工芸思想
私も今年で50歳になりました。
半世紀も生きていることになります。
伝統工芸の世界はその50年でももの凄く変化していると考えています。
90年ほど前
柳宗悦らが憂いた消え行く手仕事によるものづくり
民藝運動
それは日本やアジアが近代化し、
工業製品が普及どんどんと手仕事で作られていた民具、民藝品などが消えていった。
その流れに少しでも杭を打ち込もうとしたのが民藝運動だったのではないか?
しかし工業化の流れは加速し、私たちの身の回りのものはあらゆるところで工業製品に置き換わっていった。
工芸?が工業化の中で失ったものは何か?
を問うてみたい。
そもそも桶は工芸品か?
かねてから美術性を求めた高価な一品品から、実用一辺倒の安価な量産品まで様々なものが存在しており、鑑賞に堪えるものを上手物(じょうてもの)と呼び、簡素な一般向けのものを下手物(ゲテモノ)と呼んでいた。(ウィキペディアより)
民具、雑器
民藝 民衆的工芸品
日用品
言葉としてのゲテモノでは、原義においてその対義語に上手物があり、こちらが鑑賞にたえる高級な工芸品で、対して下手物は作りが粗末で大衆向けの安価な(ともすれば安っぽい)器物として扱われる。もっとも、「下手物」が先に存在した言葉で、「上手物」は後から対義語として生じたとの指摘もある。
これは大量生産の工業技術が発達する以前の、大衆はえてして粗末な作りの安価な器物を使うしかなかった時代の言葉で、のちに日用品でもあるこれらの器物は工芸によってではなく工業(製造業)によって製造されるようになると、工芸品は意匠をこらした美術品として扱われる一方、いわゆる工芸においての「下手物」は使われず作られなくなっていった。1920年代に柳宗悦らが起こした民芸運動以降、前近代の大衆的工芸品に対しては(狭義の)「民芸品」という新たな価値観からの評価が為されるようにもなった。このため食以外の「ゲテモノ」は言葉としては死語(廃語)の域にあり、工芸における下手物は美術陶磁器における専門分野用語としての意味合いで使われている様子も見られる。
うちのおじいちゃんか言ってた、上手物の桶を作りたいという言葉を思い出す。
桶は下手物、雑器と扱われており、土間で使うものです。
それを床間にあげれる様なものにしたいと言ってたのが記憶に残っています。
つづく