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【ネタバレあんま無】#舞台NARUTO ”抜け忍”が描く本当の「愛とリスペクト」【2.5】

私は舞台だとか映画だとかを語る上で、愛とかリスペクトっていう言葉を軽く使う人が本当に苦手なんです。

まず、舞台や映画、ドラマ全般にいえることなんですが、よく聞くのが「原作へのリスペクトがある」「原作への愛がある」。
あっても良いと思うのですが、なぜそれがあることで褒められるのかがわかりません。
というよりも、良くない作品に対する批評を愛とかリスペクトという観念的な話にするせいで、原作と照らしたときの違和感の正体が見えづらくなる邪魔ものだと認識しています。

次に、これは宝塚歌劇のファンのあいだで多い表現なのですが「宝塚への愛がある」「生徒をリスペクトしている」という表現。
これは、あの集団が”学校”という体裁である以上、あるに越したことはないんですが、観客がそれを意気に感じとるのが短絡的かつ表面的になっていると常々思っています。

そんな私が、わざわざタイトルに「愛とリスペクト」を冠しているのは、皮肉でも何でもありません。
2015年の初演からずっと拝見している『ライブスペクタクル NARUTO』(以下ナルステ)を通して、ずっと気持ち悪いと思ってきたことを吹き飛ばす可能性を感じました。

(ちなみに、当記事は以降、ナルステの「作品としてのクオリティ」にしつこく言及するものであること、さらには演出家の児玉明子さんを”抜け忍”と喩えながら魅力を展開していくため、最近炎上した元宝塚座付作家への賛同? or あてこすりのように読まれるかもしれません。私もSNS上で彼女に対して数日ワーワーわめいていたので、そういう読み方も甘んじて受け入れます。が、どちらかというと真意はそこではなく、さまざまな○○や、近年の新人作家に対する下馬評への疑問から起こる考えです。)

ライブスペクタクル NARUTO の何がすごいのか

7年以上かけて72巻完結をめざす「長編ロングラン」という新スタイル

まず、当作の基本情報から。原作は『NARUTO ‐ナルト‐』(岸影…もとい岸本斉史 作/集英社刊)で、NARUTO新時代開幕プロジェクトの一環として、連載15周年の2015年に舞台版が制作されました。ということは今年で連載22周年ということである。怖……

実は当作が舞台化されたのは初めてではなく、2006年にもジャニーズタレントを中心とした「忍者イリュージョン」として制作されたことがあります。
これは拝見していないのですが、違いとしては、ジャニーズ版はオリジナルストーリーであるということ。
2.5次元舞台が一般化した今、オリジナル!? 許すまじ!ムキー!! となる人もいそうですが、これって要は、多くのマンガやアニメの「劇場版」と同じなので、なんら不思議はない。長くて3時間で長編原作ものをやろうとなると、こういうことは往々にしてあります。宝塚ファンの読者が多いから宝塚を例にとると、先日の『シティーハンター』とか、『ルパン三世』とか『逆転裁判』とか。漫画やゲームなどの二次元原作に多いですが、その辺の理由を掘り下げ始めると来年になってしまうので、そこは割愛。

その一方、漫画翻案舞台でも全体をぎゅっと要約して上演するスタイルも当然あります。代表作は『ベルサイユのばら』。さらに『オルフェウスの窓』『アンジェリク』『あさきゆめみし』『花より男子』『はいからさんが通る』『天は赤い河のほとり』…… このあたりは「ぎゅっと要約スタイル」でした。

で、私が2015年に「この作品はとんでもないことをしようとしている」と気づいたのは、ナルステの第1作は”そのどちらでもなかった”からでした。

使われたエピソードは「波の国編(第七班結成~再不斬&白との闘い)」「木の葉崩し編(我愛羅との闘い)」そして、最後に「サスケ奪還」が描かれていました。
見ている最中は、何もすごいとは思わなかったんです。作演出の児玉明子さんが手がける作品で、長編漫画の中の一部のエピソードを抜き取った翻案は見覚えがあったからです。宝塚在団中の『メイちゃんの執事』がそうでした。あれは、原作の中の「ルチア編」だけをほぼ原作準拠で描いたものだった。

じゃあなぜすごいと思ったかというと、サスケ奪還こそが本来原作の「起」であり、脚本も演出も「起」の予感を残して幕を閉じたからです。
そしてその予感は本当になる。
2017年に同作サブタイトル『 ~暁の調べ』ではサスケがイタチを倒すまで。2021年にも同作サブタイトル『うずまきナルト物語』で、自来也の殉死と五影会談の奇襲までを。
で、今年2022年の同作サブタイトル『忍界大戦、開戦』では九喇嘛モードの覚醒、トビの正体がわかるところまでを描きました。

これって連続ドラマとかデカい興行の映画とかでは不思議ではないのかもしれないんですけど(るろ剣とかファブルとか)、舞台って集客が命だから、本当にすごい挑戦だと思うんですね。万が一興行がコケたら、「サスケを連れて帰る!一生の約束だってばよ!」で終わってた可能性もある。
小心者の私だったら木の葉崩しで切ってたかも。それも可能ではあると思うんです。一応の決着はつくわけなので。

ただ、同じことを10年以上前から『ミュージカル・テニスの王子様』がやってきたことは知っていました。なので、私より2.5に精通している観客はそこに違和感がなかったかも、と振り返ります。実際、主役のナルト役の松岡広大くん(当時)とサスケ役の佐藤流司くん(現在も)はテニミュ2ndの出演者なので、そこから流れてきているファンにとっては当然の作法だったかもしれない。
ただここからは個人的な感想ですが、テニスの原作をはじめ、スポーツものって物語を切りやすい利点があると思います。ほかにロングラン系の2.5といえば『美少女戦士セーラームーン(セラミュ)』がありますが、あれはもともと原作が章立てた構成になってるという利があると思っていて。

「NARUTOでそれをやるのか……どうやって?」
これが最初の感想でした。
しかも、テニミュや当初のセラミュがそうだったように、主要キャストのほとんどが当時世間的には無名でした。
今や一大ジャンルとなっているテニミュやセラミュのようになれるのか。テニミュだって最初は赤い背もたれが目立つ客席だったという話を聞いていたので、そのネルケがやるならできるんだろうけど、これはどえらいものが始まったぞ……と思ったのを、よく覚えています。

えらそうなことを言ってますが、私自身の2.5次元舞台への興味がわいたのは確実にナルステに圧倒されたことがきっかけです。それ以前にセラミュ現地とテニミュ映像布教施されたことはあるけど、というレベルでした。

”常にキャラクターとともにいる”という文化

ナルステを通して俳優たちを眺めていて、気づいたことがありました。私が見てきた宝塚やジャニーズ(当時)は、出演者に自己発信の文化がないので初めての体験だったのですが、俳優たちはまずマメだということ。超マメですよね。不精なのでシンプルに尊敬します。
さらに、私は布教してきた🎾オタの熱狂ぶりから、もっとタレントとして推されるアイドル的性格が強いのかなと思っていましたが、むしろ逆で。公演期間中は徹底して「役としての自分」を意識した発信をしていることに気づきます。

で、なんか、宝塚と真逆だなと思うようになりました。
宝塚って「レビュー」や「ショー」という出し物があります。あれはお芝居と違って、芸名のその人として出演する場面がつらなる出し物です。なので、SNSの個人発信こそないものの、機関誌や専門チャンネル、各種メディア取材では芸名の本人にフィーチャーされる。
しかし、2.5次元舞台の俳優たちは、自分自身を推してくれる固定ファンへのアプローチの前に、演じるキャラクターのファンへの気遣いや発信を欠かしません。

これはセラミュとかテニミュ、先人たちの成功を踏襲してできたカルチャーなんだろうなとも思うんですが、制作側が仕掛けている部分も感じ取りました。
ナルト役の広大くん、サスケ役の佐藤くん、サクラ役の伊藤優衣ちゃん。3人は同年初舞台なんですね。それぞれ背景をもって集まった第七班の姿に重なるものがあります。一方対する我愛羅役の須賀健太くんは、初舞台も2001年と大ベテランという圧倒的猛者だったり。だから、今だからいうけど、正直初演パフォーマンスそのものは須賀くんの独壇場でした。申し訳ないけどまったく比較にならなかった。
が、木の葉崩しの段階では我愛羅がそもそも「人外の化け物」なわけので、それが逆に良いと思った。

「私が原作を読んだときのイメージ以上に我愛羅」だった須賀くんをまっすぐ見つめる広大くんの震えるようなまなざしは、それも「頭の中のイメージ以上にナルト」でした。

当て書きではないのに、演者本人の”今”と演じる役がリンクする面白さ。彼らが常に役とともに歩き、それが作品も成長させるという現象。
観劇を重ねるごとに、おもしろいものに出会った高揚感でいっぱいになっていきました。

7年後の今も、佐藤くんはプログラム中で「自分とサスケの融合体」などと激重感情を吐露していて、本当に良い。イイ男だなぁ彼。今回演じられるエピソードは原作が好きすぎるから感情がコントロールできないかもしれないけれど、今の自分ならできる境地と信じてもいるというような主旨だった。

これ、あまり引き合いに出してそっちを批判したいわけではないんだけど、漫画が実写化されるとき、スタッフやキャストが「原作大好きです!」というのと重みが違うわけです。

佐藤くんほどの逡巡と葛藤をもって、不安すら抱えたままぶつかる覚悟が「原作への愛」だと私は思う。

私が軽々しく「原作へのリスペクトがある~★」という人が苦手な理由は、まずここにあります。

最大のキーマンを”抜擢”はまさに”NARUTOイズム”

で、そうやって長く観てきたのに今年初めてクソ長文で書こうと思った最大のキーマンがいます。

それは、うずまきクシナ役の小嶋紗里ちゃん。

クシナとはナルトの母ちゃんで、今回の忍界大戦の冒頭部分では実質の主役だと認識していました。原作を知らない方向けになぜかを説明するのは割愛。これも書き始めると年を越す。

配役が出たとき、前回(うずまきナルト物語 編)でシズネだった子だ~と思ったので、別役のスライド登板はめずらしいなと思いながらも、大事な役だから信頼できるカンパニー内から起用したのかなくらいに軽く考えていた。

が、今回の「忍界大戦、開戦 編」の演出上、思った以上に、想像の3億倍クシナが主役だった。出番はもちろん、かなり長尺のナンバーを朗々と歌い上げる。単に長いだけでなく、嗚咽しながら歌わなければならないという技術的な難しさもあり…… そして、原作ファンならおなじみの「口うるさい母さん」の長台詞。
これも、何度も言いますけど「原作を読んだときに自分が思い描いていたクシナ以上」でした。

なので、観ながら”スライド登板”にちょっと違和感を感じ始めます。

「この子、いったい何者なんや……」

で、帰りながら調べると、芸歴わずか5年と。しかも、コロナ禍も挟んでますからね。もう「は???????」とたまげるばかり。
本人のツイートで「クシナは24歳で私の1個下だけど……(略)」みたいなことを言われて、まあクシナはナルトの母ちゃんとはいえ、産み落として亡くなってるので存命時は若いんだよなと思い出すものの、人柱力としての過去とかを背負っていて、それを醸し出さなければならないわけで。
ミュージカル『ファントム』でクリスティーヌが人前で歌い、団員を圧倒させ喝采を浴びるシーンがあるじゃないですか。あのときの「今新しいスターが生まれた」「すごい逸材だ」というモブの気持ちがすごいわかった。
そのくらいすごかったです。
一人のスターが生まれる瞬間に立ち会いました、私。

で、このキャスティングは紗里ちゃん自身がうますぎるということもさることながら、芸歴5年の超若手に実質の主役を任せられるカンパニーの強さも著していると思いました。。
集客や注目度を考えると、もっと芸歴の長いスター級がジョインしてもおかしくないところなのに。実際、演りたい人はごまんといると思うんですよ。

そこで思い出されるのが、綱手のばあちゃんのセリフ。

「木の葉の火の意志は受けつがれ!そして育っている!・・・(略)信じる力だ!!」

というやつです。

芸歴3年で必死にくらいついていた主要キャストの3人は育ち(正確にはナルトは中尾暢樹くんになってるんだけども。芸歴は佐藤伊藤に近いので)、一座を引っ張る側になったんだなと。7年前には須賀くんが担ってた部分だからね、ここ。影の主役。

だから制作もこんな重要な役を彼女に任せられる。制作が一座と彼女をこんなに信用しているんだということが痛感できたのが、今作でした。

冒頭2つ目の気持ち悪さへのアンサー。
これが本当の「キャストに愛がある」っていうことなんじゃないのか。

私はそう思うわけです。

児玉さんはかつて、”抜け忍”だった

またプログラム中の話になるんですが、面の男(トビ)役の伊勢大貴くんが、こんなことを言っています。彼は、うーんと、語りすぎるとネタバレになる?けど、今回もう一人の影の主役ですが。

「そこの映像とか、児玉さんはきっとこう考えているんだろうなって、自分と児玉さんの頭の中をリンクさせることが、最初は難しかったです。
(中略)
本当に児玉さんの思い描いている世界観は素晴らしいので、僕らはそこを信じて突き進みましょう!」

これ、単なる社交辞令と取る人は取ればいいと思うんですけど、彼って前作丸々1作、片目しか見えない面をつけた状態で千穐楽迎えてる人というのもあって、私には言葉以上の厚い信頼を感じずにはいられなかったんです。今作で面が取れるんですけどね。きれいなご尊顔が拝めないのに通ったファン、マジでえらいよ。

逆にそれを受けて、作演出の児玉さん自身も単に原作のファンだとか演出の手腕があるとかを超えて、信頼してくれるキャストを全身全霊で信用しているのがわかる。彼と彼のファンを信用してないと、1作丸々仮面付けさせたりできないでしょ、本当にすごいと思ってて。

こういう関係性と、前節の紗里ちゃんの大抜擢と、初演からの続投組の激重感情と……みたいなものを鑑みても、まさにこのカンパニーは原作の最大の主題である「相手を信じる」「相手が信じてくれる自分を信じる」の具現化みたいな集団だなと思わされます。

つまり、児玉さん自身が「劇団NARUTO」という”里”を率いるナルトそのものである。

少し話の角度を変えます。

児玉さんは元宝塚歌劇団の座付作家でした。
今ここまでの大作を生み出し、スターを育て、ワールドツアーまでするような作家になっていますが、在団中の宝塚ファンからの評判は芳しいものではありませんでした。先述の『メイちゃんの執事』のように支持された作品もありつつ、トップスター率いる本公演の演出がファンの間で物議を醸し、表向きはそれのせいということにはなっていませんが、なかば追い出されるように2013年に退団しています。

つまり、彼女自身が「里を抜けた」経験がある。
サスケやイタチ、マダラ、暁の面々でもあるわけです。

彼女が”里”からそのときに投げられた言葉は、まさに
「宝塚へのリスペクトがない」「生徒への愛がない」
というものだった。

これが最後にして最大の「愛とかリスペクトを簡単に振りかざす奴が嫌い」の理由です。
だから今、あれから9年。ナルステを通してはじめて、「イタチにすべてを押し付けた里の連中が憎い」の境地が、ちょっとわかりました。

あ~しかし、彼女の退団の経緯は、結局核心的な作品名をもって言及することが今回もできなかった。ネットの海に吐き捨てられた罵詈雑言を、またほかの人が見ることになるのがちょっと耐えられなくてですね。間接的に彼女を二度殺すことになってしまう気がして。というのも、私今度自著を上梓するんですが、その中で経緯を説明するかすごく迷って、結局できなかったんですよね。下手に顔見知りというのもあり、読むのも無理だと思って。
まあ、気になる人はググってください。あと、すごいサラッと重要な発表してるけど、こんな長文読んでるやついないと思うんでまあいいだろ。

ナルステがここまで強大な「一ジャンル」になるのは、必然だったということだと思います。
佐藤くんのこともそう書いたけど、児玉さんにとっての『NARUTO』こそが、作家・演出家としての真実の愛です。

不安とか、痛みとか、そういうものを乗り越えた先にあるもの。若い才能を信じ切ること。
何より、それは『NARUTO』という作品の主題でもあります。岸影様の教えである。

作り手が演者に向ける「愛とリスペクト」は”信じること”1択ではないか

なので、世の中のオタクがいう「リスペクトがある」「愛がある」は素直に受け入れられないというのが当記事の主題でした。

オタクが推す対象が、オタクにとって都合の良い見せ方で持ち上げられ、活躍のレールを敷かれた上を推しは歩くだけ。そのおぜん立てをうまくできる人が良い座付作家。

そんなののどこが愛だよ。写輪眼どころか目開いてんのかテメェと言いたくなる。

自分自身も思い出す光景があります。
高校受験のとき。私は僭越ながら成績は学年1~2番目で、県内最難関校を志望していて。それでも受験前は不安で、すべり止めを下げるか、いやそもそも受けてもいいものか……と悩んでまして。 
それを三者面談で、母が担任に相談したところ、こういわれたんですよ。
「あなたが受けなくて他に誰が○○館受けるんですか。受かるよ、普通にやれば」
一気に不安が吹っ飛んだ感覚を今でも覚えてます。
ぜんっぜん好きな先生でも信用してる先生でもなかったし、むしろどっちかというと嫌いで学年でも嫌われてる先生だったんですけど(ごめん)、人から信用されるということの底知れないパワーを感じた初めての経験でした。
逆に、そんなに人間関係のない人からの信用でも、こんなに力が湧いてくるんだなって。

だからこそ、見出しのように思うわけです。
宝塚と違って一期一会のモノづくりの世界で、児玉さんとナルステ一座のような愛に満ちた長期的関係が叶うのはむずかしい。常にいつものメンバーでつくられる宝塚だって、全員が同じように愛しあい、信頼しあってるとは限らない。

だからこそ、信用して任せることが、作り手の愛じゃないかと。
手厚いお膳立てでもなく、周到なマーケティングでもなく、演者を信じて思いのたけをぶつけてくれる人が本当に愛情がある作り手だと、私は思います。

なんか、別にこんなことに熱くなる必要は本当はないんですけど。たかが演劇、たかが宝塚なので。

なんですけど、表面的な「愛とリスペクト」と本物を見分けられない人って、後輩とか部下、さらには子供からの”本物の愛とリスペクト”見逃してんじゃないの?と思ってしまうんですよね。

まあ、現実が生きづらい世の中だから、趣味くらい都合のいいものだけを見て、都合よく読み替えたくなる気持ちもわかります。石碑を信じ込んでしまったマダラがそうだったからなぁ。(ここにきて突然のネタバレ。しかも次作の)

ちょっと信じられないくらい長くなったけど、7年1回も観劇記を書いてなかったので、1年1,000字だと思って大目に見てほしい。

私自身だって「本物」を見誤ってるかもしれないけど、宝塚在団中から好きだった児玉先生が信じる”劇団NARUTO”を信じてみます。
近づくクライマックスも楽しみに。

散。

追加 2022.11.1 13:20
第一章 一節二文めの原作情報につきまして、発行出版社に誤りがあり、コメントにてご指摘いただきましたので修正いたしました。お詫び申し上げますとともに、ご指摘に感謝申し上げます。

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