見出し画像

引越★Vol.3★ヅカと私と受験物語--受験スクールについて

当noteはアタイの旧住所から過去記事を転送していくよ

。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿

こんばんは〜🌟星組の初日が空きましたね! 仕事の関係もありMy初日はまだまだ先ですが… まずは無事に生徒さんおよびスタッフの皆さんが初日の幕を開けられたことをお祝い申し上げます!

前回の記事にはたくさんの反響をいただきました。結構きついことを言った割に好意的にねぎらってくださるご意見ばかりで、恐れ入りました。その優しさをぜひ、今後さらに生徒さんに向けてくだされば幸いです。

そんな中受験時代からの仲間には「あれじゃ受けたくなれへんで」とお叱り?を受けましたので😅いっちょ続きを行ってみたいと思います。

受験専用のコースは有利?

これはねー、結構聞かれる質問です。特に下心とワイドショー精神見え見えの親サイドから。若人と接触する機会が少ないこともあり、本人から聞かれたことは皆無かな。正解とかはないんだけど、これも1つわたしの体感を記しておきたいなあと思います。あくまで全方位ポジティブに。

今でこそ、最近では元主演娘役の遠野あすかさんが主催するスクールなんて台頭したりして、すごい量の「受験専用スクール」があるし、その情報も多く手に入れることができます。風花舞さんも教えたりしてるんだよね。なにそれわたしも習いたいよ。

わたしが受験した当時はもちろん、今もそうなんですけど、それが唯一の最短距離なんだったら、わたし含め地方勢はとても不利ってことになります。

実際受けてみて思ったのが、それは半分その通りで、半分はそうでもないぜってことです。

当時は今みたいにSNSとかもなかったけど、ホームページなるものは存在していて、掲示板とか、そういったところに相変わらず今みたいにほんとなのかウソなのかわからないような感情垂れ流しの書き込みがたくさん見られるようにはなっていました。そうすると、そこにはこんなことが書き込みまくられているわけ。

・宝塚コドモアテネ組の合格者数が多いのは不正
・コネができる受験専門スクール一択でしょ 

これねー、ほんと、結論からいうと声を大にして「バーーーカ」って言ってやりたいです。

宝塚合格者実績のたくさんある「太いパイプを持つ」スクールには、よさもあるしそれを超えるしんどさ、それとそれを補って余りある楽しさもあります。その辺を、実体験も交えて紹介していきたい。

わたしの通った受験スクールの話

まず、呑気な田舎のわたしの結論から。わたしは、県内でバレエ学校としても伝統と実績があり、ヅカの合格実績もそれなりにあるバレエ学校の受験スクールに編入しました。なんとなく名前は伏せるけど、小柳ルミ子さんとかひびき美都さんが卒業されたスクールです。

たとえるなら「半官半民」と言った感じで、ヅカに特化したコースとはいえ、校長の哲学が濃いスクールで、受験対策もするけどバレエやら声楽の基礎中の基礎を叩き込まれることに時間を費やすって感じだった。なので、はたから見ればばもう少し受験に特化した対策をしてくれるところの方がいいんじゃないの?とか、ちゃんとバレエのコンクールだけに特化した実力主義のところの方が…とか、いろいろ意見はあるかなと思うんですけど、わたし個人としては、このクラスで過ごした1年が、人生において非常に大きな意味を持つし、とても学び多い場所だったんですね。 

まず、わたしはここしか知らないからぜひ他の体験談も聞きたいんだけど(コメ閉じてるからツイリプにどうぞ)、校長や副校長がここまで絶対的な権限を持っているという組織に属するのが初めてだった。これは、悪い意味じゃなくて、アートという一見曖昧な世界において、絶対的な正解が存在するというのが、改めて進路として向き合いどっぷり漬かったときの、いちばんのカルチャーショックでした。

具体的にいうと、レッスン1つ増やすのにも許可がいる。だから、エリザなんか観てて「馬に乗ります」「だめよ」→「でしょうねえ」って思います。今や。

当時は同年受験対象者という意味では、8名くらい、まだ受験資格に満たない子を含めると10名強の仲間が一緒にレッスンを受けていました。3歳くらいからバレエをやっている子もいれば、芸歴そのものが1年くらいという子もいた。そういうメンバーが、それだけに特化したレッスンの時間もあれば、バレエやモダンバレエのレギュラークラスを普通の生徒と混じって受けたりする、みたいな感じでした。

これがすべての受験スクールに適応するのかわからないけど、少なくともわたしのいたところでは「宝塚受験をしたいです!」となって入学したとして、よくあるダンススタジオみたいにいくらでもレッスンが受けられるわけではなくて、まずはこのクラスだけ週に1回。校長か副校長が許可すればその次、最終的にはポアント…という感じで、いちいちお免状のように許可をもらう仕組みでした。 

勘のいい人はなんとなくお察しのことと思うんだけど、ここが大きな障害になる子もいるんです。だから、紅ゆずるさんみたいに【自主トレ】(笑)的に、どこにも属さないで頑張るっていうのも1つ手だと思う。事実、早霧せいなさんとか朝夏まなとさん、真風涼帆さん、咲妃みゆさんなど、いわゆる地方出身で特に対策コースとかを意識せずに主演まで上り詰めている方がたくさんいるってことですよね。

毎日審査され続けるという痛みに、あなたは耐えられるか

つまり。ここからは、前章お察し案件なのですが。

わたしのスクールに限ってはだけど「受験をする」ということすら、許可が必要だった。

実際に、自分とおないどし(つまり18歳、ラストチャンスですね)の子が 

「わたくしが、あなたを自信を持って送り出したと先方(宝塚)に思われるのは困るのよ。わたくしとわたくしを支えてくれた先生方の長年の信用に関わる問題なの」

と目の前で言われているのを見た。願書を取り寄せているような時期のことですよ。寒い日だった。15歳の時にそれを言われて受けられなかったという3回目受験のおないどしの友達と、校長の激しく厚いご寵愛たまわり軽々受験を許可してもらったおないどしのわたしは、絶句するしかなく、崩れ落ちて泣くそのおないどしの仲間の肩をさするしかできなかった。

結果、彼女は「受験スクールに当校の名前を一切出さない」という条件のもと、受験を許可してもらっていました。他のジャズダンスの先生に何度か師事していたようで、彼の名前を書いたらしい。もちろん、不合格でしたが。

だから、思うに、専門の受験スクールはもっと過酷なのではないかしらと想像するのです。

受験スクールであれば、当日の振りの傾向とかをしっかり教えてもらえるし、いいところはたくさんあるんですよ。クラッシックだけでなく、ジャズやモダンバレエの基礎も会得できるしね。

ただ、やっぱり、なんというか「そこが小さなカンパニー」ではないですけれど、強くて深くて厳しい師弟関係が始まっているのではないかと思うんです。実際、試験会場でお話しした有名スクールの子は「毎日品定めされているような気分だった」と言っていた。あれは面接の前だったと思う。それまでは受験スクールごとでかたまっているので話す機会がなかったのだが、可愛かったのでわたしが近寄っていったような寸法でして(笑)。

表情筋がこわばっていてとても見ていられなかったので、並んでいるあいだあっち向いてホイをして遊んだ(世界一カッコいいあっち向いてホイが恋しくなるやつ)。 

その子も『シークレットハンター』のロケットの中には、ついぞ見かけなかった。華奢で可愛らしい、受かった子たちと何の見劣りもしないような、つぶらな瞳ながら笑顔が可愛い女の子でした。 

「髪を下ろしていると思って歩きなさい」

とはいえ、わたしはそんな厳しい「小さなカンパニー」をとてもエンジョイして過ごしました。

まず、1つに、これはただの自慢なんだけどわたしはその校長・副校長にめちゃくちゃえこひいきされていた。レッスンは夏休みを待たずに週4講(声楽含むよ)になり、それだけでは足りないだろうからといって小児向けクラスのインストアシをさせてもらうようになった。すぐにポアント(トゥシューズ)のクラスも受けなさいということになり、人生でいちばんのモテ期だった😂


通う日数を増やした分だけ、できることが増えた。

歌える音域が増えた。イタリアンフェッテ。日本語の歌をうたってよいと言われた。トリプルのピルエット。ポアントでピケターンで横切るスタジオの端から端。

すべて校長の「今日から受けてみる?」が『校長が言ってるからわたしなら大丈夫』と背中を押してくれたように、今は思う。

あんなに毎日毎日できることが増えて、仲間とあーだこーだ練習して、それを大好きな先生に見てもらえて。わたしの人生でいちばん楽しいときでした。

 

わたしは、校長と副校長が大好きだった。あのおばあちゃんとおばさんがつける振りが、大好きだった。二人が「あなたなら大丈夫」といって送り出してくれたことが、傍目にはだめだったじゃんと見えるかもしれないけど、わたしには何よりのお守りでした。

だから、もちろん受かれば一番いいんだけど、たとえ落ちたとしても血の1滴から『楽しかったぜーーー!』っていえるスクールに通えるかどうかっていうのが、結構大事なんじゃないかと今は思っています。

 

1つ、校長に言われたアドバイスで、今やっとわかったことがあって。面接のレッスンのとき。


校長  あなた、娘役を志望しているのよね?

ワテ  はい

校長  だとしたら、まったくダメだわ。やり直して

ワテ  はい…(だとしたらってなんや)

校長  あなたは誰もが羨むお姫様になりたい人なのよ。

ワテ  …

校長  今はシニヨンだけど、髪を下ろしていると思って優雅に歩いてちょうだい

 

このときわたしは「優雅に歩いてちょうだい」しか理解できず、だから多分、彼女の思うようなパフォーマンスはできていなかったんだろうなということに、15年経って先々月くらいに気づいたのだった。

 

*** 

先日『Killer Rouge』の綺咲愛里ちゃんと有沙瞳ちゃんをみて、あのとき校長が言いたかったのは、髪をなびかせている重さを残しながら少し軽やかに歩けということを言いたかったんだと気づいたんです。何よりわたしが男役顔で、中途半端な身長で、それを気にしているのを知っていたからそういったんだと思う。

「それならそうとわかりやすく言ってくれよ!」という思いもありつつ…😆

その【含み】は、ある意味プロとして舞台に立った時を見据えての表現だったんだろうなあと、今は思っています。

(というかそういう見方しかできない人だった。根っからのアーティストだったので、というのもある。) 

そして15年経って、わたしはその【なびく髪】をもって世の中の女性を【全員、一生涯お姫さま】にしたいと夢見ている。

 

…因縁だなあと思います。すごい縁ですよねえ。

スクールは「ただ受かるだけ」ではなく、その後の彼女の人生も含めてよい出会いになるのがいちばんよい、という結論でございました。

 

ご静聴ありがとうございました。

。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿

★★

Instagram:@shuko_740

Twitter:@shu_a_s_a040126

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?