制作ノート 転記
制作ノート 転記
FBノートサービスに終了に伴い移転する。(202104)
ホームページの閉鎖に伴い消えてしまう制作ノートをここに転記する。
改めて読み返すとなぜアートを中断して木工に集中したのか、そして戻って来たのかよくわかる。
ここに転記された言葉は、膨大に手書きで書かれたメモのなかで、僅かに活字?テキスト入力されたものである。もう忘れ去られた手書きのメモたちだがまたひょこり顔を出すかもしれない。
その時気が向けばテキスト入力しよう!!
制作ノート
JAPANESE ONLY
■ 存在
Date: 2002-02-28 (Thu)
存在とは、ものそれ自体を表すものではない。意味の出現を指すものだ。
可能態としての、唯一、無限の宇宙
もの以前
■ no title
Date: 2002-02-04 (Mon)
決して相互確認できない暗黙の了解として客観は存在する。
■ no title
Date: 2002-02-02 (Sat)
それらは他者と共有することが出来ない
■ 主観とは?
Date: 2002-01-29 (Tue)
私の見るもの、感じるもの、私の中でおこった現象すべてそれである。
■ 自己満足
Date: 2002-01-26 (Sat)
自己満足でよし!
いってんの曇りもない究極の自己満足であれ!
■ 主観
Date: 2002-01-26 (Sat)
では、主観とは何か?
■ 客観という幻想
Date: 2002-01-26 (Sat)
芸術に客観というものはない。
主観が全てである。主観どうしの差異のみである。芸術一般に置いてだけでなく、全てがそうなのであるが
客観というものは人間のエゴが作りだした幻想だ。
■ 芸術
Date: 2002-01-26 (Sat)
芸術は、表現することに意味がある。
己のことを知るためにある。
自己の欲望を源に発露したそれは着地点をさがしもとめてさまよう。
見ること、聞くこと、創ること全てが芸術になりえるのである。
■ ヒトの精神は
Date: 2001-10-05 (Fri)
開放性と閉鎖性を合わせ持っている。
■ もっと
Date: 2001-07-04 (Wed)
もっと、もっと深く潜りたい。
この海の底にはいったい何があるのか?
もっと、もっと彼方へ飛んで行きたい。
この空の向こうには何があるのか?
- Sun Board -
制作ノート
JAPANESE ONLY
■ アート つづき
Date: 2001-07-04 (Wed)
いま、アーティストは使い捨ての時代だ。
まさに青田刈り、本当はもっと大きな花を、実をつけるはずの人たちが刈られてしまう。
刈られても一度は枯れても、再び蘇って本当の花を咲かせてほしい。
新しいもの変わったものを求められてしまう今の時代、一部のメディアに踊らされる前に百年後も通用するような質の高い作品を作りたい。
■ アート
Date: 2001-07-04 (Wed)
何でもアートになる。
そんな時代の風潮がある。
それがアートという世界を一般化する。
スナップ写真が、落書きがアートになる。
それがあってもいいがそれが全てではない。
厳格なアートばかりでは肩がコル。
厳格なアートがあるから落書きがアートになりうる。
バランスの問題だ。
最近、アートをする人はかっこいい。
タレントみたいになれる。
アイドル目指すように、有名なりたいからアートする。
そんな風に感じるときもある。
私も確かに有名になりたいし、お金もほしい。
でもそれでいいのか?
それだけじゃだめでしょう。
■ アートと非アートの領域③
Date: 2001-06-28 (Thu)
非アートの立場に立脚した非アートは前者とは明確に区別すべきであり、余波の亡霊にアートが殺される前に我々は新しいスタンダードなアートのあり方を獲得しなくてはならない。その中で初めて根のない薄っぺらな非アートに立脚した非アートが意味をなしてくる。
メディアシーンが大きな力を持つ現在、これらアートの抱える問題は作品を作る作家の問題だけでなく、それらを取り巻く環境、美術館や画廊、評論家やキューレターといったものにもこの事態を理解させていきたい。
■ アートと非アートの領域 ②
Date: 2001-06-28 (Thu)
アートシーンが閉塞する中で、いわゆる非アートなアートの出現というのは美術界全体に大きな衝撃を与えた。それはアートに対する認識を根本から変えその間口を無限に広げた。
その意味において非アートがアートに与えた影響は絶大なものがあったと言える。
しかしあくまで非アートが立脚していた場は既存アートであり、それ故に大きなインパクトがあったと言える。
しかし今、それらがアートにおける役割は終わった。
私たちは次の時代へと進まなくてはならない。
大きかったインパクトの余波だけで前に進んではいけない。非アートの立場に
■ アートと非アートの領域
Date: 2001-06-28 (Thu)
現在の美術界においてスタンダードな作品とアンチスタンダードな作品の評価が逆転している。
もちろん何がスタンダードかという問題は時代とともに変化するもであり、絶対不変とは言えないが、今現在のアートと呼ばれる作品、特にメディアよく取り上げられるものにはスタンダードなアートがあって初めてその意義が成立する作品たちである。
非アートはアートがあってこそ意味ある存在であり、非アートがスタンダードなアートになりつつある現状は、今の美術界は壊滅的な危機に直面していると言っても過言ではない。
つづく
■ 自己の完結
Date: 2001-06-15 (Fri)
人間は自己完結出来ない。
■ アートってなに?
Date: 2001-06-15 (Fri)
最近のアートの世界を見てるとそう思う。
■ 触知しうるイデー
Date: 2001-06-07 (Thu)
昔読んだ本の中で
「触知しうるイデー」
という言葉が出てきた。
彫刻家の自分の思想について語った言葉だ。
イデー、イデア、観念、理念などといった形のないものに「触れる」という表現するのはおかしいかもしれない。しかし私にもよく解る感覚だ。イデアもまた触れることが出来る存在である。と感じることがある。
■ 系譜
Date: 2001-06-07 (Thu)
系という考え、それは別段珍しいものではない。文系、理系、水系、太陽系、銀河系などなど、私たちは様々な系に、同時に、そして多層的に所属しているということだ。個という考えがそこに当てはまるのは、系の分岐、交差するところではないか。
■ 創造物
Date: 2001-06-07 (Thu)
私は神様ではない。
ゼロから何かを造り上げることなんて出来ない。
すでに存在しているものを組み合わせて、再構成いるだけだ。
意味もそうだ。誰かが言ったこと、本などに書かれたことを再構成したに過ぎない。
真のオリジナルなものなんてない。
このことは人のまねごとを奨励するという意味ではない。
個人というものを完全無欠の独立形態と考えるのではなく、系のなかの個と言う考え方を導入しなくてはならない。
■ 幻想の個
Date: 2001-05-28 (Mon)
人間は決して孤独ではない。
孤独な存在にはなり得ない。
個(弧)への願望がある。
しかしそれは幻想。
■ 認識論
Date: 2001-05-28 (Mon)
自己という虚構
認識の中にしか存在しない自己
不変的なものは人間の存在の外側にしかない。
これらの命題は思想史の中で繰り返し語られて来たことだ、実存と認識
「見たものや触れたものなどが頭の中にしか存在しない。」
私の考え方は「認識によって世界が立ち現れる」という立場であるが、そこにある種の違和感を感じる。
それはその思想が持つネガティブ性に起因するものだと思われる。
しかし、おなじ種類思想だともいえる仏教の『空』の思想では、同じように空虚な世界観を説いているのに、爽快な感じ(ポジティブ)をうける。
■ 内包する宇宙
Date: 2001-05-28 (Mon)
外宇宙と内宇宙。
そこにある共通項、
漠然とそれはつながっているという感覚がある。
つづく
■ 空のかけらを想う
Date: 2001-05-30 (Wed)
作品タイトル
『空のかけらを想う』(草案)
制作概要
鉄と白ペンキ、鏡面ステンレスを使った抽象彫刻作品。
中央に穴のあいた鉄の有機形の円柱(図参照)そこに鏡面ステンレスをはめ込み見る人間の背面にある『空』を作品の中に取り込む。それらが3個重なってひとつの作品とする。
作品の形、大きさ向き等はまだ決定していません。おおよその目安とです。
制作テーマ(コンセプト)
空想力、「空を想う力、空の力」をキーワードに作品制作を進める。
空は、そら、から、くう、などと読む。
空はなにもないということを表す。
何もないということは、何にでもなれる。
私たちの未来予想図はまだ描かれてはいない。
真っ白な空白のままだ、
そこに空想力を行使して、新しい未来を描く。
真空が強いエネルギーを持つように、空は大きな力をもっている。
空想力、人間はそれを行使して、文明や文化を発達させてきた。飛行機で空を飛び宇宙にいけるようにまでなった。
いままで夢やSFと思ってきたことを実現してきた。
その反面、その文明が、戦争や環境問題など様々な弊害をもたらしてもいる。
テレビでは行ったことも聞いたこともない国などの映像が流され、まるでよく知っているような気になる。
知らないことを知ったかぶるのでなく、それら少しの情報から全体を空想する力が必要だ。
文明の発達は人間に多くの『空想力』が問われる場を与えた。
私たちはまだ空想力の本当の力を知らない。
人間の空想力は夢やSFなどだけでなく、環境や人の気持ちや心の中のことまでも感じることができる。
その力を用いて精神の豊かな世界を作れるはずである。
現在は過渡期だ、人間は現実と空想の狭間であえいでいる。
次の未来はそれを使いこなす時代になるだろう。
この世界は唯一ひとつとして存在している。
私たちは、その一部分としてしか存在していない。
私たちは、この世界のすべてを見ることができない。
未知の全体性を知るには、空想力を行使しなくてはならない。
私は私の顔を知らない、実際に見たことかない。
私の知っている私の顔は、鏡や写真といった 二次媒体から得た情報でつくられた虚空の存在だ。
空想力の行使は自己や世界を理解することにつながる。
中川周士
■ 空のかけら
Date: 2001-05-28 (Mon)
この世界は唯一ひとつとして存在している。
その部分(いちぶん)である私たちは、その部分しか知ることができない。
未知の全体性を知るには、空想力を駆使しなくてはならない。
私は私の顔を知らない。実際に見たことかない。鏡や写真といったな二次媒体からの情報で得た虚空の存在だ。(実は実際に見たり体験したことも虚空)
空のかけら「空を想うこと」は自己や世界を理解することにつながる。
■ 空想力②追加
Date: 2001-05-28 (Mon)
文明の発達により人間はより多く空想力が問われる場を持つことになった。
テレビでは行ったことも聞いたこともない国などの映像が流され、あたかも良く知っているような気になる。
インターネットの発達はなをそれを加速する。
そこで部分から全体を空想する力が問われる。
現在は過渡期だ、人間は現実と空想の狭間であえいでいる。
次の未来はそれらを使いこなす時代になるだろう。
■ 空想力②
Date: 2001-05-28 (Mon)
制作テーマ、「空を想う力、空の力」
空は、そら、から、くう、などと読む。
つまり空はなにもないということを表す。
何もないということは、何にでもなれるとだ。
私たちの未来予想図はまだ絵画かれていない。
空白の真っ白なままだ。
そこに空想力を行使して、新しい未来を描いていける。
人間の空想力は夢やSFなどだけでなく、環境や人の気持ちや心の中のことまでも感じることができる。
その力を用いて精神の豊かな世界を作れるはずだ。
真空がエネルギーを持つように、空は大きな力をもっている。
■ 空想力①
Date: 2001-05-28 (Mon)
空想力、空を想う力
人間はそれを行使して、文明や文化を発達させてきた。
空を飛ぶ夢が、飛行機を作り、宇宙にいけるようにまでなった。
今、その文明が、様々な弊害をもたらし始めた。
しかし、私たちはまだ空想力の本当の力を知らない。
■ テスト
Date: 2001-05-28 (Mon)
携帯電話からの書き込みです。 最近忙しくて更新してないので、これで書き込みます。
■ むかし・・・
Date: 2001-02-02 (Fri)
「自分」と言う感覚はいつ生まれてくるのかについて考えたことがある。
結論から書くと「他者を認識することによってようやく自分が認識される」
となった。
生まれたすぐの赤ちゃん、あるいは母親の胎内にいるときに
外からの刺激と内からの刺激を区別できない時があったはずである。
それが感覚の発達や学習によって区別されるようになってく・・・
そして人間(両親など)や物などを徐々に認識するようになる・・・
そういう外界・他者を認識する過程においてようやく自己認識、外界でないものとしての自分が生まれてくる。
それは、他者や外界というものの認識をより深める
ここで少し話は飛ぶが、
>Date: 2001-01-19 (Fri)
>私というもの(自我)は無限や無であるこの世界を知るために用いる
>ひとつの道具である。
に繋がってくるわけで、
>やがてそれは消滅する。
となる。
自己という認識は、より深く世界を認識するために用いる道具でもあったわけだが
(外界を知るためにこれほど便利なものはない・・・)
でも、もっともっと世界を深く知ろうとするとき、
この自分というものが邪魔になるときがある。
自分と言うものが足枷となることがあるのだ。(自己という呪縛)
やがて世界を知るために作った自分と言う葦船を捨てなくてはならない時がやってくるだろう。
と、
思う。
それは言うほど簡単なことじゃないけど・・・
Shuji
■ 私というものは・・・
Date: 2001-01-19 (Fri)
私というもの(自我)は無限や無であるこの世界を知るために用いる
ひとつの道具である。
やがてそれは消滅する。
私と自我というものはべつのもの?
■ 私というものは・・・
Date: 2001-01-19 (Fri)
私は私として完結することはできない。
それは絶望であり希望である。
私(個)という幻想
■ 過去の制作ノートより④ (言葉の断片)
Date: 2001-01-01 (Mon)
真実は存在の闇の中
渦の始まり、渦は始まりⅠ
渦の始まり、渦は始まりⅡ
私は私であって私でない
自由の剥奪者
空のかけら
地のかけら
有意味・無意味・非意味
狂気すら我が精神のかてとせよ
もの・意味・言葉 個であってひとつ
巨象の背中で
あらゆる言葉・その終焉へ
存在も夢を見るⅠ
存在も夢を見るⅡ
失語症のペテン師
楽園
空飛ぶ夢をみた
無限であって唯一なるもの
ひろいあげたかけらがすべてだ
存在の記憶Ⅰ
存在の記憶Ⅱ
増殖する空間概念
自己という呪縛
空白の空
個々にあげたものは今回の出品タイトルです。
これは必ずしもその作品の為のみに考えたタイトルだけではありません。
日記やメモ、ノートから選び出した記号です。
1997年4月8日 作者
■ 過去の制作ノートより③
Date: 2001-01-01 (Mon)
1993年4月
時の渦、風の始まり
時は渦巻きに進んでいる、まっすぐ進んでいるわけじゃない
グルグル、グルグルと渦を巻きながら進んでいるんだ
地球の自転が風を起こすように、やっぱりときも風を起こす
時の風がこの世界の不思議を作り出す
不思議は、人が時はまっすぐに進んでいると勘違いしているから不思議なんだ
時は渦巻きに進んでいる、まっすぐ進んでいるわけじゃない
■ 過去の制作ノートより②
Date: 2001-01-01 (Mon)
1993年10月ごろ
※鎖を素材として使用するということ
単語一つ一つの繋がりが言葉となりそれが意味をもつ・・・
それを鎖にたとえて作品作りをしている。鎖のわっかが単語でありそれらの繋がりが言葉、
そして描き出すかたちが意味となる。
言葉の鎖、意味の像・・・
※『虚空の街を行く人々』
雑踏の街を歩いていると、ふと周りの人々が実体のない影のように感じられることがある。
言葉や記号だけが街を通りすぎていく・・・
そんな実体のなさや虚構性、存在というものの喪失感をテーマに作り上げた作品です。
※『言葉の鎖に焼かれし存在の種子
・・・いまだ焼き尽くせぬ存在というもの』
ものそれ自体と、言葉というもの・・・
ものそれ自体には言葉も意味もありはしない。
言葉や意味は、人間がいまだ開かれ得ぬ素晴らしき闇を開示しようとして生み出したものだ。
しかし、それは決して存在という闇の中へは入り得なかった。言葉はものの表面を取り巻いたに過ぎなかった。
言葉ともの自体は、まったく別の次元にあったのだ。
人はものから切り離された言葉記号による虚構の世界を構築しようとしている。
存在という呪縛から解き放たれた意味と言葉による世界、
そこでもの自体(身体)と言葉(頭)をあわせもつ人間はどのように生きていくのだろうか?
■ 過去の制作ノートより①
Date: 2001-01-01 (Mon)
1994年4月
『存在の海から意味の空へ』
この世界は海のようなもの
人間なんて海面を漂い浮遊しているブイにしか過ぎない
ちょっと顔を海面に出したちっぽけなものだ
その奥深く潜ることも、ましてや空を飛ぶことなんてできはしない
波に呑まれそうになりながら必死にもがいている
そんなもがきも小さな波を作る
虚空の空へ海面をほんの少しもりあげ消えていく
意味の空,存在の海,現象という言葉(波)
あるということそれは個々には成立しえない
それはひとつの海としてしてあるだけだ
意味もまた遥か無限の虚空としてあるだけだ
この二つのまったく次元の違う領域の接点に言葉があり人間がいる
人間は、存在の断片しか知らない
人間は、意味の断片しか知らない
僕は、空を自由に飛びたい
僕は、海を自由に潜りたい
『存在』、『意味』、そして『言葉』
これらをキーワードに作品の制作を進めていく
これらのキーワードを紡ぐことで見えてくるもの、消えていくものを作り出す
この世界は海のようなもの
人間なんて海面を漂い浮遊しているブイにしか過ぎない
ちょっと顔を海面に出したちっぽけなものだ
その奥深く潜ることも、ましてや空を飛ぶことなんてできはしない
波に呑まれそうになりながら必死にもがいている
そんなもがきも小さな波を作る
虚空の空へ海面をほんの少しもりあげ小さく広がる
意味の空,存在の海,言葉の波
もしも、空を飛ぶことができたなら、
もしも、海中深くまで潜ることができたなら・・・・・
すべてを手にすることができるだろう。
■ 私という つ く り も の・・・?
Date: 2000-12-22 (Fri)
私は私の作った作品の前にいるのではなく、作品の後からやってくる。
いま、私が私だと思っている私は、無意識下に広がる自己の存在の表層の一部でしかない。
表層に限定された私自身がその無意識を含む自己すべてを制御することはできない。
■ 自己の系譜
Date: 2000-12-18 (Mon)
それは、崩壊と再生の連続の流れの中にある。
■ 自分を映すための鏡
Date: 2000-12-04 (Mon)
私にとって作品は自分を映すための鏡である。
私は私の顔を直に見る事ができない。何か別のものに写すこと(鏡や写真、ビデオ)によってしか見る事ができない。
それと同じように、自分が自分の心もまた直に知ることができないと考える。
作品は自分が自分の心の中を見るための鏡である。
そういう意味では私の作ったあらゆる作品は、どのようなものでもすべて自画像なのであろう。
■ 螺旋軌道①
Date: 2000-11-17 (Fri)
a spiral orbit
時はめぐる。
くるくる回りながら螺旋を描く。
昨日と今日の距離よりも
10年前と今日のほうが近いかもしれない・・・