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やりたいことはシンプル。勝負はいかにピュアでいられるか。
先日、長崎で行われたビジネスカンファレンスに参加してまいった。
今回はいままで参加してきたイベントとは感じ方が結構変わって、その辺をイベントレポート&個人の変化的な側面から書いておく。
「船中八策」のイベントとしての特異性
僕は、居住地が佐賀、大学が長崎なので、参加するイベントは基本的に九州北部。なのでローカルなイベントが多い。
福岡にいけば、そんなこともないのだが僕は基本、キラキラした感じの場が苦手で、少し前までそういう場所には足を運ばないようにしていた。(ローカルなイベントがキラキラしてないとか言いたい訳ではないよ!)
福岡だと全国規模のイベントが当たり前にあって、全国から国内、海外で活躍してるような人がくる。漠然とそういう強そうな人って怖いなと思ってたし、そこに集う人も現状なにもの、でもない学生だとしても、目はギラついてる。これも怖い。自分自身がなにもの、でもなさすぎて、彼らのようなハングリー精神もなくて辛くなる。なのにあまり収穫がない。足を運んでいる人たちがすごすぎて、一緒になんかしましょう!とかならない。カロリー高いのに、リターン少ないみたいな。コスパ、タイパ世代には厳しい。
ただ、そんな状態を最近、突破できた気がして、少しキラキラした場にも足を運べるようになった。
話が逸れすぎてる。
言いたかったのは佐賀、長崎はキラキラというよりも、ローカルの特徴である狭く、深いコミュニティの要素を持ったイベントが多い。ということ。
参加者も登壇者も割と顔見知り。次回のイベントの情報をもらったり、その人の活動に参加したり、運営側に回ったり、次のアクションやチャレンジに繋がる、掴める場になる。
これが僕の考えるローカルのイベントの特徴。
逆に全国的な大きなイベントになると、次のアクションというよりももっと先の未来に繋がる機会をもらうことが多い。なので、目先でのリターンが小さい。規模の大きい、キラキラした場は難しい。
「船中八策」の特異性でいうと、
次のアクションに繋がる機会と10年後に繋がる機会が同時に存在していた点だと思う。
ローカルのいいところと、キラキラした、大きな場のいいところを併せ持っていた。
長崎、九州で頑張る学生、若手の起業家、ビジネスの最前線をひた走る都市部の起業家、大手企業の役員、そして彼ら、彼女らを応援、支援する投資家、VC、行政職員。
多種多様でカオスな場だけど、考えることは遠からず。
地域を、社会を、よくしたいという思い。
それだけが共通言語だったからこそ、たくさんの繋がりと新たな機会をもらいました。
自分自身の一歩先をいく方々と、次の一歩を画策する時間も楽しかったし
背中すら見えないような場所にいる人達が見てる世界を教えてもらったり、自分が描く未来の世界を語らせてもらう時間も楽しかった。
次のアクションに繋がる機会と10年後に繋がる機会
なかなか共存することのない2つの機会。これが今回のイベントの特異性。
自分自身の変化
今回、僕の一番の収穫は学びや繋がりよりも、確信になったことだと思う。
イベント自体の特異性が高かったことは前提として、かなりイベントの受け止め方に今までと比べて違いがあった。
今までは学びや繋がりが増えることがメインで、自分になかった視点や知識、横の繋がり、縦の繋がりを作ることが目的であり、収穫だった。
ただ、今回はトークセッションでも、交流会の会話の中でも、
「そうなのか!」よりも、「そうだよね!」という、学びよりも共感が多かった。
これは割と新鮮で、特に今回のセッションのトピックで特に楽しみだった、
「土地の魅力を産業で表現していくには」
「地域と教育の機会格差を解決するには?」
この2つに関しては共感が止まらなかった。首を縦に振りすぎて、ロックバンド会場かと思いました(?)
交流会の時も、今の自分なりの課題観とか、自分自身が作りたい世界の話をして、共感してもらって。基本的には否定されることに意味がある(この価値観も共感してもらえた)と思ってるのですが、今回に関しては共感の嵐でした。
この現象は多分、僕自身が事業やビジネスの当事者として働くようになったからだと思っている。この半年間くらいは、その中でもがいて苦しいことの方が多かった。このタイミングで参加しても、多分この現象は起こらない。多分その経験を通して、働くことに少し距離を置いて、振り返って、自分自身を自分の中で落とし込めた、今だからこそだと思う。
思いを持って始めたけど上手くいかず、悶々として、それについて考えまくって、1つの仮説と、より純度の高い思いを持つことができた。それが自分の中だけの仮説ではなく、先をいく先輩方の声として聴けたからこその確信でこれは大きな収穫だった。
また少し変われたと思うし、次のステップをどんどん踏んでいく時期だと思う。
どれだけピュアでいられるか
先述した通り、一番の収穫は確信になったことだが、当然学びがなかったわけではない。
個人的に一番大きな学びだったのは、
「プロダクトやサービスに対して、どれだけピュアでいられるか」
が最も重要であるということ。
モノやサービスに溢れるこの社会の中で、人に選ばれる、ファンが生まれる、リピートしてくれる。この現象を生むのは、作り手(起業家、経営者)の思いがどれだけ純度高く伝わるかだと思う。
やってることは少し複雑で知識がないと分からない。
でも、やりたいことはシンプル。
困ってる人を助けたい、いいものを届けたい、社会をよくしたい。
それだけ。
そういう意味で彼ら、彼女らの思いを伝えるのに最も必要なのは、SNSでもなく、メディアでもなく、プロダクト・サービスに対するピュアな精神である。
交流会の時、真っすぐな目をして「私は300年先の未来を見てるよ」って言われて、僕はなんだか恥ずかしくて防衛本能で笑ってしまったけど、それでもその人は真っすぐな目でこっちを見てて、そこにその人がサービスにかける思いを感じたし、圧倒された。
他の人たちもそうだった。自分の思いをプロダクト・サービスを通して表現する。僕はそのプロダクトやサービスを触ったわけでも、味わったわけでもないが、ファンになる人の気持ちはとても分かったし、なにより作り手の皆さんの言葉はすべて等身大だった。
メディア受けするとか、消費者が喜ぶとかではなく、純粋に思いを語る。言葉は等身大で、それこそが思いの純度の高さだと思った。
始めたきっかけやバッグボーンは違っても、ここだけは共通している。
みんな出来るけど、みんなやらないこと。
それなら自分にもできると思って、だから今この瞬間の思いやピュアさは、ずっと大事にしていこうと思った。
このnoteも、10年後20年後見返した時に、はっとするのではなく自分自身の曲げない信念として振り返れたらいいなと思う。