TedxKyoto2014 スピーチ原稿

私は桶職人です。

ここにひとつ、桶があります。
桶は側板と(この丸い部分ですね)と底板そしてタガ
基本的な桶はこの三つの要素によって成り立っています。

側板をタガが締め付け、底板の張りによって形を成し、
水が入ると余計に木が膨張してしっかりと密着し水を漏らさなくなります。

ではここでタガを外してみましょう!

※木桶のタガを外してバラバラにするというパフォーマンスをする。(時間にして30秒程?)桶がバラバになり木片と底板とタガになる
(バラバラになったタガと底板を手に取って)

桶はこのタガ締め具合と底の張り具合などの力のバランスが大切で
職人の勘や経験を頼りに作られています。

それは職人たちが手から手へ代々語り継いできたものです。

<おじい様や、お父様、他の職人さんたちと一緒に移っている幼少時代の写真>

私は桶職人の一家に生まれました。
祖父の丁稚奉公から90年、私で三代目になります。
手習いの頃、父は私の指導に細かな一切の説明をしませんでした。
「仕事は盗め、体で覚えろ」でした。

「こうや!」
と言ってかんなで削って見せ、

「やってみろ!」
やってみて、

「違う!かせ! こうや!」
の繰り返し
訳も分からず手を動かす
手が止まると 
「考えるな! 手を動かせ!」
と叱られる。

「仕事は手を動かしてなんぼや!」
「体で覚えるもんや!」

「なんで?」
と聞くと「理屈はいらん!」


祖父は10歳の頃から丁稚奉公で、
父は高校に通いながら仕事をしていました。
若ければ若いほど仕事を覚えるのが早いし長く仕事を続けることができるとの考え方からです。

60年ぐらい前までは京都市内だけで200件近くの桶屋があったと言います。どこの家でもたくさんの桶を使っていました。
しかし今はほんの3~4件しか残っていません。

プラスチックなどの工業製品の普及が急速に進み桶の需要は激減し、
桶屋の数も急速に減ってしまいました。

父や祖父の手習いの頃は一ヶ月に数百もの桶を作ることがあり、部屋が桶で埋め尽くされることもあったと聞きます。 しかし今は多くても一ヶ月に数十個、桶の需要は10分の1以下に減っています。

手習いで父や祖父が体で覚えた分量をこなそうと思えば、彼らの1年分が10年、10年分に100年かかってしまいます。
到底追いつける量ではありません。

では、どうすればよいでしょうか。(問いを観客に語りかける)

必死で考えました。
私が行ったことは、頭を使いながら、現代の技術を取り入れ、手を動かすということです。

それで完成したのが、このシャンパンクーラーです。

<シャンパンクーラーの写真>(強調して見せ、インパクトを与える)

2008年、今までにないようなシャープな桶を作れないかと話をいただき挑戦したのがシャープな形のシャンパンクーラー
二年程の時間をかけてようやく完成しました。

<訪問時見せて頂いた実際の寸法表を見せる>

桶を作る時に見る寸法帳があります。

口径、高さ、勾配、タガ位置、底位置などを示す10個ほどの数字が書かれています。
基本的にはこれらの数字のみで桶は作ることができます。
 
シャンパンクーラーを作るには非常に精度が必要となり、パソコンで図面を引くようになりました。

桶はレンガ造りの橋などに用いられるアーチ構造で形を保持しています。一枚一枚の木片の角度は正確に円の中心に向かう角度にならなくてはなりません。

<中心点が複数になることがわかるよう図面>

しかし楕円形になるとその角度がとたんに難しくなります。中心点はひとつではないからです。
普段の丸い形や小判型と呼ばれるような形であればアーチ構造などといったことは意識されずに職人のカンや経験といったもので形を作っていくことができます。

でもいくつか試作していくうちに勘や経験だけでは形にならへんと思うようになりました。

形にはなった時でも水を入れると底板の真ん中がみるみる盛り上がって割れてしまったことがありました。力の掛かり方のバランスが崩れてしまっていたのです。

私は桶の構造を見直しアーチ構造に正確に沿うように図面を書きました。そのことを経てようやくこのシャンパンクーラーは完成しました。


父にこの図面を見せてもなかなかその構造を理解してくれませんでした。

しかし
私にこれが出来たのは父や祖父の体で覚える量を克服するために、理屈をこねるなと怒鳴られながらも桶の構造と道具の特性を理解研究し、手を動かすことによって、埋めてきた20年があったからなのです。

これが出来るようになると今までになかった桶、丸ではなく三角や四角、五角形の桶なども作ることができるようになりました。

<スライドでテンポよく、作品の写真を写しだしていく。>

そのことによって桶の、桶を作るという技術の可能性が広がりデザインやアートの世界、また日本から海外へと大きく関わって行く可能性が開かれたのです。

私がやっていることは、父や祖父もっと、何百年に渉って職人が手によって語り継いできたことを否定するものではありません。それら手から手へ語られてきたことを言葉へと翻訳し、桶の中に含まれていたものを読み解いたにしか過ぎません。

<桶の修理時の写真>
一枚の写真をご覧下さい。

桶は修理修繕をしながら長く使っていくことが出来ます。
200年ぐらい前の桶の修理をしたことがありました。真っ黒になった側板の中に昔の修理の跡を発見しました、そこだけ色が浅かったのです。そしてまた新しい木のパーツを取り替え、組み立て直しました。
桶、木は、人と共存の中で長く生き続けます。
修理をしているとその桶がどのように使われて来たか、また、昔の職人がどのように作っていたのかを知ることができます。

作り手から作り手へ
使い手から使い手へ
手から手へという形で引き継がれてきたもの。
それは、人が言語を持つ前から持っていた最も原始的なコミュニケーションツールなのかもしれません、

言葉は便利です。言葉でこの世界のことはほとんど表すことができます。
でも全てではありません。 言葉では表しきれないところもある。だから、私はモノを作り続けるのかもしれません。

今、職人の減少と共に大切なものが失われようとしています。手によって引き継がれてきた多くの技術や哲学や精神というもの。

それを言葉で、あるいは手で(桶を手にとる)、引き継ぎ次の世代へ伝えていくことが私たちの使命だと考えます。

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