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28歳秋、精神疾患と発達障害と戦いながら実家暮らしすることになった(1)
夏の空気から秋の空気に代わり始めて一か月ほど。
昔はあんなに嫌いだった実家に戻り、両親と共同生活をすることになった。
私は2か月ほど前に28歳の誕生日を迎えて、いよいよアラサーに片足突っ込んだところである。7月に入ったクリニックの看護助手のバイトを一か月で辞めることになり、自分の技量の無さや未熟さを感じたり、新卒で入職した病棟で私に危害を与えてきた先輩に再び嫌悪感を抱き、モヤモヤを抱えながら何もない日々を過ごしていた。
あるとき、奈良の大学に通う妹とGoogle Meetでテレビ通話をする機会があった。
その時、言われたのだ。「一旦実家に戻って、メンタルクリニックも転院してカウンセリングや治療に集中したら?」と。
何故妹がそう言ったかというと、妹自身も昔同様の時期があり、実際に実家暮らしをしながら通院とカウンセリングに集中して、今は元気に大学生活を送っているからである。そして、私があまりに職場に定着しないことや、体調をすぐに崩してしまう様子を見ていたからだと思う。それを言われた時、私はまだ受け入れ難かった。最初に書いた通り、実家のことが好きではなかったからである。
何故実家が好きではなかったかというと、私目線の意見ではあるのだがかなり厳しく育てられたからだ。私が思うに、父はモラハラ気質な部分があり、母はそれに従うしかない部分があってその様子を見て、なおかつ巻き込まれて育ってきた私は現に”こんな感じ”に育ってしまったのである。
正直、両親だけが原因というわけではないが…
小学校はまあそれなりに順調に生活してきた。しかし、中高一貫の女子校に入った後にいじめや嫌がらせを沢山受けた。大学でもよくグループワークではハブられたりしていた。原因はよくわからないし分かる気もさらさらないが、こういったこともあり、小学生の時は明るかった私がどんどん捻くれて自分の考えを引っ込めてしまう性格になっていってしまった。
これを書いている今はメンタルクリニックに5年ほど通い続けて、その間に就労移行支援事業所やカウンセリングの活用をしてきたことで、昔の明るさや素直さを少しずつ取り戻せてはいると思う。小学校時代の友人たちは未だに付き合いがあるし、一緒にバンドも組んでいる。今が一番楽しい。そう思っていた。
話を戻そう。
妹に実家に帰って治療に専念しなさいと言われたので、両親にも妹に言われたことを話すと、実は私がいないところでそういう話をしていたのだそう。衝撃が走った。でも実際仕事は短期間で辞めているし、一人暮らしをしていたが生活はほぼほぼ成り立っていなかった。家事も溜まっている。否定できる力は何一つなかった。
ここで一つ気がかりなことが出来る。「彼氏になんて話そう…」。
私には付き合って4か月ほどの彼氏がいる。出会いはマッチングアプリだった。
同い年だが、とてもしっかりしていて、現実家だ。
なぜここで私が不安に思ったかというと、もし”それ”が理由で別れることになってしまったらどうしよう…と思ったからである。元カレには「生活が成り立ってない人は嫌だ(吐き捨て)」と言われて別れたことがあるので、尚更不安だったのだ。
今の彼氏は私に新しい気付きを与えてくれるし、将来のこともしっかり考えてくれていたので大好きだった。だから別れたくない…でも現状のままで付き合っていくのは彼がかわいそうだと思った。彼にLINEをして、家に来てもらい勇気を出して話してみる。もう終わったかもしれない。そう思って顔を見上げた。涙がこらえられず目から沢山こぼれる。しかし、私が思ったより彼は冷静だった。
「そうなんだ。確かに今仕事辞めたしどうしていくのかなとは思ってたけど、実家に帰ることになるのはまあそうだよねって思う。実家のことは好きじゃないかもしれないけど、今はそうも言ってられないと思うし、言われるように動いたら?」
この言葉に私は安堵と驚きで混乱していた。つまり、別れなくていいし、治療に専念してもいいよってこと?どれくらい治療に時間がかかるかも分からない。実際3年かかるとかだったら待てないけど…(30歳という一つの節目を迎えてしまうため)はこの後言われたが、目標1年くらいで頑張って社会復帰する!と伝えると、待っててくれると直接的に言った訳ではなかったが、理解してくれた。
一番気がかりだったことが解決して、私は覚悟を決めた。
「1年で自分を見つめなおして、体調管理も慣れて、体力付けて、社会復帰する」と。
そして家族とも話し合い、今、精神疾患と発達障害と戦っている。
この間心理検査を受けて、結果が11/8以降に出るらしいので11/12に診察と結果を聞きにクリニックを予約した。今までのクリニックでは心理検査を受けずに大雑把な感じでADHD(注意欠陥多動性障害)の不注意型と診断を受けていたので、今回やっと痒いところに手が届きそうである。自分は色々と障害を抱えているかもしれないが、それが最近嫌だなと思うようになってきたので、改めて診断を下してもらうのは良い機会だと思う。担当医曰く、見た感じそんなに発達障害がありそうには見えないので…ということだった。もしかして実は私は皆と変わらないのかな、ちょっと物の管理が苦手で、先の見通しが甘くて、繊細で生きづらさを感じているだけなのかな、色々考えが浮かんでくる。
なんでもかんでも障害のせいにするのは違うと思うし、実際障害があるとして、障害者として今の世の中を生きていくのは心苦しいなと感じていた。SNSでよくヘルプマーク論争や優先席問題が流れてくるのだが、それを見るたびに辛く感じていた。私も実際パニック障害があるため、ヘルプマークを付けて町中を歩く機会が多いが、なんとなく肩身が狭いと思っていた。そのため、今回ちゃんと心理検査を受けて得意不得意が分かれば、もしかしたら障害者を卒業できるかもしれないと淡い期待を抱いていたのである。
まだ結果が出るまで3週間ほどある。その間は自分の好きなことをする時間にあてたり、引っ越しに向けて実家の自室のクローゼット内の断捨離もしたいと思う。ベッドも二段ベッドを1つずつに分けたものを使っていて狭いので、引っ越し日が近づいてきたら解体する予定だ。やることは沢山ある。
これからここに自分が一人暮らしをやめて実家で生活しながら治療していく過程を記録していきたいと思う。手書きで記録するのが苦手で、なおかつ誰かの目がないとサボるので、ここに書き綴っていこうと思う。そして似たような境遇の人がもしいるのであれば、少しでも心の支えになればと思う。見守っていてほしい。