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引越★Vol.2★ヅカと私と受験物語--●●が怖い
当noteはしばらくアタイの旧住所から過去記事を転送していくよ
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こんばんは! いや、おはようございます?🤔
ちょっとね、眠る世界に投げキッスされちゃったんでね、このままドンドン更新していこうと思います(人のせいにするスタイル)
祖母は一番のアイコンだった
まずは、天国のばあちゃんから、やすじろはん並みに抗議が入りそうだったので、ちょっとその「母方の祖母」について追記をしておきます。
↑ この「1つめの障害」ってやつね。
祖母は、勉強の虫でしたが、そのことがわたしを文学の近くに誘ってくれました。そして、後から分かるのだけど、その生き方や文学受容の仕方が今のわたしに影響を及ぼしているなと思います。
それは、まず母の買ってきたこの本がきっかけ。
母がなんでこの本を買ってきたのかはちょっとよくわからないけど、何度もいうように「勉強の虫」であった祖母が、母のその行為に非常に賛成したことは想像に難くないと思う。百人一首といえば、暗記ですもん。母の小さい頃なんかは、百首覚えさせられたと言っていました。
そこで1つずつ、祖母が「その後のわたしの生き方と文学受容」に関わる行動を起こすのです。
まず1つめが、彼女の好きな句。新三十六歌仙などに数えられる歌の名手・式子内親王のこの歌です。
玉のをよたえなはたえねなからへは 忍ふることのよはりもそする
— 『新古今和歌集』 巻第十一 恋歌一
「へえ、恋歌なんだ」というのが1つ意外。それはその小学生時分にも今も、とても強烈に印象に残っている違和感であります。一応じいちゃんとは当時にはめずらしい恋愛結婚だったと聞いているけど、ほんと口開けば喧嘩と悪口な夫婦だったしww
ただまあ、この歌自身は『命なんて燃え尽きてしまえ』と言っている割に、だんだん冷静になりちょうどいいテンションに落ち着くところが、いかにも新古今の香りがする。内容の割にかなり技巧的、男性的な歌だなと思うわけです。そこが、今の自分の仕事のスタンスに通じる一首だなと思っています。
色と知と、そんなモダンなバランスにキュンときたのかなと、今は想像してます(苦情は夢で受け付けるよばあちゃん)。
2つめは、彼女の通夜の準備をしている時に見つけた書き込みだらけの大量の新書でした。
万葉集、古今集に始まり、源氏物語など、さまざまな古典文学研究に関する本をたくさん読んでいたことがわかったの。たった7〜8歳の女子の孫と一緒に本を読むためにですよ。これは、泣きました。
その日は、既に宝塚に落ち、予備校に通っていた…まだ梅雨入りはしていないが蒸し暑い夜だったけど
「わたしの時分と違って今は女の子も好きなだけ勉強ができて、しかもそれで褒められる」
と、わたしの成績表を見ながらうれしそうに言った顔を思い出して、死ぬほど泣いた。
一生懸命「暗記」を越えて文献研究してくれちゃうようなばあちゃん。
《知》に誠実な人。
偏見的に芸事は嫌いだったけど、わたしの文学受容の原点は彼女です。
これだけ話せば、17歳のわたしが「アタイ、やっぱりタカラヅカにいくんや!」というのがどんなに身を切る決断だったか、よく分かると思います。
そしてその反面、なかよしのお友達なら「ああ、だからそういう芝居の見方をするのね」というのも、皮肉なことによく分かると思う。
わたしの中に、めちゃめちゃばあちゃんは生きてるんですね。
ある本、ある記者さんとの出逢い
10歳のわたしがヅカ受験を躊躇した2つめの理由を話すには、まずこの本を紹介せねばならないと思います。今日は本の話がよく出てくるわね……くらえ!
『タカラヅカ・グラフィティ(大阪書籍)』好きな人ばかり写り込ませているカメラテク…
1997年当時はタカラヅカスカイステージも未開設で、それこそNHKだったり、関西テレビが放送したものだったり、やっとVHSが発売された頃で、とにかく情報を得るには本だったので、劇団が発行する機関誌以外にもたくさんの書籍があり、母がよく買っていたものでした。
『タカラヅカ・グラフィティ』と冠する本著は、新聞記者 宇佐美正さん&フォトグラファー 小畑正紀さんのコンビが「ヅカ付きブンヤ」として撮りため書きためた情報が1冊にまとまったもので、これは今自分がプロになって読んでもかなりの名著なのね。その話はまたおいおい。(おっしゃまたネタが増えた)
ちなみに、宇佐美記者は1995年の阪神淡路大震災で被災してその生涯を全うされたことを7号め(この号のみ遺志をつぐ記者の共著)で知り、少女シュウコはひどいショックを受けるのですが。この話もまたおいおい。
いずれにしても、10歳の少女シュウコにとって、これらの本は情報の生命線だった。そのほかにタカラヅカファンの人形作家さんが書いた毒舌エッセイやら、もちろん歌劇やグラフ(まだ当時はA4正寸)やらいろいろあったけど、当時からわたしは「第三者の専門家が書いた情報」が好きだったようで、一番印象に残っている。
だが、その「一番の足枷」になった情報も、この本の中にあるのでした。
2つめの障害は、侮蔑と恐怖
7冊中どの本かも忘れるくらいのショックなできごとだったので、忘れてしまったが、ある1枚の写真が目に入った。
確か、旧劇場時代で、旧宝塚音楽学校に向かう建物の塀と書かれていたように記憶しているが……(違ったら訂正にきますごめん)、今では考えられないけれど「ファンの落書き」を撮ったものだった。
思い出しただけで、ちょっと涙が出てくる。10歳のわたしは本当に目を疑ったし、たった今も、それをそのままここに書いていいか迷っている。
でも、わたしのあのときの吐きそうな思い、不条理、傷ついたきもちをリアルに描きたいので、あえてここに再び転載する。
その塀の写真には、とっても汚い、が、明らかに大人の字でこう書いてあった
ショーコ死ね ←おまえがしね
【ショーコ】とは、月組主演娘役の黒木瞳さんのことですね。おそらく、黒木さんのアンチが書いた落書きに、黒木さんを擁護する人が反論した図である。
これを淡々と、二人のブンヤは「熱狂するファン」と解説し、静かに非難していた。ああ、これが《特別におかしな人》のふるまいではないからここに載せるのだと、子供心に理解した。
二人が撮って書いてくれたものには、美しい《たからじぇんぬ(彼らはカタカナでなくひらがなでたからじぇんぬと呼んだ)》の勇姿も収めながら、そのほかにもたくさんの「熱狂するファン」が描かれていた。
榛名由梨さん・安奈淳さん・麻実れいさんなどのベルばらスターに暴力的に群がる熱狂するファン。会対応する蝋人形のような天海さんの姿もあった。
10歳のふつうの少女は、そのようすを「信じられないくらい醜い」と思った。
「これ、おとなの字だよね……?」
わたしは、折に触れてそのことを思い出しては傷つき、たまに泣いた。
そのとき黒木さんのことは舞台映像ですら見たことがなくて、写真に焼き付けられた少女漫画のような可愛い瞳とえくぼを見て、いま思えば知らない人のために泣いたのは、あれが初めてかもしれなかった。
これが、わたしの「あそこに立つんや!」を、阻んだ2つめの要因だ。
すごくすごく憧れている世界に立ちたいけれど、こんなに人に憎まれるのかもしれないというのは、耐えがたい試練だった。プロとして厳しい意見を…の範疇を超えていると今でも思うけれど、そんなモノサシはまだ10歳そこそこのわたしにはもちろんなく、当然「死ね」なんて言われたことも言ったこともないわけだから、あんなに可愛らしい人がこんなことを言われるのにわたしが言われないわけはないし、それに耐えられる気がしなかった。
熱狂するタカラヅカファンは怖くてとても耐えられない人たちで、気持ちが悪いと思った。
その後大人になって会活動や友達との交流でどんどん気持ちが溶けていきはするが、遠い九州で、初めて触れたタカラヅカファンに対して持った印象は《激しい恐怖と冷たい侮蔑》だった。
「娘役になりたい」の裏にもこびりつくこの恐怖
その足枷になった恐怖というか侮蔑というか、負の感情はこびりついて取れなかった。
バレエ学校の校長・スクール担当の先生と面談しているとき、その『ショーコ死ね おまえがしね』という世にも醜い光景がふと思い出されたことがあった。
男役と娘役どちらがやりたいか?という話題が上がった時だ。
わたしは元々「かわいいむすめやくになるんや!(真顔)(定期)」の民であったが、さまざまなところで、ありがたいアドバイスもありがたくない陰口も含めて(あ、これもまた話すね)男役を勧められてきた。実のところ、両先生もあと少し背をごまかせれば…と男役を勧めたかったようだった。
そのときに思った。
『あの落書きをしたのは、大地さんのファンなのか……?』
真相はわからない。その後大学での研究で仮想ジェンダーの中でのファン(女性)の娘役への再抑圧みたいな話も学び、80%くらいの確率で大地さんのファンなんだろうなあくらいに思っているけれど、もしかしたら違うかもしれない。
ただ、17歳のそのときわたしは「自分のことを好きな人が、それを正当な理由として振りかざして人を傷つけるさま」をありありと想像してしまった。
地獄だと思った。
また、娘役とは!みたいな話も書こうとおもっているのでその回に預けるけれど、それならその刃を直接受ける方が全然よいと思った。
「どうしても、娘役がいいです」
校長は眉ひとつ動かさなかった
「そう。あなたはかおるさん(スタジオの卒業生で、某組主演娘役だったかた)ほどうまくはないけど、ずっと美人だから、夢があるわね。
茨の道だと思うけど、わたし、そういう生き方だいすきよ」
あのばあさん(校長)は、今思うと、何を見透かしていたのか。聞いてみたいけれど、聞いたところできっと「そんなこと言ったかしら」と、顔色ひとつ変えずに微笑むんだろう。
仲間が叩かれるところを檻の中で見ていなければならないより、叩き潰されても這いつくばってやる。この精神は、今の自分の仕事の仕方に、よくも悪くも影響しているなあと、よく思う。
まだ戦ってるのか、わたし。見えない敵と?反省だな。
***
これまた長くなりました。
わたしが折に触れて、したり顔の「ファンを名乗る人」を嫌悪する理由もご理解いただけたかと思います。
いずれ本編で語りますが、傷つけられてきたのはいつも「ファン」の好奇の目で、先生も本科さんも「劇団」は真摯で暖かかった。元々そういう恐怖や侮蔑のフィルターがかかっているからかもしれないけれど。
生徒さんは当然ながら「ファンの皆さんが大切、ありがとう」とおっしゃるし、そう思えることはすばらしいし、のぼりつめていくほどにそういう境地にいけるのだとは思います。ですが、いちファンであるわたしたちなどが大切な人なら、それ以上に仲間や先生といった劇団がもっと大切なのはいうまでもないと思う。
自分の贔屓のためなどという大義を振りかざして、劇団や座付・スタッフさんを誹謗する人は「ショーコ死ね」と書いた人を責められませんよ。完全に同じ穴のムジナです。
仮にその贔屓がわたしたちファンを大切だと思っていたとしても、彼女を生み育てた劇団との物語を推し量るならば、そこに割って入りえらそうに物申すことができるはずがない。
一体何様のつもりなのか。
あの落書きは特別な頭のおかしい人の所業ではありません。
むしろ、自由に発言出来る今なればこそ、もっとインスタントに起こっている醜いことであり、その軽はずみな一言で、あの日のわたしのように傷ついている子供がいるんじゃないかと、そんなことを慮ってくださるかたが増えたら幸いです。
ご静聴ありがとうございました。
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