東京宝塚劇場×2
脚本・演出 植田紳爾 演出 谷正純 主演 彩風咲奈・夢白あや

『七色いんこ』@品川プリンスホテル ステラボール
脚本 畑雅文 演出 三浦香 主演 七海ひろき

10月
ノサカラボ『ゼロ時間へ』@三越劇場
演出 野坂実 主演 原嘉孝

11月
『舞踊 章会』@浅草公会堂

12月
『応天の門』@明治座×2
脚本 桑原裕子 演出 青木豪 主演 佐藤流司・高橋克典

『進撃の巨人』@TOKYO DOME CITY HALL
演出 植木豪 脚本 畑雅文 主演 岡宮来夢

こんな感じ。
宝塚は相変わらず見る組が偏っている……が、年明け早々星組と月組に行きましたのでご容赦を。
特出すべきは、宝塚以外の『応天の門』でおかわり観劇をしたことでしょうか。
元々「取れちゃった」ので行ったんだけど、1日目の観劇で「譲るもんか!🔥」となるほど名作で、行ってよかったです。

明暗の別れた“再演“ 〜再演される理由とは

ここからはトピックごとに雑感総括。
まず、今年は偶然にも「再演もの」をたくさん観劇しました。初演は見逃し、個人としては初見なものがほとんど。前回上演を観ていたのは2本だけでしたが、ちょっといろいろ考えさせられました。

それは、再演ってどうやって決まるんだろうという素朴な疑問。
たとえば、イキウメ作品でいいなと思うものは大体再演なんですね。それは、私はまだ通い始めて歴が短いので。今回の『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』もそう。これマジ素晴らしく、そりゃ再演されるわ、と。今まで観たイキウメ作品の中でも、初心者向けでもあり、完成されていました。
だからまずは「良いものが再演される」んだよねと。それは健全で、あるべき姿でもあります。

そのほかで言えば、『ライムライト』も納得の傑作。荻田さんが描き石丸さんが演るカルヴェロは真骨頂のように思いました。
ただ、美少年がそのまま年老いたような煌めく甘いマスク、軽やかな身のこなしの石丸カルヴェロが「あまりにも晩年のチャップリン」で、彼以外ので「再演」をイメージしづらいな、とも思ったりしました。

また、今年傑作!と大はしゃぎした再演ものが『CROSS ROAD』。詳細はnoteにも綴りましたので割愛しますが↓

早くも次の再演が待ち遠しいほどの傑作でした。
ただ、こちらは作品のポテンシャルは高いながらも、初演では公演中止トラブルなどがあったので…そういったリベンジの意味もあって再演したのかな?と思ったり。

なぜなら、当作は上記記事でも書いているように「和製ミュージカル」なので、おそらく鳴物入りの海外物と違って集客が確約できないことから、興行が難しいんだろうなと思うんです。(それで過去には集客重視の無理なキャスティングをした経緯があったのでは、と推察してる。)
そこで、改めて今年リベンジしてくれることになったのはありがたいなと思ったのでした。音楽、脚本、演出、演者、すべてが素晴らしかったから、今後も演じ継がれてほしいと期待してやみません。

逆の疑問で言えば、なぜこれが再演され続けるんだろうと思ってしまった作品もありました。1つは『進撃の巨人』。難しいのが、脚本や演出、演者が悪いのでは全くなく……。原作も知っているので、うまく翻案されているなとは思うのですが……

そもそも原作がなぜここまでワールドワイドにウケるんだろうと言うのが、生身の人間が目の前で演じるという「三次元に起きてくる」ことで改めて疑問になってしまった、という感想を持ちました。うっすら思ってたんだけど、考察が先行しすぎて物語そのものの魅力は薄い感じがする。
考察先行型の方が文化や情緒が共有できない海外でも受け入れられやすいというのもわかるので、そのこと自体はすごいなと思うんですが、文化や情緒が共有できなくても名作だと感じる作品はあるし(昨年見た『RAGTIME』がその究極系だった)、そこで海外に評価されることを諦めたくないよな、と思ったりもしました。

植木さんがつくるフィジカルパフォーマンス中心の演出は本当に好きだからそこは楽しかったんだけど、やっぱり原作がどうもしっくりこないままだと脚本や演出、演者が好きでも「なぜこれが評価されて再演されまくるんだろう」という不完全燃焼感を覚えてしまうのだと気づきました。

同じく、「演者のパフォーマンスは素晴らしいけどなぜこれが」と言うのでいえば『瀧廉太郎……』が疑問でした。これに関しては、唱歌で紡がれていく演者の魅力を活かす装置としての作品性と、史実を大胆にアレンジしたシノプシスは面白かったので『進撃…』よりはいくらか、だいぶ楽しかったです。が、随所に感じる人物描写の粗雑さが気になってしまって。

初演だったら「意欲作だな」と思って帰路につけたものの、この完成度で何度も再演されるのはなぜなんだろう、と解せない後味を感じてしまいました。ものすごい完成度なのに、一度きりの作品も数多あるのになぁ、と。
詳しい思うところは、こちらの観劇日記の方に書いているので良かったらどうぞ。

ただ、堅実な内容で着実に再演されている作品にも会いました。それは『ビューティフル・サンデイ』
こちらは、12年前に瀬奈じゅんさん・葛山信吾さん・桐山照史さんの3人で上演されたのが私の初見。干支が一回りし、主人公の「ちひろ」と同じ歳になって再開できたことは面白い経験だったと思いました。

12年も前の作品でともすると旧弊な描写もあるんだけど、人物1人ひとりの心理描写に無理がないので「間違っている」のでなく「不恰好」に見えるだけなのが絶妙で、いとしい作品だと思いました。
当作は、今回主演の美弥るりかさんが演目もピックアップしたのだそう。
こうやって、派手さはないけれども堅実に再演される作品があると言うのは、いろいろ考えさせられた今年のラインナップの中では希望でした。

漫画原作が舞台だけでなく、ドラマにも映画にも乱発されているように、一からつくるリスクが大きい今だから「再演」が多いんだろうなとも思うので……
もはや見に行くこともしないけど「またするの?」「もうするの?」と思う演目があることも確か、だと思うんです。舞台ファンからすると……

大半が立派な佳作だったので名作は演じ継いでほしい、また観たい気持ちはありつつ、再演ってなんだろうなと考え込んでしまった、そんな1年でした。

※厳密に原作や戯曲ベースで言うと『七色いんこ』とか『天才バカボン……』とか、『応天の門』や『ベルばら』も再演なんですが、プロジェクトが大掛かりにガラッと変わるものは省きました。

“反戦“の思いを強くする名作が続いた後半戦

作品に込められたメッセージという観点で見ると、ジャンルに問わず共通して見えてくるものがありました。

まず、一番迫ってくる想いを感じたのが宝塚歌劇雪組公演『ベルサイユのばら−フェルゼン編–』
初演から脚本・演出を手がける植田紳爾さんが今回改めて加えた大胆な改変は「非暴力」を強く訴えるものだという観劇記に残しました。

これをどう取るかは個人の自由だと思うけれども、戦争を実体験として知る植田さんの目に、今この物語を「そのまま上演すること」にどんな想いを抱いたのか。そこに想いを寄せる必要はあると強く感じています。
たとえば、私は今回オスカルとアンドレの「今宵一夜」が戦死から切り離されたのは、植田さんがプロパガンダから2人を守るためだったと考察しています。この翻案が気に食わないのなら、もう一度2人の愛の物語を手放しで見られる平和で健全な社会を取り戻すことを考えるべきです。“大人なら“等しくその責任があります。

初演当時1974年の日本と、今2024年の日本。50年経った今、なぜ「こんな宝塚ベルばら」になったのか。
ちょうど劇場版も公開されているところですから、頭ごなしに「原作と違う」と批判するのではなく、いろんな角度からこの作品が持つ魅力の再認識とともに、それが時代の変化によって「どう誤読される可能性があるか」を考えるべきです。

この「非暴力」「反戦」というテーマ。同じく強く考えさせられたのは、韓国ミュージカルの『ファンレター』です。
日本の植民地時代の京城(現ソウル)を舞台に、日本の言語統制から必死に母国語を守ろうとする若者たちの戦いと葛藤が瑞々しく描かれていました。あくまでその「戦い」を前面に主題として押し出すのではなく、文学を通した慕情を主題にすることで、情緒にも訴える美しい描写だったのが素晴らしいと思いました。

そして何より、当作を日本で上演することに決めた東宝に喝采を送りたいと思っています。日本はこの作品からすると“敵地“ですから。
何より、自分が当作に出会えてよかった。
日本語は歴史的に言語統制をされてこなかった文化だからこそ、世界の中でも特異な点がたくさんあることは頭では知っていました。でも、「奪われるかもしれない」という嘆きや怒りを感情として知ることができたのは初めてで、大切な追体験でした。
上演を決めてくれた東宝、許可してくれた韓国の製作陣。
こうやって文化を尊重しあい、守り抜いていきたいと強く思いました。

もう1つは、手塚治虫原作の『七色いんこ』です。主人公のいんこが目指すのは父・鍬潟への復讐ですが、それそのものがいんこの恩人であるピエロによるベトナム戦争で儲けた軍事企業への復讐をなぞるという“復讐の再演“でした。

当作の中でこのエピソードが描かれる「終幕」が発表されたのは1982年。ベトナム戦争自体が1975年に終結(史実上一応の)して以降も東西冷戦が続くさなかであり、いんこの復讐に“下敷き“をつくって重層的にしているのには、強い体制や権力への批判がうかがえます。単にベトナム戦争そのものを主人公に批判させるよりも、そこから「日本の一権力者の悪業」にストーリーを引っ張ってくることで、一見無関係に見える日本も大きな罪に加担していたことを示唆しているようにも読み取れるからです。

この再演を通して想起されるのは、やはりイスラエル・パレスチナとロシア・ウクライナの問題です
『七色いんこ』は遠い海の向こうの「大事件」は、私たちの生活そのものに密接で、無関係ではないという気づきを読み取ることができるもの。それを“今“見るということの意味を改めて考えました。
これに関しては改変が大胆な『ベルばら』や、本来敵国の立場であるのに上演を英断した『ファンレター』と違って製作委員会の思惑はわからず、「意図したもの」であってほしいという希望的観測です。

というか、プロダクションがどうあれ、原作にこめられた強い批判精神は色褪せることなくそこにあります。
だとすれば、それを確かに感じ取るのは、我々観客の使命だとすら思います。これからもエンターテインメントや文化を守っていきたいのならば、どんな観客も無関心など許されるはずもなく、等しく考えるべきことだと思います。

「主演 〇〇」とゼロ番に立つ姿に泣いた4名

は〜〜〜〜 長くてすみません。疲れましたよね。私も疲れた。
ここからはライトに、出演者に関する総括です。

今年は「主演」という立場に込み上げる機会が多かったことが、面白い巡り合わせでした。

七海ひろきさん『サイボーグ009』『七色いんこ』

2019年の宝塚卒業から5年……。特に『サイボーグ009』は日本青年館の主演で。宝塚では東上主演を務めぬままだったので、発表の段階で泣きそうでした。うそ。めっちゃ泣いた。

日本青年館に最後に立ったのは宝塚時代『Thunderbolt fantasy東離劍遊紀』で“実質の主人公“でありながら“主演ではない“状態だったので、青年館そのものにも感慨ひとしおでした。
ちなみに私はその“主演“のファンですが、カイちゃんには周りのファンすら応援したくなる魅力と人望があると思います。
本当に、本当に嬉しかったです。

「ジャンル・七海ひろき」の確立、大躍進が約束された年だったと思います。
これからもこの広い宇宙で唯一の、一番星であり続けますように。

咲妃みゆさん『空中ブランコ乗りのキキ』

彼女は宝塚時代もトップ娘役(ヒロイン)だったので、発表されたときは何も思わず。上演中も「相変わらず鬼ほど芝居がうまい」と感心しきりで。

ただ、カーテンコールで最後に呼び込まれた瞬間に
「あ、そういえば彼女が0番に立つのは初めてじゃないか…?」
と気づいてしまった。

私は宝塚の男役/娘役は相対的かつ集団で表現する仮想ジェンダーなので、男役が主演であることには異論がないタイプなんですけど(※この議論はここでは受け付けません。まず拙著と過去記事読んで。)
それを卒業して、改めて0番に辿り着いた「俳優・咲妃みゆ」の道程を思って泣けてきました。

何より、彼女は宝塚から“降りてきても“ずっと気高くて神聖な雰囲気を感じる人。
技術の高さ以上に、頭のてっぺんからつま先までまとうものすべてがトップスターで、0番にふさわしい人だと思いました。

佐藤流司さん『応天の門』

次に。彼自身は何度も主演してるスターなんだけど、この場所で……!と感慨深かった佐藤流司くん。『応天の門』で、明治座主演を務めました。
彼を初めて観たのは10年前のライブ・スペクタクル『NARUTO−ナルト−』だったので、いわゆる宝塚でいうところの“新公時代から知ってる子が大劇場主演してる“くらいの感慨だった。親戚のおばちゃん気分。

明治座ってやっぱり他の劇場と違うというか、少なくとも彼が育ってきた2.5次元舞台とは客層も作法も違うと思っていて。作品やジャンルとして明治座が格が高くて2.5が下とはまったく思っていないけど、やっぱり「明治座の客」って、ニッチな2.5に比べたら“広くて深い“と私は思うんですね。
そこで彼が、老若男女幅広い観客からの万雷の喝采を一身に浴びている姿は頼もしく、日本を代表する主演俳優になっていってほしいな、というかなるよな!約束だってばよ!という気持ちになりました。

そして、Xなどで見かける彼のファンがお弁当や御朱印を買ったりして、明治座デビューを楽しんでいるのも頼もしく感じました。
最近の“推し活“を眺めていると、演者の盲信者になって現実逃避したり成長を阻害しあったりするオタクが目につくので、佐藤くんと佐藤くんのファンのようにともにキャリアアップしていく姿は希望だとも思いました。

山本恵太郎さん(-ヨドミ-)『しまって、あけないで』

最後に。ここ数年通っている-ヨドミ-の『しまって、あけないで』にて、 主人公の洋司を演じた山本恵太郎さん。
細かい感想はmixiの方に書いているんだけど↓

-ヨドミ-さんは毎公演主演をローテーションしていて、正直全員大好きなので誰がやっても大満足で帰路についてきたわけですが……。

これまでは正直、山本さんの深刻さと面白さ、重さや軽さすらも曖昧に見せられる絶妙な空気感って名脇役のそれだと思っていたところがありました。
藤丸さんの描く世界観は毎回、心を抉り取るようだから、その世界の主人公として居る山本さんってどんななんだろうと、今までで一番「読めない」と思って劇場に向かったのをよく覚えています。

なんと、それがいかに浅はかだったか。
山本さんの軽妙さと迫力を存分に味わえながら、最高に煌めくばかりにグロテスクで美しい「-ヨドミ-節」が観られた大満足の観劇体験となりました。当劇団に対して正直ど新規なので恥ずかしいけど、いい意味で期待を裏切られた。最高でした。

考えたら当たり前で、山本さんのことを誰よりも理解してるのは藤丸さんなんだもんな、と思って。
惜しむらくは、山本さんが今後しばらく俳優業をお休みされるとのこと。そういう意味では、お二人の集大成に居合わせられたのかも。

“推し活“が変な盛り上がり方をして、演劇ファンの中でも「演者か作品か」という議論があったりしますが、私はあくまで「人が演じる以上演劇の醍醐味は演者である」と思っています。

ただ、ファンの推し方や、大規模興行の制作側の起用の仕方に問題があるのは事実。

僭越かつ微力ではあるけど、今後も「演者に向ける目」を啓蒙していきたいという気持ちを新たにした年。
今年胸に迫った4人の“主演“のみなさんのような、幸せな演者と作品、観客の関係をもっと観たいと思います。

「サイトー節」で綴られた究極の“TAKARAZUKA BEATS“

最後に。
私は今1番の“推し“は宝塚歌劇団座付き作家の齋藤吉正さんなので、新作に関して一言物申して終わりにしたい。
それは宝塚歌劇宙組公演『Le Grand Escalier −ル・グランエスカリエ−』。宝塚の過去公演の楽曲で紡ぐショー1本ものの特別公演でした。

これが普段彼が手がける疾走感あふれる極彩色のショーではなかったため、「彼らしくない正統派」とか「“サイトー節“を抑えた」と評されていたのをチラホラ耳にした。

はーーーーーーー???????????????????

めちゃくちゃ“サイトー節“やろ、 いつもの「宝塚の名曲集めてみましたショー」とはまったく違うやろ、目と耳ついてんのか、というのはどうしても言っておきたかった。

名曲を並べるだけのクラッシックレビューはともすると“カラオケ大会“になるところだが、くるくるとチャンネルを変えるようにつながれるのは「サイトー節そのもの」。“サイトー節“の本質はここです。

特に幕開きの「モン巴里」に主題歌「Le Grand Escalier 」がミキシングされたみたいなナンバー、どこが正統派なのか。1曲目から超ド級にオシャレやろが。
歌唱が続かないのもオシャレ。歌っては微笑みながら音に乗る芹香さんの図、目に耳に本人のオシャレさが際立つナンバーと演出でした。

自分の作品の主題歌である「Blue illusion」や「RIO DE BRAVO‼︎」、「La Esmeralda」の放り込み方も、調和とアクセントが効いていてすごい。めちゃくちゃ客観的で冷静な人なんだろうなと再確認も。
ちなみに、パレードの歌い継ぎはおそらく、本編で作品を引用しなかった現役座付き作家の作品を使っていると思います。(岡田×2、石田、暁、野口、一徳、のはずです)

1場面ずつ語っていくとここまでの5倍の分量になるので割愛しますが、単に形だけ見た「過去の名曲を繋ぐショー=正統派」という浅すぎる評価。
それを観客が言うのはまったく問題ないのですが、ある程度プロとお見受けする記事まで「定型文」として書きこなして右から左に流しているの、ちょっと許せなくてどうしても書き記しておきたいと思いました。

『Le Grand Escalier −ル・グランエスカリエ−』は「名作を振り返る正統派ショー」の“型“を使った、まったく新しい表現の発明だったと思ってます。
「名曲を現役生が歌い継ぐ」という型のある種自画自賛的であるがゆえに見ていて恥ずかしくなるような居心地の悪さを、完璧に解決していると思いました。何より今回は“いつものように自画自賛できない“公演だったから。
この手腕と功績を、ちゃんと遺しておきたい。マジで。

というか、宝塚の場合ショーの劇評や公演記事に音楽的指摘がなくてもよくなってんの、なぜなんでしょうか。
作品や演者1つひとつを評価する言葉選びに、専門的見地も用いず、表面をさらった定型文で“こなす“ような書き味のものが多いから、「評論」の地位が脅かされるんだと私は思います。

SNSで観客もスタッフも全員が発言できる今、どれだけ「評論」が軽視されているか、当事者たちが一番危機感がないのでは?と感じた契機となった公演でもありました。
演劇に限らず、音楽や映画の評論が「つくり手でもない人がごちゃごちゃうるせー(笑)」と消費者に言われているの、知っていますか?と問いたいです、本当に。

誰か特定の方への反論ではなく、結構な記事に同様の表現が見られたので言っておきたかった次第です。
評論や批評という「見るプロ」「考えるプロ」の地位を守りたいし、それによって文化を守りたいので。

超長くなりましたが、そんな2024年。
演劇やショーに人生を彩ってもらったからこそ、残り半分の人生は守っていくことも考えたいと思った、そんな1年でした。

ここまで読んでいる人がいるかわからないけど、そう思ってくれる“大人な観客“が1人でも増えるといいなと、今年も書き続けていきます。

★★★2023年3月・書籍を上梓しました★★★

宝塚の座付き作家を推す!   スターを支える立役者たち 七島 周子(著)
四六判  280ページ 並製
定価 2000円+税
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787274533/

ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
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