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村上さん顔うちわお焚き上げ❺2007〜2008年「入れなかった公演」の段

お焚き上げの時間です。

今回で5回目となりますのに、まだ2007年末と冠していることに狂気を感じずにいられません。が、初回に10年間のうちわの数を数えたところ

「私の方がいっぱい持ってる」「少ない方」

といった先立の心強い?お言葉をいただきましたので、安心しつつ? ……それでも1枚1枚大事なものには変わりないので、丁寧に見送っていきたいと思います。

で、“1枚1枚“と言ったそばから恐縮ですが、今回は2公演分一気にお焚き上げしていきます。

なぜ買ったか記憶にないカウコンのもの

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カウントダウンコンサート「10年目だよ!見なきゃソンSONGジャニーズカウントダウン歌合戦」2007年12月31日

東京ドームで事務所を上げてのカウントダウンコンサート(カウコン)が10年目という年だったようです。

私、ジャニオタ歴の中で、結局一度も、上記のような“集合のカウコン“には行かずじまいでした。関ジャニ∞が京セラドームで単独でカウントダウンにかかりながらコンサートをするという年があって、それは行ったんだけど。東京ドームの方には行かなかったな。

で、多分友達の誰かがそれに行くとのことで、うちわだけ買ってきてもらったのだと思います。なぜかは知らない。前回ご説明した『47都道府県ツアー』の余韻もあったから、入らない現場もカバーしたかったのかな。

遺影はこちらです。

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あ、そうなんです、髪の毛切りました💇‍♀️ ヘアドネーションをしました。その件に関しては、会社のブログにも上げてますし↓

このnoteか会社のかは未定ですが、また個別に記事にしますね。40cm切ったよ。

で、これまた村上さんも、前回と比べてだいぶレイヤーのたっぷり入ったショートスタイルに変わりましたw 前回はトップ長かったですからね。前回のバランスは、時代性を差し引いてもダサいバランスと言いましたが、耳を境に上下の重さのバランスが整うことでだいぶ垢抜けた。

もしかしたら「盛れてるよ!」という報告を受けて買ってもろたんかもしれん。実際、うちわざっと並べてみましたが、洗練されてるのはこのうちわだなという感じがしました。

この直後、もう1つ入っていない現場のうちわがある

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舞台「『未定』壱」1月19日〜2月3日(東京グローブ座)/2月9日〜2月15日(梅田芸術劇場)

メンバーであり、入所同期である渋谷すばるさんとの二人舞台でした。

これがね!もう!!ぜんっっっっっっっっっぜんチケット取られへんかった!!!冗談抜きに入れてる人見なかったです。初回で紹介した「村上さんの髪型を笑うmixiコミュニティ(意訳)」にも見かけなかった記憶。

雑誌などの僅かな情報を頼りに紐解くと、オムニバス芝居やら漫才やら落語やら、2人が好きなことを自由にやる演目だったらしい。

2人は元々ナインティナインさんの大ファンで、当時彼らが恒例としていた9月9日の単独ライブにも予定を合わせて行くほどだったとかで、実際松竹座とかの身内舞台だけでなく、地上波で漫才を披露したことがあります。

“地上波で“って謎に冷静を装いましたけど、ダウンタウンさんの前でです。

ダウンタウンさんの前で漫才とか!こうなってくると、野田クリが「学校へ行こう!」でV兄さん方にお目通りしていたのと逆の感じだよね(?)という謎の情緒芽生える。そういうこともあって、一旦冷静を装いました。

で、当時のパフォーマンスを違法にアップロードしている人なんかもいるもんだから、拝見して立ち上がりの秒数とかボケ数とかチェックしてみたんですけど、プロのそれと遜色ないレベルと言っていいだろうなと思いました。数値上の話で。細かい話法や場を埋めるテクニックはもちろんないですよ。

意外や意外「“アイドルのおままごと“らしく生まれつきのオーラでゴリ押ししてる」系の漫才ではなくて、割と「競技系漫才」に近い形でやれてた猛者だったということが分かったりしました。

渋谷さんは歌、村上さんは司会業と特化した存在だけれど、2人に共通するのは、メンバーの誰よりも「見て盗む」力が強いのかもしれない。

【まねぶ】という力です。

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遺影はこちらです。せっかくなんで2人並んでもらった。

そんな「名コンビ」の2人の間に私が入るのは無粋だと思いました。

というのと、こんなふざけたうちわ持って、どんな顔していいかわかれへんというのもあった。一応言っておくと、渋谷さんのほくろと宝毛(?)はメイクです(真顔)。

あれだけナイナイさんだのダウンタウンさんだの言ってる割に、とんねるず臭すごいよね。まあ、世代と言えば世代です。

後日譚ですが、「壱」と冠したこの『未定』シリーズは、壱のまま永遠に更新されることはありませんでした。翌年渋谷さんは、同社の後輩を連れてバンドコンサートをやることになります。それももちろん大盛況でした。

そのこと自体は2人と事務所でよく話し合って決めたことなのだそうですが、ちょっと出典は忘れちゃったけど、村上さんはこんなことを言っていました。

「いつかすばるが音楽以外もやりたくなったときの居場所を空けておきたい」(ニュアンス)

そうして、翌年からアイドルの1人舞台というには世にも奇妙な『if or…』シリーズが始まったのでした。

内容は「ほぼKOCファイナリストの単独ライブ」と言ってもいいような、無駄にストイックな村上さんの1人舞台は、10年続き、しかもフォーマット化されることもなく毎年“新しい変なこと“をやっていました。

そして、渋谷さんの脱退を控えた2018年の冬の終わり、そっと閉じるようにピリオドを打ったのでした。

前に「焼きそば」だの「モップ」だのと言った時もちょっと褒めたことがあったけど、村上さんの一番のモチベーションは“他人“なんだよなと思うエピソードの1つです。メンバー(組織)の中の自分がどうありたいかで、道を選んでいく人。拓いていく人ではない。

そこが冷酷なくらい一貫しているところも素敵だと思っていて、発端は他人のためとはいえ、普通10年もやっていたら少しくらい「自分のため」という執着が芽生えそうなところを、「要らんか、ほなやめようや」とバッサリ切り捨てられるところがすごすぎると思う。

コロナ禍の2020年、一度だけ『if or…NEO』でオンライン復活したらしいですが、それも「求められるのであれば」というスタンスだったのではないかなと思うし。

本当に、ああいう世界において自己実現的ビジョンが基本的にはなくて、メンバーの中の俺、ジャニーズの中の俺、バラエティ界が求める俺、というこの3つくらいしか物差がなさそうなところが、実は一番の強みなんだろうなと、ファンを離れた今特に感じている次第です。

私自身も、そんな性質だから村上教に入信したのか、村上教だからそういうメンタリティになったのかわからないけど、基本的には「組織」とか「業界」とか「今の地球上」みたいな団体の中での自分、生きる理由みたいなことを考えたくなるタチだったのですが、結局そう生きられなくて捨ててしまいました。極めきれなかった。

だからこそ、彼の潔いまでの自分への無関心、それなのにああれほどまでに“強い個“、そん“な強い個“が組織にこだわり続けられる理由……。ファンや入信者という感情を超えて、一社会人として彼のメンタリティに強い興味を惹かれるのです。

私としても、エイターを降りる時、心残りが1つあるとしたら『未定』が「壱」のままで終わっていたことだったのですが。

その時やっぱり村上さんのように「ないならいいや」と軽やかに飛び降りることができたように思うし、何より、渋谷さんが脱退する数年前から、きっと「弍」はないんだろうなあという確信めいたものが、心の奥に確かにありました。

この確信やら自信は、しばらく言語化できそうにないのです。

思い出をありがとうございました。

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