プロの仕事
寒い日々が続いているが、そんな中で私の楽しみの一つが毎日のお風呂である。
実家に住んでいた頃は湯船に浸かりながら長時間考え事をするのが日課になっており、気がついたら2時間くらい経っている、ということもしょっちゅうあった。
就職を機に一人暮らしをしてからは、湯船が狭いことや追い炊き機能が付いていないこともあり、そこまでの長風呂はできなくなったが、それでも私はお湯に浸かりながら考え事をするのが今でも好きなのである。
しかし昨年末のある日、異変が起きた。
いつものように湯船にお湯を溜めようと蛇口を捻り、数分後に様子を見に行くと、お湯ではなく冷水が溜まってしまっていた。
壁に取り付けてある給湯器のリモコンを見ると、いつもは「42」のように設定した温度が出ている部分に、「12」という謎の数字が点滅していた。
どうやら何かしらのエラーが発生し、お湯が出なくなったようである。
その後も何度か蛇口を捻り直したり、給湯器リモコンの再起動などを試みるも、満足にお湯が出ることはなく、仕方がないのでこの日は蒸しタオルで全身を拭くことにし、お風呂に入ることはしぶしぶ諦めた。
次の日すぐにマンションの管理会社に連絡し、給湯器のメーカーに連絡を取り次いでもらったのだが、なんと最近はコロナの影響で部品の生産に支障が出ており、多くの給湯器メーカーが深刻な在庫不足なのだという。
手持ちの部品で直せる保証はないが、ひとまず修理業者が翌日に来てくれることになった。
その日の夜もお湯が安定して出ることはなく、寒さと頻繁に出る冷たい水と格闘しながらなんとかお風呂を済ませた。
次の日、点検にやってきたのは20代後半くらいの少し強面のお兄さんだった。私はお湯が出ない現状を見せようとしたのだが、こんな時に限ってなぜか正常にお湯が出てしまった。
昨夜は確かにお湯が出なかったということを伝えると、お兄さんは給湯器リモコンのエラー履歴を確認し、確かにエラーが出てますね、と不思議そうに呟いた。
その後、給湯器を点検してもらったのだが、なんと特に異常が見つからなかったのだ。
そして業者のお兄さんはこのようなことを言った。
「お湯が出ない不具合の原因として、給湯器が壊れている場合と、給湯器から伸びる煙突に問題が発生している場合があります。この給湯器は見たところ不具合はないので、もしかしたら煙突側に問題があるかもしれません。ですが、この建物は煙突の点検口がどこにあるか分からず、点検したくてもできない状況です。」
結局その場では原因が分からず、煙突を点検する方法をマンション側と確認し、なるべく早くもう一度連絡してもらうことになった。
私はお湯が出てる今のうちにと思い、いつ水になるか分からない緊張感を感じながら、なんとか二日ぶりに温かいシャワーを浴びることができた。
(しかし緊張感のせいで全くリラックスはできなかった)
そして次の日、管理会社から電話があった。
話を聞くと、昨日点検に来た修理業者の人から管理会社に連絡があり、給湯器自体に不調はなさそうということと、煙突の点検口の件について話したという。
しかしそれに加え、私の知らない話が一つ出てきた。
それは、私の住んでいるマンションの真横で今まさに新しい建物の建設工事が進んでいるのだが、それとマンションの距離が近すぎることが少し気になるらしい、ということだ。
私は電話に対応しながらベランダに出て確認してみると、確かに隣の建設現場を覆う防塵シートのようなものが、私の住むマンションの壁から10~20cmくらいの距離でかなり接近しているように見えた。
そして、管理会社から工事を担当している業者に連絡を取り、効果があるかは分からないが、私が住んでいる階付近のシートを可能な限りめくった状態にしてもらうよう頼んだのだと言う。
正直、私はそんな不確実な対策しかできない状況に大きな不安を感じたが、原因が分からないのだから仕方ないと思い、しぶしぶ電話を切った。
今夜もまともにお風呂に入れないのかと、すっかり意気消沈してしまったのだ。
しかし、その日の夜、恐る恐る蛇口をひねると、順調にお湯が出始めたのである。その日だけでなく、次の日もその次の日も、以前のように安定してお湯が出るようになった。
詳しい原因は私には分からないが、まさかそんなことで直るなんて、誰が予想できただろうか。
もしあの修理業者のお兄さんが、帰り際にマンションと隣の工事現場の距離を気にして指摘してくれていなかったら、私は今も冷水しか出ない状態だったかもしれないのだ。
しかも、これは後から気がついたことなのだが、建設現場とマンションの距離を見れるのは、マンションの裏口から出た位置なのである。
つまり、ここからは私の推測なのだが、おそらく修理のお兄さんは一度マンションの正面出口から普通に出た後、何か怪しいものはないかとわざわざ建物の周りを調査し、それを見つけたのである。
そういったプロとしての責任や執着、勘の良さなどに、私はすっかり感動してしまった。
毎日仕事をしているうちに、このようなプロとしての自覚や責任感をつい忘れてしまう瞬間が誰でもあるかもしれない。
そんなとき、私はあの修理のお兄さんの仕事ぶりとそれに救われた自分を思い出し、恥ずかしくない仕事をしたいものであると、暖かいお湯に浸かりながらしみじみ思ったのであった。
遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
hiroya-endo.net
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