そこにいない寂しさ 感情#3
いつものように寮の部屋に入り、ルームメイトに話しかけようとしてもそこには綺麗に整頓されたベッドしかありません。
はじめて入寮してきたときの状態に整えられたベッドを見て、僕はいつものように友達に話しかけられないことを実感しました。
今日はニュージーランドで出会った友達との最後の日です。同じ寮に住んでいる日本人二人と、数人のクラスメイト。僕にとっては一ヵ月だけの出会いだと考えていました。
でも、綺麗になったベッドを見るとどうしようもない寂しさに襲われます。この寂しさを紛らわすために縋りつくものも、いつかはなくなってしまいます。だから失うことが怖いです。
日本でまた会えるのかもしれません。でも、それはきっと半年以上先になるでしょう。それは、彼らが住む寮を変えてから更に半年以上ニュージーランドに住み続けるのに対して、僕は先に帰国してしまうからです。
クラスメイトとの別れもありました。
遠い国へ帰国するクラスメイトがみんなと写真を撮っているのを見ると、彼らが今まで交わした会話や人間関係をすべてここに置いて帰ってしまうような寂しさを感じました。
留学に来ている全員が自分の人生を持っていて、ここに来るまでも帰ってからも木の枝が個々の方向に分かれていくように、この瞬間から別の場所へ行ってしまうのです。
みんながどこかへ行ってしまうこと自体ではなく、今までの当たり前がなくなって変化してしまった寂しさが強いです。
そんなことを考えていると、似たような感情をいくつか思い出しました。
小さいころ口喧嘩で母にひどいことを言ってしまった後の後悔、突然の別れをすることになった恋愛。
どれも、自分が独りになったときにはじめて感じる孤独です。
人の考えは脳の構造で変わります。脳の構造は経験や記憶で変わります。僕の記憶には確実にみんなとの出会いがあります。僕の性格、つまり僕そのものにみんなの出会いが溶けこんでいます。
それでもやはり、失うことは寂しいです。この考え方は正論である一方、綺麗事でもあります。感情の処理が上手くできない以上、正論が常に正しいわけではないのです。溶けこんだ出会いではなくその人そのものに価値があるのです。
僕は失うことに恐怖を感じる典型的な”ヒト”です。これは生物の仕組みとして組み込まれた性質です。
いつか来る別れに備えて、大切な人には感謝と本当の気持ちをまっすぐ伝えるようにしてます。
そんなに感謝しなくてもいいよと言われることもあります。でも、この姿勢で感謝を伝えるのは打算的だと自分に辟易してしまうこともあります。自分の悲しみを軽減するために感謝を伝えることは相手にとって良いことなのかと考えることもあります。
ニュージーランドに来てから毎日聴いている曲を日本に帰ってから聴くと、きっと沢山のことを思い出すでしょう。
僕は自分の道を歩み続けます。この出会いはきっと忘れません。