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優しさについて

「子どもたちが
学校もこども園も行きたがらなくて、
(なんなら全く行ってない人もいる)
毎朝仕事行く前に
バトル勃発で疲れるんだよねえ。」

ってある人に話したら

「あなたが優しいからじゃない?」

って言われて虚をつかれた。
自分が子に対して
『優しい』と思ったことがほとんどないから。

それで、優しさとはなんだ?

*****

私は多分、他の母親より、
子どもをコントロールすることを
極端に嫌っている。
例えば長男がハイハイしてる頃、
車輪に異様に興味をみせて、
スーパーのカートの車輪を
ハイハイしながらずっと追いかけていたのを、
わたしは止めなかった。
大体の母親は、
汚いからやめなさいって抱っこするだろう。
統計とか取ってないから知らんけど。

ただ、それは私が困らなかったから
止めなかっただけ。
学校とかこども園に行く行かないに関しては、
給食があるので
できれば行ってほしいと話はする。
子どもが家にいると、私も安心して仕事ができないし。
でもそれを押し付けることはしない。
最終的に、彼らの意志が強ければ、
互いに程よいところで決着をつける。

だが一方で、
自分の価値観に合わないことをされると、
結構おとなげなく本気で意見したり
いきなりブチ切れたり、
時には大人の権力で無理矢理通したり、
なかなかめちゃくちゃなことやってると思う。

あと、基本的に
自分のことは自分でやってほしいし、
料理はほとんど作らないし、
気力体力がある時しかお世話はできないし、
気分によって対応が
丁寧だったり雑だったり差が激しいし。

彼らのことを愛してはいるが、
母親として持つべき
優しさとは対極にあることばかり
しているような気がするので、
なんなら毒々しいなと
自分で書いてて思ったくらいだ。

育児を助けてくれる人を
集められる力があれば、
それはそれで毒々しくても
成り立つんだろうけど、
私にはコミュニケーション能力もないので、
基本的には公共のサービスと、
夫とで子育てをしている。
から、子どもたちにはなかなか
ハードな状況であろうと思う。
ハード=厳しい。

優しさの反対は厳しいかな。
だから「優しい」と言われると、
え、そうかな?全然優しくないけど、
とおもったのだろう。

ただ、優しい、も、厳しい、も、
何となく人間には必要なものの気がする。
生きていれば、
優しい、と、厳しい、が、しょっちゅう
やってきては心と体を刺激していく。
それを受けて、人間の心は、
形を変えたり、
器を拡げたりできるのだと思う。

あえて優しくするとか
あえて厳しくするとか
私はあまりできない。
その時優しくしたかったらするし
厳しくしたかったらする
というか、その時私がしたかった行動を受けて、
結果的に、相手が厳しいとか優しいとか
彼らの感受性によって感じるのだろう。

優しくする
というのは、
心地よい状態を保てるよう働きかける、
という感じだろうか。
痛みとか、苦しみとか、悲しみとか、
そういうのをなるべく感じさせないようにする、
というのが近い気がする。

最初の言葉を投げかけられた時、
コントロールしない≒好きにさせる
というのが、
優しさと認識されているのかと思った。

けど人は生きてるだけで、
楽しい、美味しい、嬉しい、
といった快だけじゃなく、
痛みも苦しみも悲しみも、
自然と経験するものだから。
本人の欲求や心の声を聞き、
なるべく大人の思い通りに
コントロールしないことが、
必ずしも、
優しくすることにつながるとは
私は考えていなかった。

優しいからといって愛しているのとは
また違うような気もするし。
愛することこそが、
目指したい場所だと思うから、
上滑りする言葉だけに、
振り回されなくていいんだとも思う。

*****

誰かの成功話が痛い時もある。
ただ、そういう時こそ、
自分の生き方、考え方を見直す時だと思う。
涙と鼻水にまみれながら、かえりみる。
自分が何に勝手に傷ついたのか、
それは自分のできてなさからくるものなのか、
持つものの違いをただ妬んでいるだけなのか、
ちっぽけな自分が、
それでもできる生き方ってなんなのか、
どんな風に生きたいと願い、
考え、行動しているのか。

過去に放り投げた言葉が、
自分を鼓舞してくれることもあるから、
Twitterってありがたい。

自分の土台を手入れする作業は、
なかなかにすり減るんだけど、
それでも前向いて歩いていく力をくれる。
気がする。

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